守りたいもの
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咬冴ァァァァァァァァァァァァァァアッ!

「ちょっとぐらいええやーん!けちんぼー!」

サイト8148に怒声と悲鳴が散る。
怒髪天を突く嶽柳たけなぎ主任研究員から逃げるのは、海を彷彿とさせる青い髪と鮫の鰭を頭から生やし、臍を大胆に露出したスウェットスーツの上から所々ほつれとくたびれが見られる白衣を羽織り、傍目から見ても見事なフォームで逃げているのは、機動部隊さ-21("噛み殺し")隊員の、咬冴舞波こうがまなである。

怒髪天を衝き、身体のリミットを解放してる嶽柳だが、哀れかな、12歳ではあるが一端の立派な機動部隊員に追いつくことができない。
勝ちを確信したように後ろを嶽柳をチラリとみやる咬冴。苦虫を噛み潰すような顔をする嶽柳。そして彼らの直線上で潜む謎の影。
そんな影に、後ろを見ている咬冴は気づけない。しかし、影に気づき、影を正しく理解した嶽柳はいよいよ渋面に顔面を支配され、やがて断腸の思いで潜む影に向かって絶叫する。

斑座ァ!」

「待ってましたぁ!」

「ぎゃん!?」

影を置き去りにして飛び出したのは、財団エージェントである斑座真利奈まだらざまりなである。

「んふふー、かわいいよ咬冴ちゃん……」

「お前は! なんで毎回毎回ウチ白衣を取るんや! ええ加減にせぇや!?」

「だってタケナギの温いから……ひあっ……いだだだだだ!? は、鼻っは!? やめ……やめ、マダラザは変なところ触らんとって……いだだだだだだだだだ!?!?」

器用に咬冴から白衣だけを剥いだ嶽柳は異常がないことを確認し、羽織り、改めて咬冴に向き直る。

「ほんま、なんでピンポイントでウチの白衣だけ取ってくねん! あの部屋は他のやつの白衣もあったやろが!?」

「ふっふーん、ウチの鼻を舐めとったらあか……あいだだだだだだだだだだだだだ!!! だからっ、やめてぇや!?」

いつもの"お仕置き"に苦しむ咬冴に、思わぬ方向から救いの手が伸びる。

「ちょっと嶽柳さん、やりすぎなんじゃないですか?」

未だに咬冴に絡み付いている斑座である。咬冴の目が僅かな希望を抱く。

「マダラザ……!」

「嶽柳さんだけずるいですよ?」

「マダラザ?」

思わぬ方向に逸れた救いの手、もとい欲望の手が未だに己の体に巻き付いていることを思い出した咬冴は、必死の抵抗を開始する。
が、悲しきかな、12歳にして立派な機動部隊員ではあるが、歴戦の財団エージェントの前には文字通り児戯にしかなり得ない。

「こんのっ!」

最終手段の噛みつきも、斑座の手がぶれた瞬間にはもう咬冴の上顎と下顎が押さえつけられ、口内を晒すことになるだけだった。
己の無力を悟った咬冴はがっくりと項垂れる。

「わ、咬冴ちゃんの歯すごい綺麗」

が、しかし後ろから咬冴の顔を覗き込んだ斑座がそう言った瞬間、咬冴の体に活気がみなぎる。

「やろ!? サミオマリエでみんなからめっちゃ褒められてんで!」

「ちょろ……」

そんな嶽柳の言葉は彼女の元気の前には届かない。

「と言うか、私咬冴ちゃんのサミオマリエでの暮らし知らないなぁ」

「あれ、話さんかったっけ?サミオマリエはなぁ……」




珊瑚が建材として多数用いられ、幻想的な海底都市とも言うべき場所は、多数の鮫人とも言うべき者たちが住んでいた。
深海特有の静謐さに、美しい街並みは、さながら竜宮城のようで、見るものを圧倒させるだろう。

