財団落語 即興SCP三題噺『言霊使い』
rating: +33+x
blank.png

(出囃子)

えー、本日はお日柄も良く、昨今の情勢の中で足を運んでいただき感謝の限りで御座います。笑う門には福来たる、笑来亭ふしぎと申します。以後お見知りおきを。それでは早速では御座いますが、今日はなんの噺をしようか。…ほぉ、『芝浜』ですか。こりゃまた良い噺ですな。
えー、男なんてのはいつの時代も変わりません。酒と博打と…。…お客さん、そいつぁ野暮ってもんですよ。今日初めて落語を観に来たって人もいるかもしれません。演目の先を言われちまいましたらね、初めての人は「ああ、この噺家は内容を客に憶えられるくらい同じ噺ばっかり演じてんだろうなぁ。」と思ってしまいますよ。まぁ、同じ噺ばっかり演じておまんま食ってるのが噺家なんですがね。

(笑い声)

ありがとうございます。そも、落語家ってのは得意な噺を1つや2つは持っているもんです。いくつも噺を憶えてみても、初めて憶えた噺やら、弟子入りの切っ掛けになった師匠の得意な噺やら。若い頃、ケツの青い時分に心に残った噺が不意に口から紡がれるのは噺家心に人心。人の青い心と書いて人情となるので御座います。
私も少なくはない噺を心のネタ帳に忍ばせておりますが如何せん、今日は落語のプロが客席にいらっしゃる。どの噺も枕の部分で内容をピタリと言い当てられてしまうことでしょう。商売上がったりで御座いますな。
しかし、そこで引いては噺家の名折れ。ここは1つ、落語のプロも知らない噺をさせていただこうかと思います。皆様は"三題噺"をご存知でしょうか? …ええ、ええ、流石はプロの旦那さんだ。その通り、お客様からお題を3ついただきまして、その場で即興の落語を披露するって代物です。なんの因果か、先程リクエストいただいた芝浜も元は三遊亭圓朝の三題噺から生まれたと言われている噺なので御座います。いかがでしょう、たまにはこんなエンターテイメント性の溢れる落語なんてのも…ありがとうございます。ありがとうございます。それでは、お題を頂戴させていただきます。
では…そちらの髪の長いお嬢さん。…『子猫ちゃん』ですか。なんとも可愛らしく、それでいて噺を自由に広げやすそうなお題ですな。ありがとうございます。
お次は…そちらの革のお召し物のお兄さん。はい。…何と? くすの? 漢字は? …はいはいはい。『久斯動物医療センター』ですか。動物病院といったところなのでしょうな。お兄さんの…あ、ワンちゃんが。…ほう、骨折が1日で治ったと。それはまたなんとも不思議な動物病院ですな。お兄さんは落語家の才能がある。ふむ、子猫ちゃんのお題に引っ張られてしまったようですが、不思議な動物病院ともなればそれを生かさぬ訳にもいきますまい。ありがとうございます。
最後は…プロの旦那さん。ここまでのお題を踏まえて最後のお題をいただけたらと。…ほっほう、『続きはまた今度』ですか。あえて台詞で攻めてくるとは、これはまた意地も悪けりゃ容赦もないお題で御座いますな。流石はプロの御仁だ。
さて、これにて3つのお題が出揃いました。
『子猫ちゃん』
『久斯動物医療センター』
『続きはまた今度』
これらのお題、繋げて混ぜて捏ね繰り回し、見事1つの噺となれば、どうかどうか万雷の拍手をば。

この演目、題して『言霊使い』。


古来より、言葉には魂が宿ると言われております。良い言葉を口にすれば吉報が、悪い言葉を口にすれば凶事が降りかかる。なに、特に珍しいものでも御座いません。しかし、姿も形も見えない言葉には本当にそれだけの力があるのでしょうか。
皆様の身近にも言霊は存在しております。例えば自分に叶えたい願いがあったとすれば、口に出すと叶いやすくなるって話があります。これは言葉にすることで自分の頭の中だけでふわふわと妄想していた願望をより明確に想像し、達成までの道筋を組み立てやすくする効果があるのだそうです。自分の口で言って、自分の耳に聞かせている。自分に言い聞かせているわけなんですな。反面、自分の何気ない一言が誰かの耳に入り、その人の心を、魂を深く深く傷付けてしまうかもしれません。
見えず、触れず、無色で無形。そんな言葉の力が少しずつ見えてきました。
言葉は力。私のような言葉を商売道具にしている噺家にとって、言霊を使うということは、それはそれは細心の注意が必要な事なので御座います。
皆様も、御自分の発言には責任を御持ちください。何処かの誰かの心を、魂を…傷付けてしまうかもしれないのですから。

