「ふみですっ!せっかくみんなと一緒になったんだし、みんなとお友達になりたいなって思いますっ、ふみのことも、ふみって呼んで欲しいのですっ、よろしくお願いしますっ!」
各地から特別人材職員が招集されている場所だというので、俺以外にどんな厄介なヤツがいるのかと思ったら。
なんというか、かわいらしいヤツだった。
「D-8001だ。お前は何をしたんだ?」
若干拍子抜けした俺が単刀直入に訪ねると。
「叔父と叔母を、殺しました!」
思っていたよりもまっすぐに、憶さず返してきた。
特別人材職員って感じだった。
「きみの名前も教えてほしいですっ、番号じゃなくて、本名!」
昔の俺を見ているみたいだった。この世に希望があってなにもかも上手くいっていた頃の、活力に満ちた表情。
「え?良いけどさ……ここじゃ言えないだろ」
「そっかあ……じゃあじゃあ、後で絶対教えてくださいねっ!」
俺と同じぐらいの年齢だろうとは思うが、顔は成長の止まった中学生みたいだった。声と話し方からかろうじて男と判断できるぐらいの容姿で、喋る度に頬にまでかかった髪が揺れる。
その勢いには少しビビったけど、こんな風に明るくて人にフレンドリーにできていたなら、俺ももっと上手く生きてこれたんだろうかなんて思う。こんなところにも──
このサイトに来た俺をふみが暖かく迎えてくれたところを、数人の研究員がただ静かに見守っていた。
︎ ︎☂︎
「じゅりって言うんですねっ!じゅりくん、よろしくお願いしますっ!」
山奥にあるこのサイトでは、天気についての研究が行われているらしい。ここで社会復帰のための奉仕活動をするため、俺は財団に連れてこられた。
俺たちの待機部屋には期待していなくて独房みたいな風貌を想像していたんだけど、意外にも1人ずつのベッドが用意されていて、部屋の真ん中にテーブルもあった。落ち着いた雰囲気の音楽がどこかから掛かっている。
ひとりっ子だったから2段ベッド憧れてたんだよな。などと我ながら呑気なことを考えつつ、梯子に手をかける。その間ふみはずっと部屋の隅の方で大きめなうさぎのぬいぐるみを抱きしめていて、音楽に乗ってゆったりと体を揺らしているようだった。
『1号室のみなさん。業務のお時間になりました。ご移動を開始してください』
部屋には俺とふみと、あと2人の職員がいる。俺達が部屋に入ってきてからも、どちらも一言も発さずに漫画を読んでいた。彼らは放送が掛かった瞬間からそそくさと移動し始め、こちらに一瞥もしない。
俺はふかふかの布団を堪能することを諦めて手荷物を放り出し、2段ベッドの上から飛び降りる。ふみに一声かけてから部屋を出ようとしたのだが、鼻歌交じりで上の空な彼を呼びつける気は起きなかった。メズマライザーのローファイなリミックス。俺も好きな曲だった。ここに来る前よく聞いてたっけ。
︎ ︎☂︎
ふみは来なかった。
小屋が建つ予定の場所で汗を拭いながら、俺は作業中何度もサイトのドアの方を伺っていた。
土木作業の経験は一応ある。大学を中退した時期に3か月ほどやっていた。だから、こんな基礎から組み立てるような工事が3人なんて人数で進むわけがないことを知っていた。まぁ重機とかは必要な時に専門のヤツが動かしてくれるらしいし、30坪程の平屋だし効率がすこぶる悪いだけで作業自体はできる。というか、やるしか道はないのだ。
それが今の俺たちに与えられた仕事で、受けるべき罰なのだから。
「お前、目つけられたかな」
「何が?」
「アイツだよ。ふみ。俺たちにもあんな感じで名乗ってきた」
作業はひと段落して、話しかけてきたのは同室のD-8309。本名を名乗りたがらない。ここにはそういうノリがあるんだと思っていたのは勘違いだったみたいだ。
「良いヤツだよな。かわいいし」
「……そう思ってた時期もあったよ」
「しかし来ないな。様子見に戻ろうかな」
「お前やめろって」
暑苦しいヘルメットを足元に置いて事務所に戻ろうとした俺の手を、D-8309が引いてくる。今日は朝から夏らしくカンカン照りで、掴まれたところから汗が滲み出てくる。
「何でだよ、心配だろ。作業手伝って欲しいし」
「……来たばっかのじゅりくんに教えてやるけど、アイツはずっとああなんだよ。俺達と同じ特別人材職員のはずなんだけど、腹が痛いだの吐き気がするだの理由をつけて仕事しに出てこない」
「は?サボってんの?」