「ママナァァァァァァァァァァァァァァァア!」

そんな静謐な海底に怒髪天を衝く男の怒声が響く。

「お前は、またお向かいのルイエちゃんを泣かせたのか!?」

「なんでよ、お父さん! ルイエから殴ってきたの!」

父親が家に帰ってくるなり怒鳴りつけられるママナ咬冴。台所では母親がまたなのかと密かに頭を抱える。

「だってもへったくれもあるか! 手を出すなて何回言わせるんだよ」

「違うよ、ルイエがこの前の泳ぎっこに文句言うてきたもん! うちがぶっちぎりの一位やったのにやれ私の体調が悪いからだの潮の流れのお陰だの言ったから!」

「だから、手を出した方が負けだって何回も言ってるだろう」

「なんでよ! お母さん、お母さーん! なんか言ってよ! 絶対私悪くないって!」

「ママナ。あんたはたしかに強い子やけど我が強すぎるっていつも言ってるやろ?」

「んんー……、だって、あいつが……」

「ほら嘘泣きしとらんで早く謝りに行くぞ」

「いーやー! 嘘泣きちゃうもんー! うわー!」

子供同士の喧嘩、家族を巻き込んだ謝罪合戦。だが、明日にはもう何事もなかったかのように回る、そんな小さな世界。

そんな小さな世界の崩壊はあまりにもあっけなかった。滅びた理由は、海底火山の噴火でもなく、大地震でもなく、はたまた飢饉でもなく。


ただ、彼らがだからだった。


最初は誰もが民間の潜水艦だと思い、大人の男がなんとかしてくれる。そう思っていた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?」

「た、助け、助けぇぇぇぇぇぇぇ!?」

「あ、がぁぁ……?」

壊れる、壊れる、壊れる。
美しい街並みが、平穏な日常が、小さな世界が。
突如やってきたSPCと名乗る者達によって、彼らは見境なく、サミオマリエ人を殴殺していく。
それは、ママナとその父母も例外ではなく。

「逃げろ……ッ! 逃げろママナ!」

彼女の父親が必死に不気味な服を着込んだ何者かに抵抗している。既に複数の殴打を食らい、誰が見ても瀕死同然であったが、それでも立ち向かったのはひとえに家族への愛ゆえだった。
だが、そんな光景を目の当たりにしてママナは自慢の泳ぎもできず、一言も発せず、ただ、現実を受け入れられないでいた。

「逃げろ……逃げろッ!? 逃げてくれ、ママナァ!?」

「あ……あ……いや……いやや……お父さん……」

その時、急激にママナに横殴りの衝撃が加わる。驚いて目を向けると、それは身体中に痣をつくり、血まで流している母親だった。

「おっ、お母さん……お母さん?」

硬く目を瞑りながら決して振り向かない母親、急速に遠ざかっていく父親。ようやく現状を理解したママナが急いで父親に向き直った時に見たものは。
首を吹き飛ばされ、徐々に水面へと浮かんで行く父親だった。
その光景は、まだつ離れしたばかりの子供が受け入れるには、あまりにも辛すぎる光景で。感情がオーバーフローしたママナは、意識を失ったのだった。

次にママナが目を覚ましたのは、どこともわからない洞窟だった。

「お父さん、お父さん!?」

起きて早々、先程のショッキングな映像を思い出し、取り乱すママナ。再び感情がオーバーフローしそうになった時、ふと違和感に気づく。

「お、お母さん……?」

ママナをここまで連れてきた母親がどこにもいない。一縷の望みを賭けて海底洞窟から顔を出したママナが見たのは、奇妙な人達に囲まれ、ひたすらに殴打を受けている母親の姿だった。

「あッがッ……やめ、助げでェ……」

出血が酷く、出血跡からとうとう捕捉された母親は、最終的にママナを海底洞窟に置き去りにし、SPCの意識を惹きつけるため、彼らの前に躍り出て、決死の戦闘を挑んだのである。
しかし、SPCの特殊装甲の前になすすべもなく打ち倒された母親に、以前までの美しい母親の面影はなく、優しかったあの声色は影も形も見られない。
そんな光景を見て、無駄だと分かっていながら咄嗟に母親に手を伸ばしたママナが見たのは。


自分の右手の甲にある、赤い「逃げて」の文字だった。


「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?!?」

無我夢中で右手を抑え、悲鳴を上げながらその場から離脱するママナ。そんなママナの悲鳴を聞いて一斉に振り向くSPC構成員。母親も、最後の力を振り絞って絶叫する。

「逃げ、逃げでェ……ママナァ……ゲェ」

最後のカエルが踏み潰された様な声を境に、母親の声はもう聞こえなくなった。
いよいよ何も抑えられなくなったママナは、醜く足をばたつかせ、さながら溺れるかの様に離脱しようとする。そんな泳ぎ方で振り切れるはずもなく。

無慈悲にも彼らの手がママナに届きそうになったその瞬間、ママナの姿が消える。
驚倒するSPC構成員達。だが、すぐにママナを発見する。ママナは、海底への潮流に飲まれ、海溝へと真っ逆さまに落ちていくところだった。

1人の構成員が後を追おうとするが、皆がそれを止める。それもそのはず、このまま潮流に乗っていけば、戻ることは困難であり、また水圧も比じゃないほど跳ね上がることが予想されるからである。