「八っつぁん! 起きてんだろ八五郎!」

「やめろ熊五郎! 戸が壊れるだろうが!」

「こんな貧乏長屋の戸なんざどうだっていいんだよ! それよりも八っつぁん! 大変なんだよ! 聞いてくれって!」

「誰も聞かねぇとは言ってねぇだろ! 何があった!」

「それよりまずは水をくれ。」

「いいか熊公。人に話を聞かせてぇってんなら、それなりの手順ってもんがあるんじゃねぇのか? それを人んちの戸をぶち壊そうとして水まで貰おうってんだ。しょうもねぇ話だったら承知しねぇぞ!」

「承知するよりまずは水だぜ八っつぁん。喉がくっついて話したくても話せねぇや。」

「わかったわかった。そこの水瓶から勝手に飲みやがれ。」

「ありがてぇ。」

「そんで熊公。一体全体なんだってんだい、そんなに慌てて。手前ぇの死体でも身請けするのかい?」

「それじゃあ粗忽長屋じゃねぇかよ八っつぁん。」

「そういやそうか。まあ今のままなら、こっちの熊五郎の方が幾分か粗忽者に見えてくらぁ。」

「向こうの八五郎の方が熊五郎にゃあ優しそうだったぜ。」

「で、落語の話でもしに来たってのかい? 違げぇだろう?」

「応よ応よ。この俺の身に起こった奇妙奇天烈な話を耳の穴ぁかっぽじってよぉく聞いてくれよ八っつぁん。この俺、熊五郎は…神通力が使えるようになったんだよ。」

「そうか。帰ぇんな。」

「何でだよ八っつぁん!」

「何でも糞も無ぇんだよ! 何が神通力だ。女房かみさんもいねぇのにお前が神さんの力が使えんのかってんだ。」

「使えるんだから仕方がねぇだろう!」

「お前なぁ、百万歩譲って神通力みてぇな人非ひとあらずの力が使えたとしてやろう。でもな、神に通ずる力だぞ? お前ぇみてぇな兵六玉が使える神の力ってのは、どんな力だってんだよ。」

