財団最速の男と改造技師
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「ああっクソッ……」
エンジンの故障で動かなくなった愛機、ベスパを自らの脚で動かしながらエージェント・速水は呟く。その語調は苛立たしげだった。ただツーリングをしていたらこの有様だ。
「はあああ……スピード……スピードが……」
速水がぶつぶつと呟く。酷いスピード依存症である彼にとっては歩く事さえ苦痛なのだろう。手が震えている。試しにもう一度バイクのエンジンをふかそうとした。が、結果は同じだ。全く動かない。
「スピード……スピード……スピードスピードスピードスピード!!」
もう一度エンジンをふかそうとする。動かない。その動きには苛立ちが見られる。もう一度。動かない。……もう一度。動かない。
「あああああああクソ……んだよ……」
速水は肩をがっくりと落とし、ため息を吐く。ここからサイト-81██までの距離はどのくらいだろうか。一旦戻って修理をしなければ。今月分の給料が財布から半分は飛んで行くだろう。嗚呼……欲しかったバイクのパーツへの道のりがまた遠のいて行く……。

その数十分後。やっとサイト-81██に着いたエージェント・速水の脚はがくがくと震え、息は乱れ、手は薬物中毒者のごとくぶるぶる震えていた。重篤なスピード不足のせいだろう。
「スピード……アアアーッ……スピード……」
と、速水は理性のタガが外れつつある獣のように呟く。はやく。はやく愛機を直さねば。スピードを。スピード。スピードスピードスピードスピードスピード……頭の中でスピードを連呼しながら早歩きでサイト-81██内の電気設備室に直行し、扉を開け、入る。自らの愛機を持って。
「ほほう!そういう事ですか!それならご安心を、四時間程度で終わりますよ!」
電気設備室に入った途端に聞こえたのはわくわくしている初老の声だった。ぼんやりとしていた視覚をはっきりさせ、前を見ると、いつもの技師達の中に見慣れぬ作業着の男が居た。どうやら作業内容を説明されているようだ。
「ああああ、あの、う……スピード……俺の愛機が壊れたんで、スピード、直してほしいんスけど……」
か細く、震えた声だ。誰も聴いてはくれやしまい……と、思いきや、見慣れぬ作業着の男が振り向いた。声の通り、初老の男性だ。防護用の眼鏡をかけているが、皺の刻まれた顔からは優しげな印象を受けた。
「愛機が壊れたってぇ?任せと、……うん?」
「あれ……?」
見慣れぬ男と、速水の訝しげな声。
「お前さん、どっかで会ったかね?」
「こっちこそ、どっかで会ったッスかね……?」
俺の親父に似ている。速水はそんな事を思った。その思考はすぐに掻き消え、早く愛機を直して欲しいという思いに変わった。
「そ、それより、愛機を直してくれるんスか!?」 「おうよ!ただ、今のこっちの修理要請が終わったらな!」
「お金はいくらで……?」
「ああ、ビタ一文要らん!そもそも修理ってえだけで俺が報酬貰ってるようなもんだ!」

アイツは俺の息子に似ている……早めに財団側の作業を終わせ、バイク修理作業に取り掛かろうとする濃緑の作業着の男――木場購買長はエージェント・速水の愛機であるそのベスパを眺めつつ、そんな事を考えている。その口元では煙草を咥え、紫煙をくゆらせている。速水のバイクの修理をしてやると言ったら周囲の技師達が猛烈に反対をしていたが、何かまずい事でもあるのだろうか。
(確か……エンジンの故障だったな。多分焼き付きかなんかだろう)
慣れた手付きでバイク本体からエンジンを取り外し、セッティングをして修理に入る。暫く弄って、故障の原因は何かを調べる。原因が分かればその対処を行う。的確に、しかし素早く。……(ついでに簡単に弄ってやろうかね)
……「終わったぞ。ついでに簡単な改造もしてやった」
作業内容を近くでまじまじと見ていた速水に向かって木場は言う。
「あああああスピード!!あざッス!!スピード!!」
おあずけを解かれた犬のごとく速水はバイクに駆け寄り、ハンドルを両手で持つと足早に外に出て行ってしまった。
「あぁあ、おい!待て!」
その後を木場は追う。そして追いついた時には、速水は既にバイクに跨っていた。
「フウウウーッ……ああ、イイ、イイぜ……良くなってきた」 「ちょっと待て!まだ試運転が……」
「素早く、クールで、完璧に……」
速水はそう呟き、トランス状態に入る。他者の言葉は最早耳に入らぬだろう。
「俺は財団最速の男ッ……!」
エンジンをふかす音。スクーターとは思えぬ獰猛な音が周囲に響く。
「エージェント・速水!ゴッド!スピィィィイド!!」
そう叫び終わった時には、もう速水の姿は見えなくなっていた。
後に残されたのは、強烈なエンジンの残響音と、呆然とする木場だけだった。

数日後。
「ああっクソッ……」
エンジンの故障で動かなくなった愛機、ベスパを自らの脚で動かしながらエージェント・速水は呟いた。

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