こうしてママナは、得意の泳ぎを発揮することもできず、間一髪、運良く潮流によって助けられたのであった。




「もう……俺はダメだ……お前ら……俺を置いて……逃げろ……」

「そんな……」

「マジかよ……」

「しまったな……誰も気づかなかったってのか?」

「昨日と今日は珍しく色々忙しかったから……誰も注意してなかったんだろ」

「ダメだ、もう浮舟さんが限界です」

SCPSつきあかりの船内の艦長室にて、執務用机にへばりつき、死人の様な顔色をしているのは、SCPSつきあかりの艦長にして特殊部隊う-1("海鳥海賊団")の隊長を務める浮舟海うきぶねかいである。

「あー、やっぱ船酔いには勝てん……」

「おいおい、しっかしてくれや浮舟、艦長のあんたにへばられたらこっちまで不安なんやが?」

もう慣れたと言わんばかりのSCPSつきあかりの乗務員達の中から、唯一心配げな声が上がる。

「おー……嶽柳さん……すまん、ただの海洋調査だけなのにこんなことになっちまって……」

「別にそれは構わんがな。こっちかてそっちの業務を把握きてる上で同行させてもろてんねんから」

「いやぁ、普段はこんなことなんないんだけどなぁ。なんでこう言う日に限って遭遇しちゃうかなぁ」

「で、結局そのオブジェクトは無事に回収できたんか?」

「おぅ、その辺はばっちしだぜぇ、もうちょいで報告に来るはず……」

そう言い終わるのが早いか、艦長室の扉がノックされる。

「ほら来た」

「失礼します、報告です。一通り調査しました。特にこれといった異常性は確認されませんでしたね。しかしこちらに対してかなり警戒してる様です」

「あー、ならそのまま貨物室に詰めといてくれ、おい武器見、お前からサイトの方に連絡入れといて」

「了解です」

「なんや、知性あるオブジェクトなんか」

艦長の命令で、テキパキと隊員達が動いていく中、嶽柳は先程の報告に来た隊員に話しかけていた。

「はい。知性があると言うか、ほとんど鮫人間ですね。多分あれ言葉を喋ってるっぽいですし」

「ほーん、それ、今どんな状態? 見てもええ?」

「多分大丈夫だと思いますよ」

「じゃあ見させてもらおかな、浮舟、えぇか?」

「ああ、いいぞ……」

嶽柳が改めて浮舟に向き直ると、そこにはもう自分の役割は終わったと思ったのか、執務用机に白目を剥いて倒れこんでいる浮舟がいた。

「……酔い止め飲みや」

そう言い残して、嶽柳は艦長を後にする。


2人はしばらく歩いて、やがて廊下の突き当たりの部屋に到着する。

「で、ここがそうなんか?」

「はい、ここに臨時的に収容されてます」

扉を開けて中を見ると、確かに青白い肌をした、たしかに鮫人間というべき者が部屋の隅で震えている。

「てか全裸や無いか」

「まぁ、最初から何も着てなかったですし。それに発見した時、水圧とか潮の流れにやられて、体が結構グチャグチャだったんですよ。治療のためにも服は着せてませんでした」

「いや、もう終わったんやからなんか着させたれよ……」

「な事言ったって、この船、まともな服の方が少ないですよ」

「いや毛布とか……まぁいい」

そう言って、目の前の対象を観察する嶽柳。そしておもむろに口を開く。

「なぁ、この子、昨日回収されたんやな?」

「え、えぇ、はい。そうですね。丁度……29時間34分前です」

丁寧に懐中時計を確認してまで正確に伝える隊員。

「なら、今までこいつはずっと怯えとんか」

「んー、まぁ回収当時は気絶してたんで、治療が終わってから……まぁ少なくとも1日はずっとそんな調子かと」

「そうか」

そう言うなり、嶽柳はオブジェクトに対して、白衣を脱ぎながら遠慮なく近づいていく。

そしてそのまま遠慮なくオブジェクトに白衣を被せる。

最初は困惑し、振り払い、あまつさえ噛みつこうとしていたオブジェクトだが、全ての反撃がいなされ、何度も被せられる白衣にうんざりしたのか、はたまた無力を悟ったのか、次第に抵抗しなくなり、逆に白衣に温もりを求め始める。そしてそんなオブジェクトに、そっと寄り添い続ける嶽柳。

やがて眠りに落ちたオブジェクトを見て嶽柳は、静かに、決して起こさないようにオブジェクトを横たえる。

そして何事もなかったかのように出口の扉に向かって歩き出し、信じられない物を見たと言わんばかりに呆けている隊員に話しかける。

「ほれ、もう行くぞ」

「……ご両親?」

「誰が親や」




「で、うちがここに来てん」

「はー、そう言う経緯だったんですねぇ」

長話になるだろうから、腰を落ち着けようという嶽柳の提案によって、3人は嶽柳の執務室に来ていた。
思い思いの菓子と茶をつまみながら話を聞いていた斑座は、ほーっと溜息を漏らす。