「…言霊だよ。」

「…何ぃ?」

「言霊だ。俺は口に出したことが本当になっちまうんだよ。」

「…言霊ねぇ。」

「言霊だ。俺は口に出したことが本当になっちまうんだよ。」

「聞こえてんだよ! しかし、まあ、言霊? 言ったことが本当になるってんなら、俺なら真っ先に八目辻の酒屋のツケを帳消しにするがなぁ。」

「そこが妙なんだよ。」

「妙? お前ぇさんのしけた顔よりかい?」

「俺の言ったことでも本当になることと、ならないことがあるんだ。」

「そんなん当たり前だ馬鹿野郎! ガキの下駄占いみてぇなもんじゃねぇか。下手な鉄砲も数打ちゃいつかは当たるもんだろう。」

「違う違う。当たるとか当たらないとかじゃなくて、なっちまうんだよ。」

「さっきっから全くもって的を射ていない話をするなぁ。数打ってんだから一発くらいは的に当ててくれ。」

「わかったよ八っつぁん。最初から話すぜ。」

「帰ってくれてもいいんだぜ熊公。」

「今日の昼時の話だ。俺は上手い魚でも食おうと道を歩いていたんだが、ふと橋の上に女がいたんだ。」

「女?」

「それがまたとんでもない別嬪さんだったんだ。」

「ほうほうほうほう。別嬪さんときたもんだ。それが天女だったってんじゃあなかろうな。羽衣は持ってこなかったのか?」

「違うって。いや、天女みてぇな人だった…人だったんどけどなぁ…。」

「歯切れが悪ぃなぁ。砥石を貸してやるから、なまくらみてぇなお前ぇのその歯を研いでみるか?」

「腰の括れが艶かしくってよぉ…。目がクリクリッと黒真珠みてぇにキラキラ輝いててなぁ…。」

「黒真珠なんざ見たこと無ぇくせに。」

「おっ母の簪に付いてんのを見たことぐらいあるんだよ。見たこと無ぇのはそっちだろう?」

「そんで、黒真珠の女がそれからどうしたよ。」

「ああ、そんな良い女がいるってんだ。声をかけにゃあ男が廃るってもんよ。」

「女日照りでとっくに熊五郎村は廃れてんだろうが。」

「丁度の飯時。声をかけるにいい理由があるだろう。おう、そこの『子猫ちゃん』。美味い鰯でも食べねぇかって声をかけたのさ。」

「こいつぁとんだ色男がいたもんだ。歯の浮く台詞にさぶいぼが出すぎて鰯の鱗みてぇになっちまったよ。そんな軟派な男もそうだが、そんな男に着いていくのは鰯よりも弱い頭の持ち主だろうさ。節分の日に柊と南天を持って家に来てくれりゃあ、お前さんは人気者だぜ鰯頭の鴨葱野郎。」

「よせやい、照れるじゃねぇか。」

「褒めてねぇよ。」

「それで、子猫ちゃんの話に戻るんだがな。」

「戻すな戻すな鰯野郎。魚は後ろにゃ泳げねぇよ。」

「本当に子猫になっちまったんだよ。」

「…はあ?」

「だから子猫になっちまったんだよ。別嬪の嬢ちゃんが、雷さんの瞬きぐらいの刹那に猫になっちまったんだ。」

「なんだそりゃ?」

「なんだそりゃは俺の台詞だっての。急に人が猫に変身しちまったとくれば、あまりのことに腰を抜かしても可笑しくなかったところよ。」

「つまりはなんだ。人が猫に化けたのかい? 物の怪の類いか何かか?」

「俺も最初は猫の化性に違いないと思ってな、近くの人に声をかけたんだ。おい、この猫は女が化けなかったか、と。するとどうだい。その人も猫になっちまったんだよ!」

「そんな馬鹿な話があるかい!」

「あるんだよ! 俺はこれで確信したぜ。これは物の怪の仕業ではなく、この俺の言葉で化けさせたんだってな。つまり、俺は人を猫に変化させる神通力の使い手…そう、俺は言霊使いになったんだ!」

「…人を猫に? 他の物には変化させられなかったのかい?」

「ここに来るまでに色々と試したんだよ。猫は何度か成功したが、他は土瓶も茶瓶も犬畜生にも変わりゃしねぇ。」

「しかし、猫…猫か…。」

「信じてくれねぇのかよ八っつぁん!」

「信じねぇとは言ってねぇだろ! ちょいとばかり気になることがあってだな!」

「わかったぜ、わかったぜ八っつぁん。そこまで言うなら俺の言霊で目にもの見せてやるぜ!」

「待て待て待て待て粗忽者!」

「八っつぁんよ、猫になれぃ! お、おおおおっ! ほら、ほら見たことか! 八っつぁんが鉢割れ模様の猫になっちまったじゃねぇか! なんでぇなんでぇ、やっぱり俺は言霊使いだぜ! 八っつぁんも猫になっちまった! 見ろよ八っつぁん! …あ、自分の姿は見えねぇか。」

「熊公。」

「しかし、この神通力、人を猫にできたところで何ができるんだ? 見世物小屋…俺が見世物になるだけじゃねぇか! おいおいおいおい! どうすりゃいいんだよ!」

「おい熊五郎!」

「うひゃあ! あ、お、おい、まさか今しゃべったのは八っつぁんかい? なんでぇなんでぇ! 流石は神に通ずる力だぜ! この力をくれた神さんは話が通ずるお人だよ! 一番欲しかったものをくれたんだからな! 充分に見世物になるじゃねぇか! 早速明日にでもドサ回りに行こうぜ八っつぁん!」