「俺にはそうとしか見えない。ってかみんなそうだと思う。最初は体調が不安定とかなら仕方ないか──アイツあんな感じだし──って感じだったけど。もう誰もアイツを信用してないし相手にもしない」
たしかに腹が痛いだの吐き気がするだのといった、体調が悪そうな感じは見る限りなかった。ボカロメドレー聴きながら嬉しそうにしてた顔を思い出す。
俺だってこんな場所で働きたくないし、さっきの部屋に置いてあったファブルを読みに戻りたい。でもそれよりかは、俺はここで苦痛に耐えなくちゃいけない──というような強烈な罪の意識に、俺は縛られていた。俺は屑なのだから当然だ、と。
本来なら自由は許されない。時間が過ぎたら速やかに作業に戻る。私語を交わさず、ただ与えられた刑務作業を行う。つまづいて工具を落としたり資材をぶつけたりする度に、どこかから拳が飛んでこないかと怯えている。そんな苦痛の時間でも、やはり人と喋っていられれば多少は気楽になる。
今も部屋で過ごしているであろうふみはこの感覚を味わっていないのだろう。叔父と叔母を殺したと言ったときの表情は、お気に入りの曲を聴いている時のニコニコ顔と一緒だった。アイツはたしかに、俺たちと違うのかもしれない。でもそんなの、俺にとってはなんの気にもならなかった。
「あぁでも直接文句言おうとか考えるなよ。強く言ってもこっちが疲れるだけだからな。それにここの連中、アイツに甘いんだよ。1人だけ作業しに来ないのを研究員は誰も咎めないし、好きな物はなんでも用意してるし。アイツのD-8323って番号も"ふみ"って本名を元にして決まったらしいぞ。流石にほんとかどうか知らんけど」
別にまだふみにムカついてるわけじゃない。ただ、少し心配だった。"社会復帰"という名目で今までの人生を清算させられている俺たちが、お務めをしていなきゃいけない状況下で、あんな風に過ごしてても大丈夫なのだろうか。散々甘やかされた結果、そのうち追加で懲罰が与えられたりするんじゃないだろうか。
「……わかったよ。ま、俺は別にふみのこと嫌いじゃないけどな。趣味も近くて仲良くなれそうだし」
「そう。部屋で騒がしくさえしなきゃいいよ」
「あと目つけられたって何?」
「構ってくれそうなヤツを見つけて付きまとおうとしてるんじゃないかってこと」
「別に、平気だろそのぐらい」
アイツからそれほどの悪い印象を受けてなかった俺が若干ムキになって返事したころ、突如、事務所から外に向かってチャイムが鳴り響いた。端末の時計を確認したが、まだ休憩時間の終了までは3分ある。
ということは。
『天候の変化が予測されます。手の空いた屋外の職員の皆様は、速やかに屋内に移動してください』
俺たちには、作業内容の他にもあることを事前に指示されていた。
雨が降りそうな時は、放送に従って部屋に戻れ、と。
︎ ︎☂︎
扉を閉めたと同時に響いてくる轟音。大雨は窓どころかこのプレハブ小屋をまるごと押し流しそうなほどの勢いで、俺は外に置き忘れてしまったデジタルの置時計とヘルメットが心配になった。
そんなことより気にすべきは、締め付けるどころか万力で押しつぶされているかのような激しい頭痛。初めて味わうレベルの痛みに慄いていた。正直吐きそうだし、今日はもう何もしたくない。D-8309ともう1人……名前はまだ聞けてない方のヤツも、同じ気分を味わっていたようだった。
部屋に戻るとふみも誰も居なかったが、BGMプレーヤーからは春嵐のアレンジverがかかりっぱなしだった。心地よいホワイトノイズの隙間から、外の雷雨が漏れ聞こえている。こんな気分じゃ数学の公式だって覚えられそうにない。
ここにいないとしたらおそらく医務室だ。D-8309は部屋で何もせずに寝てるんだろうみたいな口ぶりだったけど、そのままの体勢で俺たちを迎えることなどできないのだろう。俺も授業サボって保健室行くこととかよくあったからわかる。
ふみの様子を見に行こうと思って、自分の棚から事務所のマップを取り出して救護室をさがす。その最中で、ふみとD-8309ともうひとりいる職員の番号がD-8373であることを知った。1番最後に部屋に戻ってきたD-8373とは未だに会話ができていない。土砂降りを被って冷えてしまったらしく、今も、向かいのベッドで布団に包まり震えていた。
「あの……大丈夫?気分悪いなら一緒に医務室に」
そう声をかけようとしたのだが、D-8373があまりに苦しそうに呻いていたので、口を噤んでしまった。おせっかいというのも世の中にはある。