「あ、ウチもうそろそろ見回りの時間やから、そろそろ行ってくるなー!」

「おい咬冴、パトロール専用の装備は身につけてけよ、前みたいに全裸で泳いどったら鼻じゃ済まさんからな」

「えぇー! んー、わかったぁ、行ってくる」

そう言ってぶつくさ言いながら給湯室を出ていく咬冴。
全くあいつはとぶつぶつ言いながら茶を飲み干す嶽柳。
給湯室の扉が閉まり、足音も聞こえなくなった時、斑座が目の前でぽりぽり菓子を貪っている嶽柳に話しかける。

「実際親心とか芽生えてません?」

「お前までそんなこと言うか?」

幾度と聞いたセリフに、嶽柳は半目で斑座をみやる。

「いや、嶽柳さんが咬冴ちゃんの世話引き受けてた時からずっと思ってましたよ、実際。ここのサイトに来た時、あんなにビクビクしてた咬冴ちゃんがあんな笑顔になってる時点でかなりでしょう?」

「ウチは日本語ぐらいしかあいつに教えとらんやろ」

「咬冴ちゃんのお風呂の面倒見たり歯磨きしたり服着せたり寝かしつけてたりしてたくせによくそんなこと言えますね?」

「だってウチ以外に立候補者が……うん、適正なやつがおらんかったやろ」

目の前の斑座を見て若干言葉を変える嶽柳。

「咬冴ちゃんを甘やかし尽くして私無しでは生きられない体にする計画を妨害されたのはまだ根に持ってますからね」

「英断やって言うてくれ」

はぁ、とため息ひとつで過去の怨念を脳内から吐き出す斑座。

「少なくとも、私たちから見て嶽柳さんと咬冴ちゃんは完全に親子ですよ、親子。少なくとも、咬冴ちゃんも嶽柳さんのことを親……とまでは思ってないかもしれませんけど、親戚の優しいおばさん程度には思ってるはずですよ」

耳が痛いと言わんばかりに耳にかかっていた髪をかきあげて頭を掻く嶽柳。

「確かにあいつが財団職員になってからは多少は見る目は変わったがやな……」

お門違いなんやがなぁと溢す嶽柳。

「嶽柳さんって罪作りな人間って言われません?」

「言われんなぁ」

「目を見て話してくれてたら信じたんですけどね」

「それよりも、や。話戻すが、咬冴は未だにああやって装備もつけずにパトロールしよる」

「露骨に話変えましたね」

「ウチはそれがいつか大ごとになりそうで怖い。財団は咬冴の能力を見込んで雇用しとるが、実際のところ、あいつには職員としての自覚も経験も足らん、だからウチは雇用することには賛成しても実践投入することは頑なに反対しとる」

「そうですねぇ、本当に親離れができないのは子供ではなく親だとも言いますよねぇ」

「……なぁ斑座、お前今日なんであの廊下におったんや」

嶽柳ずっと生暖かい目でこちらを見てくる斑座に少し腹を立ててそう言った瞬間、斑座は顔つきを財団エージェントの風格を漂わせるような、キリッとしたものに変える。

「そうですね、咬冴ちゃんに経験が足りないのは確かでしょう。しかし……」

「露骨に話題逸らすなや。とりあえずうちの目を見て話そうや」

「はは……任務があるので失礼しますニンムガアルノデシツレイシマス!」

迅速にこの場から離脱しようとする斑座。しかし。

「回り込まれてしまった」

「へっ、嶽柳さんさっきまでそこに座ってたんじゃ……」

「ウチを舐めすぎたな?」

「ちょ、まっ……」

嶽柳の説教と、咬冴のふれあい権を1週間剥奪された斑座の悲鳴が、固く閉ざされたドアによってサイトの廊下に響き渡ることはなかった。




「んー、泳ぎづらいぃ〜」

身につけているものを煩わしそうにしながら泳いでいるのは、パトロールへと向かった咬冴だった。

「ええやん、海とかどうせ水面からあんま見えへんねんやし……」

ぶつくさ言いながらスイスイ海中を泳いでいく咬冴。いつも通り、何事もないなと切り上げようとしたその時だった。

「……ん? んんん?」

彼女のロレンチーニ器官を備えた鼻に何かツーンと来るものがあった。そのなんとも言い難い感覚は、断続的に発せられている様だった。

「……?」

一抹の予感を覚えた咬冴は、鼻を指で擦りながら向かっていく。そしてその先で、咬冴は航行中の潜水艦を発見する。しかしその潜水艦は。

「……これ、財団の……?」

その潜水艦は財団が採用している物と同型であった。しかし、財団とは異なりあるべき場所に財団の紋章が見当たらない。
きな臭さを感じた咬冴は、嶽柳に持つ様に釘を刺されていた通信機器を取り出し、サイトに繋げる。