「本当に粗忽者だなお前ぇさんは。いいか熊公。お前ぇさんは。勘違いしてやがるぜ。」

「勘違い? 一体全体何がでい?」

「俺は元から猫だろう?」

「…は?」

「猫になるって聞いてまさかと思ったが、逆だ逆。お前ぇさんには人間に見えてたのかも知れねぇが、別嬪も道行く人も、何より俺も、最初っから猫だったんだよ。」

「何を言ってんだよ八っつぁん…。八っつぁんが猫だってんなら、何で俺と話ができてんだよ! それこそ俺が言霊使いだからか!」

「前提条件が間違ってたんだよ熊五郎。」

「何がだ!」

「お前も猫なんだよ。最初っからな。」

八五郎の言葉と同時に熊五郎の視界はぐにゃりと歪み、意識が定まった時には熊五郎のいた粗末な長屋の一室は消滅し、消毒液の匂いに満たされた清潔感のある白い病院の診察室に変貌していました。

「熊五郎さん、大丈夫ですか?」

熊五郎の目の前には猫用の白衣を纏った鉢割れ模様の猫…八五郎がいました。

「八っつぁん…いや、先生…あ、八五郎先生だ。ああ、俺はまた自分を人間だと思って…。」

熊五郎が自分の手に目をやりますが、その手は黒く短い毛に覆われていて桃色の肉球が際立った…猫の前足でありました。

「大丈夫ですよ熊五郎さん。前回よりも短い時間で正気に戻っています。治療も進んでいる証拠ですよ。」

「でも…こんなに現実と妄想がごちゃごちゃと混ざり合って、俺は猫なのか人間なのか…いるはずもない言霊使いなんてものに心を掻き乱されて…。」

「不安に思う気持ちもわかります。ですが、熊五郎さんと同様に幼猫期から人間と暮らし続けたことで自分を人間だと思い込んでしまうようになってしまった症例の方を何匹も治療してきた実績が当医院、『久斯動物医療センター』にはあります。安心して治療を続けていきましょう。」

「…はい。」

「それに、今回は熊五郎さん診察室に入る前に他の猫の患者さんをナンパしましたからね。ちゃんと猫へ猫として発情できた証拠です。」

「途中までは人間だと思っていたんですよ?」

「最後は猫だと認識できたじゃないですか。猫の本能で猫だと察知していたんですよ。当院の人間の看護師に興奮していた頃に比べれば大分猫に比重が置かれているはずです。」

「そうなんでしょうか…。」

「ここまで育ててくれた人間の御両親のために、猫とのお見合いを成功させたいんでしょう?」

「それは…はい。人間と猫、家族の皆で両親の好きな落語を観るんです。」

「その意気です。とりあえず精神安定剤は前回と同量処方しますが、マタタビは量を減らしてみましょうか。少しずつ慣らしていきましょう。」

「はい。」

「では、本日は以上になります。治療の『続きはまた今度』の診察の時に。熊五郎さん、お大事に。」

「あの、八五郎先生?」

「なんです?」

「先生は何で猫なのに精神科医になろうと思ったんです?」

「何で…ですか?」

「猫なんて縄張り意識の強い動物で、俺達みたいに人間と同じように生活してきた奴らでも自分勝手なのが多いのに、先生は他猫のためにここまで親身になってくれてさ。感謝してるんだけど、なんでかなって思って。」

「ああ、そうですか。それなら簡単です。」

「なんでなんですか?」

「私、言霊使いに猫にされた…元人間なんですよ。」

お後がよろしいようで。


事案記録: SCP-409-JPのより安全な収容を目的とした新プロトコル策定のための実験中に発生した事案の記録です。

実施者: D-22856
実施内容:芝浜1」をリクエスト
結果: SCP-409-JPは「芝浜」を演じようとするが、客席より一般人男性が内容を簡潔に説明したため口演を中断。その場で選出した客席の一般人3名から『子猫ちゃん』『久斯動物医療センター』『続きはまた今度』のお題を貰い即興で落語を演じる。口演終了後、来場者24名は全てイエネコ(Felis silvestris catus)に変化し、会場に突入したエージェントらによって保護された。
インタビューの後、治療のため久斯動物医療センターへ搬送されたが現在まで治療の目処は立っていない。
治療費確保のため精神科医の資格を有していたD-22856は久斯動物医療センターで動物専門の精神科医として活動していることが報告されている。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。