苦渋の味わい

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「管理官、珈琲コーヒーをお持ちしました。」

「有り難うな、お嬢さん。」

サイト-50管理官にとって、毎朝は同じことの繰り返しだ。秘書(より洒落た言い方をするならば、役員秘書)のハツコが、彼がその役職に就いてからの54年間の大半、そしてこの世界に身を置いてからの数十年間、彼を支え続けた黒き甘露を届けるのだ。

毎朝、ハツコがその飲料に毒を盛ったと考えるところから、彼の1日が始まる。それはある意味、期待に近い。彼はそれ以外に何も考えずに一口飲み、その後に仕事へ戻る。5分後、二口目を飲む。毒は盛られておらず、彼の命が明日まで繋がる。安堵と、僅かな失望の込もった溜息を付きながら、彼は見直しが要されるプロジェクトへと戻る。

新たな収容プロトコルと地域間政治に目を通すことで、自らの秘書に殺されるという予期が馬鹿げていたと、彼は気が付く。この気付きは彼にとって、毎朝必ず訪れるものだった。どうして、そのように予期したのか?さて、その答えは明白だった──彼の秘書が、巨大な蜘蛛の異形であり、必要とあらば神経毒を分泌する能力を有していたからだ。

管理官は、ハツコがその"卓越した品行"により収容ユニットから解放され、"多数の能力"により財団への就職が認められた日のことを、未だに覚えていた。そう、秘書になるには、多数の能力が要される。彼はまた、それに抗議したことを覚えていた。これは珍しいことではなく──その数年前から、彼は異常存在権利法の施行に反対するロビー活動を統率していたのだ。結局、この運動は失敗に終わり、その10年後に訪れたのは──警備主任が狸、人類学部門のほとんどが幽霊や小動物、そして自らの秘書が虫……そんな世界だった。件の虫は、靴箱ほどの寸法の収容セルで30年もの時を過ごし、蜘蛛にとってはほとんど拘束衣も同然な服を身に着けていた。

彼は、彼女の"卓越した品行"という策略に不信感を抱いていた。旧体制の囚人が、自分を"不当に扱った"者たちの破滅を望まないはずはなかったからだ。生涯にわたって迫害を受けていた者たちが、自分たちを拘束し、精神的苦痛をも与えた者たちのために働くことを全く意に介していない様子が、彼には理解できなかった。彼女の心heartの中には、今もなお燻っている怒りが、もしくは蜘蛛にとってそれに相当する何があるに違いない。いや、蜘蛛の循環器系は開放型だったか?──チッ、彼の気が再度散ったことで、舌打ちが鳴る。

収支報告、メンテナンス通知、訓練計画、新規採用……これで全てだ。

管理官は事前承認済みの新入職員を確認し、溜息を付く。新たな異常存在が、またしても職務に統合されると記されていたからだ。彼らとの対話や、彼女の洗脳──ではなく、再統合を担当する研究員たちとの話し合いをしなければならないだろう。彼は、"洗脳"という言葉はもう使うべきでないと言われており──さらに、世界が日出ずる国に対して強いた決定を気にかけ、なおかつ支持するかのように振る舞っている。勿論、不平を訴える術は彼に無かった。まあ、可能ではあり、その気もあったが、自らのオフィスを成す四方の壁の外へ届くことはなかった。かつての彼ならば、より声高であったが、今は、結果として財団にとって重大にならなかった問題で、他の支部と争うことに疲弊していた。正常性の問題は、彼が腹を立てるべきことではなかった。

だからと言って、この権利法が齎したと見られる問題に関して不平を訴える権利が、彼にあったのか?彼に完全な確証は無かった──兎にも角にも、これ以上は。正常性とは、実に気まぐれなものだった。100年前、大日本帝国異常事例調査局は、神道から外れた全ての信仰を、異常であり、排除が要されるものと見なした。1000年前、陰陽寮は"頭が狂った"者たちを、鬼やその他の魔物により穢された存在と見なし、捕らえていた。当然ながら、それらは財団が行なったことではないが、その当時は正常とされていた。現在においても、正常は再度変化してしまったが──それで良かったのか?10年前、彼は「否いな」と答えた。今やその答えは、敗北の肩すくめであり、違いを尊ぶという考えにどうしても納得できない男の内なる戯言と化していた。未だにこの男は、日本は単一の言語と単一の主体性による単一国家であると信じていた。単一の皇統──それ即ち、単一の民族集団。だが、変化の時が来たのだろう。代わりとなるものを見つけ、クール・エイドを飲む1ことで、その全てを受け入れるのだ。

本来とはやや異なる比喩で"クール・エイド"に目を向け、彼は再度、マグカップに口を付ける。自分と違う者たちを信用できない時は、どんなに些細な行為でさえ、毒々しい後味を残すものだ。

思い至った直後に、ボタンが押される。

「ハツコ。ひとつ尋ねるが、この珈琲にはアーモンドミルクを入れたのか?」

「はい。豆乳を切らしておりまして。お気に召しませんでしたか?」

「いやいや、大丈夫だ。ただ、儂は豆乳の方が好みでな。幾らか取り寄せてもらえるか?」

「はい、勿論です。」

「助かるよ。」ボタンが再度押され、会話が終わる。

彼は珈琲を飲み終える。アーモンド……まあ、少なくとも今日は、それで説明が付くだろう2。だが、明日という日に出されるものは──別の珈琲だ。次こそは、本当に毒が含まれているのだろう。

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