「……こちら機動部隊さ-21("噛み殺し")隊より咬冴。応答求む、どうぞ」

「……こちらサイト8148の主任研究員の嶽柳である。……どした? どうぞ」

「ん、タケナギ、今日って財団の潜水艦がここら近海で航行してるって話でてる? どうぞ」

お互い、顔見知りだとわかると口調を崩し、いつもの調子で話しかける。
音に混じって、誰かがすすり泣く様な声が聞こえるが、気のせいだろう。

「んー、そんな話はなかったはずやが……ちょいまちな」

しばらくカチャカチャという音とメソメソという音が響いた後、嶽柳がやや困ったように電話に戻る。

「うん、間違いない、今日にそこらで潜水してる潜水艦は無いわ。もうすぐオブジェクト積んだ奴は出港するが……なんでや? どうぞ」

「んー、パトロール中に鼻ツーン来てな、なんか気持ち悪いなぁ思って、そんでその方向辿って行ったら潜水艦がおってん、どうぞ」

「あぁ……? 座標は? どうぞ」

「座標も何も、サイトの目と鼻の先や。どうぞ」

「そんなところに潜水艦がおるとか、管制塔は何しとんねん? いや見つけられへん? ソナーやらスキャナーやら全部切っとんのか……? ……なんかきな臭いなぁ、その船の所属はわかるか? どうぞ」

「せやから、うちの見立てやったらあれ、財団の船っぽいねん。形とか、浮舟に見せてもらったやつと一緒やねん、どうぞ」

「……なんやと? ちょい待ち、管制塔と本部に連絡するわ」

そう言って通話を切り上げようとしたその時だった。小さい、それでも良く海中に響いたプシッという発射音と、咬冴の視界が赤く染まるのは、同時だった。




(え……痛……)

咬冴は自分の現状を正しく理解できずにいた。なぜ自分の肩に痛みが走るのか。この視界を埋め尽くさんばかりの血はなんなのか。あの潜水艦は。

そんな困惑が払拭されたのは、潜水艦から明らかに此方に敵意を向けながら迫ってくる、妙な装備についているその紋章を身につけた人を見た瞬間であった。咬冴の目があらん限りに見開かれる。


想起するのは、数年前のあの光景。咬冴から全てを奪い去った、あの悪夢のような。



……もう、繰り返さない!



咬冴の感情が激情に支配される。
水を蹴るようにして一気に加速する咬冴。


そして、咬冴の孤独な戦いが幕を開けた。


咬冴の冷静な部分が通信機の向こう側の声を聞こうとするが、彼女の激情がそれを許さなかった。

水中銃を何発も回避し、時には掠って血を曝け出そうとも、前進を止めることはない。

今、奴らをやっつけること。それだけを至上命題にして咬冴は動いていた。

優秀な機動部隊員ではあるが、まだ12歳分の人生経験しか積んでいない咬冴の弱点が、ここにきて最悪の形で露見したのだった。

当然、そんな自分勝手とも取れる無茶が通るはずもなく。

「……ぁ」

ついに咬冴の肩に銃弾が突き刺さる。
一気に機動力の落ちた咬冴を歓迎するように、水中銃が一斉に火を吹く。

何発もの銃弾に身を貫かれ、とうとう体の力が抜け、視界がぼやけてきた咬冴は、最後に通信機を手繰り寄せる……




「咬冴……? おい応答しろ、咬冴! おい、咬冴!」

「嶽柳さん、今、どうなって……!?」

「……多分やが咬冴が襲撃されてる」

「な……!? 咬冴ちゃんを失うのは人類にとってあまりにも大きすぎる損失ですよ!?」

携帯端末を握りしめ、絶叫する咬冴へあらん限りに叫ぶ嶽柳。

「咬冴ァ! 今すぐそこから離脱しろォ! 咬冴ァ!」

しかし、端末から聞こえるのは応答ではなく、激情に支配された絶叫と、水中銃の発射音だけである。

「くっそあいつ、完全に頭に血ぃ昇らせよってからに……!」

「……嶽柳さん、今すぐ本部に支援を要請しましょう」

それを聞いて、嶽柳本部に連絡しようと携帯端末の通話を切ろうとしたその時、携帯端末から吹けば消えてしまいそうなか細い声が響く。

「ごめん……ウチ……また、負けてもうたわ……でも、あいつら、潜水艦戻っていきよった……」

「な、お前、ふざけんなよ! 勝手なことしとんちゃうぞ!?」

それ以降、何も喋らない咬冴。それでも、電話の向こうからかすかに音が聞こえる音を必死に拾おうと携帯端末を耳に押し付ける嶽柳。

「クソッ!」

そう吐き捨て、荒く呼吸をした後、深呼吸して逸る気持ちを抑えた嶽柳は、携帯端末を耳から離して斑座に問いかける。

「斑座、今、この状況をどう見る?」

「どうもなにも……咬冴ちゃんが財団職員が正体不明の勢力……咬冴ちゃんが理性を失うほどの団体……多分、SPCに襲われてるかと」

「こんなところにSPC来るか、普通?」

「聞きつけたんでしょうよ。サミオマリエ人の生き残りがいる、と」

さまざまな情報が錯綜する嶽柳の脳内。その中で一旦弾き出された結論が半ば現実逃避じみたものであると理解しつつも、嶽柳は口を開く。

「パトロール中の職員が偶然要注意団体に襲われ、殉死……」

「?」

いまいち話が見えない斑座は困惑しながら嶽柳に目線をやる。

「今、ここで財団側の機動部隊員1人が死ぬのと、どの勢力かもわからん要注意団体と事を構えるんは……」

「嶽柳……さん?」

「財団にとって有益なんはどっちや?」

「嶽柳さん!?」

片手で顔を隠しながらも、こちらをまっすぐに見据える嶽柳のその真意に気づいた斑座は絶叫する。

「待ってください!? 彼女は保護すべき……そのっ、異常存在では!? 十分に救助する理由になり得る!」

「理由の話やない。損得の話や。」

「財団職員として、優秀な彼女を失うには損失が!」

「彼女も言ってまえば一端の財団職員や。救助する際の被害と比較してみぃ」

淡々と、己を押し殺すように、言外に彼女が見捨てられるべき存在であり、本部から救助の許可が降りないだろうと、そう答える嶽柳。

「……ッ、それで、それでいいんですか!? 彼女がここで見捨てられるべき存在だと!? 財団職員だからと使い捨てのような存在でいいと!?」

「ウチかて、この立場に上り詰めるまで、なんの犠牲もなかったなんぞ口が裂けても言えん。現状、ここの研究を管轄する者として、危ない線は渡れん」

「嶽柳ッ!? 貴方!?」

「斑座、お前今日のここのサイトに居た件と言い、その意見と言い、自分勝手すぎひんか?」

「薄情なのはどっちだァ!?」

沈黙が降り、膠着する執務室。

やがて、嶽柳が携帯端末を耳を当て、目を閉じて思考に耽る。嶽柳の脳内は、一度言葉を交わしたことで冷静になったのか、不気味なほどによく回った。

やがて、嶽柳の頭の中で1つ推論が弾き出される。
目を開いた嶽柳は携帯端末を耳から離し、そして咬冴との通話を切る。

それが、斑座には嶽柳がとある決断を済ませたように見えて。

「……ッ!」

斑座は強く唇を噛んで嶽柳を睨みつける。
そんな斑座の視線をさらりと受け流した嶽柳は部下に電話をかけ、あることを確認した後、自分の推論が間違いないことを確信する。そして電話を切った携帯端末を操作して、電話を繋げる。

「本部へ、こちらサイト8148主任研究員の嶽柳です。要注意団体によるサイト8148への襲撃を報告します」

思わぬ言葉が嶽柳から飛び出し、斑座は驚愕する。要注意団体による襲撃とはどういうことか。


「相手の所属は不明。しかしサイト8148は今現在も何者かからハッキングを受けています」

「また彼らはサイト8148近海の海底の潜水艦にて活動しており、またパトロール中だった財団職員を襲撃しています」

「迅速なる推定要注意団体によるハッキングへの対処と負傷した財団職員の救護によるサイト8148全体の行動許可を要求します」


そう言い切った嶽柳を見て、斑座は全身に鳥肌を覚えた。

そして電話を終えた嶽柳は、一言。


「ほな、助けに行こか」


そう言って部屋から出ようとする嶽柳。

「あの、嶽柳さん」

「なんや?」

「あの、すいませんでした。つい、感情的に……」

嶽柳を呼び止めて、頭を下げる斑座。

「ん、ウチも冷静やなかった。斑座の怒りももっともや」

「その、嶽柳さん。どうしてサイトがハッキングされてると分かったんですか?」

そう問われた嶽柳は、時間がないから歩きながらだと言わんばかりに歩き出す。
慌てて後を追う斑座。

「お前はこの襲撃がSPCによるもんやと推測したな」

「はい、咬冴ちゃんがあそこまで取り乱すのは、それしか考えられなかったので」

「でも実際、咬冴は水中銃で撃たれたし、そのまま放置されてるやろ。咬冴が喋らんくなってから耳澄まして向こうの音聞いてたけど、誰かが殴られてるような音はせんかったからな、SPCが襲撃してたんならおかしいわ」

自分が詰め寄っているときに電話を耳から離さなかったのはそういうことかと納得する斑座。

「んでハッキングに気づいたんは……咬冴が気色悪い感じしたって言ったときやな。その時から引っかかってた」

「何がです?」

「あいつはその気色悪い電波を辿って潜水艦を見つけたって言うた。でもあの距離まで近づいても管制塔が察知できんように、ソナーやらスキャナーやらをあの潜水艦はつけてなかった。せやのにあの船からは何かしらの電波が出てる……んで、何かしら異常がないかを確認させたら、ビンゴやったっちゅうわけや」

「……なるほど」

斑座は、あの混乱の中で情報を整理し、ほぼ正確に見抜いてみせた嶽柳に舌を巻く。

「でも待ってください。SPCじゃないなら、咬冴ちゃんはなんであんなに激情に駆られたんでしょう?」

「……そら、本人に聞かなわからんやろ」

「でも嶽柳さんはおおよその当たりをつけてるんでしょう?」

「まぁな」

「それを教えてくださいよ」

これは推測やがな、と前置きしてから嶽柳は続ける。

「あいつはSPCはたしかに恨んでるけど、その根底にあるもんは怒りやないと思うんや」

「え? 怒りじゃないっていうなら、何だっていうんです?」

「怯えや。大事な場所や物、人を失うっちゅうな」

そう言い切る嶽柳。

「もう、無くしたくないんやろうなぁ。あいつの話とお前の見立てを聞く限り、ウチはそう思うわ」

自分勝手な、後で説教だと決してこちらを見ずに、ぷりぷり怒りながら歩く嶽柳。
恐らく核心をついているだろうという確信がある斑座は、一つ息を吐く。

「はぁー……やっぱり子供の気持ちってわかるもんですか?」

「いやだから誰が親じゃ」




臨時的な作戦司令部となったSCPSつきあかりの一室にて、嶽柳率いるサイト8148の職員と、浮舟率いる機動部隊"海鳥海賊団"による最終的な作戦の確認が行われていた。

「嶽柳さんの話を聞く限り、どの程度まで被弾したかは分かりませんが、即死していないと考えて、また急所にも当たっていないと考えるならまだ猶予はあります。猶予と言っても、あの世一歩手前です」

「それは分かってる、その上その今から後猶予はどのぐらいある?」

「恐らく、30分ほどかと」

「ギッリギリやなおい……でも分かった、咬冴が撃たれた地点は幸いにもそんなに遠く無い、まだ間に合うやろ。で、敵対勢力の潜水艦やが……」

「現状、未だ管制塔が敵対勢力の潜水艦を発見できていないことから、咬冴隊員の証言通りなら、未だ同じ場所に止まっているでしょう」

「ん、ウチも同意見や」

「今回、敵対勢力の鎮圧と咬冴隊員の救助を並行して行うのでしょう? なら鎮圧部隊と救助部隊で分断した方が……」

「いや、敵の伏兵がおらんとも言い切れへんし、別働隊が狙われて人質にされても敵わん、救助隊と鎮圧隊は同時に行動した方がええと思う」

「なるほど、一理あります……が、浮舟さん、鎮圧隊の方は大丈夫なのでしょうか?」

「そうだな、装備をかき集めさせたが、対武装潜水艦を相手取るには些か不安が残る。もしかしたら逃げられることもあるかもしれんが……」

「そうか、しゃあない、なら今回は相手勢力の無力化よりも相手の作戦の妨害とこっちの作戦の補助に主観を置いて……」

「おいおい嶽柳、人の話は最後まで聞け。確かに今ここにある装備で相手取るのはなかなかに厳しいものがある。だが……あえて言わしてもらうぞ。俺たち"海鳥海賊団"は相手勢力を無力化させる。だから、お前らは存分に咬冴ちゃんを捜索してくれ」

「……はっ、分かった。そこまで啖呵切ったんやから、しくじんなよ」

「お前も……絶対に助けろよ」

「あたまえや」

そう言って不敵に笑いあう2人。

「作戦はこれで行こうと思う、何か異論があるやつは?」

そう言って部屋にいる人を一人一人見渡す嶽柳。
沈黙をもってこの作戦を承認されたとして一つ頷いた嶽柳は、浮舟に話しかける。

「よし、浮舟、全員集合させてくれ」

「あいよ」

次の瞬間、浮舟が窓の外に向かって口の中に親指と人差し指で作った輪っかを突っ込んだと思えば、耳をつんざくような口笛が辺りに響く。
その瞬間、先程まで慌ただしく準備に奔走していた隊員たちと、嶽柳がサイトから引き連れてきた職員たちが甲板に整列し、前にいる嶽柳を真っ直ぐに見据える。
そんな視線を向けられても物おじせずに、声を張り上げる嶽柳。

「これより、サイト8148における、ハッキングの反抗作戦並びに咬冴隊員の救助活動を開始する! 鎮圧隊は迅速なる制圧を! 救助隊は早急なる保護を! 各員、一層奮起せよ! 作戦開始時刻、16時14分25秒! 作戦開始ッ!」


サイト8143が、動き出す。


「ヨーホー! 宝船だぁ! 野郎ども、根こそぎ奪えーっ!」

フックの手で空を刺しながら、ノリノリの号令をSCPSつきあかりの甲板から発するのは浮舟である。
そしてもはやその号令の前から、潜水艦に襲いかかる隊員達。

そんなどっちが襲撃者であったかを忘れさせるような光景を尻目に、嶽柳率いる咬冴救助隊は、必死の捜索を続ける。

水中銃によって複数の銃撃を受けている咬冴の命は、デッドラインがすぐそこまで迫っていた。

「時間から逆算しても潮でそこまで流されてへんはずや、咬冴が潜水艦と接敵した地点から南東方向を重点的に探せ」

「300°方向、見当たりません、同じく315°、330°もです」

「あいつが浮いてるとは限らん、水面ギリギリから海底の隙間まで隈なく探せ」

「作戦開始から20分経過致しました! あと10分がデッドラインです!」

「んなこたぁわあっとる! 血ぃ流しとる筈や! よぅわからん靄がありゃあなんでも構わん、報告せぇ!」

てんてこ舞いの船内、救助隊の健闘虚しく、ただ時間が過ぎていく。
そして時計の秒針が無情にも8周を越えた、その時だった。

「……大きな魚影……ッ! 居たッ! 発見しました! 332°方向、推測水深8m付近に居ますッ!」

「でかしたァ! 救助艇に報せ!」

『こちら救助艇2-1、座標を確認しました。これより急行します』

バッと仰ぎ見るように時計を見る嶽柳。
その時計の秒針は既に8周を回り切り、9周目に差し掛からんとしていた。

「……あとは祈るだけやな……」

そう言って、嶽柳は時計から目を外し、そして目を閉じた。




「いやぁ、長く苦しい戦いでしたねぇ斑座さん」

SCPSつきあかりの上で飄々とそうのたまう浮舟。彼が未だ船酔いしていないという事が、この一件の程度を示していると言えるだろう。

カオスインサージェンシーとは言え下っ端でしたし、こんなもんでしょう。本部からしたらがっかりでしょうけどね……というか浮舟さん、なんでここに?」

「いやぁ、手持ち無沙汰になってね。ていうか、嶽柳さんがめっちゃ鬼気迫った感じで指示出しまくってるから、正直邪魔になっちゃって」

「回収された咬冴ちゃんの治療は?」

「もう峠は越えたらしいよ。目は流石にまだ覚まさないだろうけどね。ウン年前を思い出したよ。……にしても、サイト8143がハッキング受けてるって聞いた時は軽くビビったんだけど……どうやって気づいたの?」

そう聞いてくる浮舟に、斑座はこの船に乗るまでに嶽柳から聞いていた事を話す。

「……やっぱりご両親じゃないか」

「ですよねぇ」

その後もたわいのない会話を続けていたが、船酔いタイムリミットが来てしまった浮舟が船内に戻って行ったことによって手持ち無沙汰になった斑座は、治療が終わったという咬冴の元に向かっていた。

「あ、お疲れ様です。咬冴ちゃんの様子を見に来ました」

「ああどうもお疲れ様です。もうあらかた処置は済んでますけど、普通に重体ですから騒がないようにしてくださいね」

「了解でーす」

注意を受けながらも部屋に入った斑座は、即座に部屋の真ん中に、目的のそれを発見する。

「……やっぱり親じゃないですか」


そこには、仰向けに寝かされている咬冴と、その咬冴に優しく温もりを与える、所々ほつれとくたびれが見られる白衣が、船の窓からの夕焼けで優しい赤に染められていた。

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