ドアに手をかけて後ろを振り返る。部屋の奥でD-8309も同様に頭を抱えていたが、機嫌が悪い時の大人みたいな真っ黒の視線で俺を刺そうとしていた。2人とも俺より症状が重いみたいだ。それとも「アイツにいちいち構うな」っていうメッセージなのかもしれない。思わず足が竦む。
2人とも何も言ってくれない。でもこんな部屋にいれる気もしない。俺は膝から崩れ落ちそうになりながら部屋を転がり出た。頭痛が酷い。寒気もする。これがこの天気の異常性ってやつなのかもしれないが、前にもこんな重苦しい空気を味わったことがあるような気がした。とりあえず医務室へ行こう。ふみの具合も気になるし、頭痛薬とかも貰えるかもしれない。
にしても。
布団にくるまったD-8373の方から何やら甘い匂いがしたのは、気のせいだろうか。
︎ ︎☂︎
「わざわざお見舞いに来てくれたんですね……、ありがとうございますっ、さっきよりは楽になったのですっ」
周囲を伺って、声をひそめるふみ。ベッドには多種多様な見た目とサイズのぬいぐるみと、その脇には何かのお菓子が置かれていて、まさにふみ専用ベッドの様相を呈している。病院着のような寝姿が、言っちゃあなんだけどよく似合っていた。
「そりゃよかった。俺はまだめ〜っちゃ頭痛い。偏頭痛とか無かったんだけどな」
「大丈夫ですか?研究員さんにお薬持ってきてもらいましょっか」
「あぁ……お願いするよ。後ででいいからな」
なんというかさっきから、悪意みたいなものはまるで感じられない。1人だけ面倒な仕事をサボってやろうというような故意はまったく受け取れなかった。コイツは事実、1人病室で治療薬を貰って寝ていたのだろう。
「あの……じゅりくんっ」
「なんだよ」
「あの子たち、何か言ってませんでしたか?ふみのこと……」
「別に?なんも言ってなかったよ」
「そうですかぁ……よかったですっ!」
部屋に差し込んだ日光が線を引いて、ソイツの髪がきらきらと光る。気が抜けたようなふみの横で眩しさに目を細めて俺は、いつのまにか外の雨が上がっているのに気づいた。
気まぐれな天気のおかげで、俺の頭痛も幾分か楽になっていた。まぁ薬さえ貰っておけば、次また全てのやる気が削がれるような頭痛に襲われても作業に復帰しやすいだろう。
「……それ、みんなお前のなのか」
「研究員さんがくれたんですっ!ふみはぬいぐるみも、お菓子も大好きなので」
「そっか。いいよな、好きな物に囲まれるって」
アイツがふみのことをとやかく言おうが、俺は別にふみが嫌いじゃなかった。友達になりたいなんて言われたの久しぶりだったし、表情のよく動くヤツだから、話してて楽しい。しかし同時に、コイツがますますこの場所に不釣り合いな気がして、調子が狂う。
「お前さ」
「なんですか」
「叔父と叔母を殺して、ここに来たっつったっけ」
「はいっ!そうです!2人ともですっ!」
「なんで殺したんだ?めちゃくちゃ嫌いだったとかか」
和らいでいたふみの顔が、少し険しくなった。
ふみは、そ、それは、とうわ言を繰り返し、布団の中で両手をこね回して、あからさまに動揺している。俺はコイツの地雷を踏んだことをすぐさま理解した。コイツの、ここに連れてこられる程の罪に興味を抱いたこと、コイツの罪のことを今まで覚えていたことへの、後悔と罪悪感が膨れ上がる。
「お、叔父も、叔母もっ、大好きだったんです」
こんなヤツが人を殺せる訳がない。しかも肉親を2人をだ。何か底知れない事情があったに違いない。徐々に過呼吸を起こしていくふみのことを見ていられなくなって、俺はベッドの縁に手をかけたまま床を眺めた。
「ごめん。聞いて悪かった。無理に話さなくていいから」
俺にコイツの手を握る資格はない。そこまでの仲にはなれてない。他人に興味を持っては失敗を繰り返すのが俺の人生だったような気がする。歳上以外の知り合いができた事なんかなかった。いつも俺は、相手に気を遣わせてばかりで。
誰か研究員を呼ぼう。俺はふみを視界に入れられないままに部屋を出た。頭痛と寒気がまた酷くなってきたような気がする。全身を逆撫でする自責から逃れたくて廊下を進んでいた頃、天井の上からはまた、雨音が鳴り始めていた。
︎ ︎☂︎
雨雲がなくなったのは、日の落ちた頃。
そしてDクラスも、ひとりいなくなった。
同室で唸っていたD-8373だ。D-8309曰く、体調の悪化が酷くこのサイトを去ったらしい。先の頭痛から解放されて久しい俺は、修学旅行途中棄権する奴みたいだな、と呑気なことを考えた。布団にくるまった彼の姿を思い出す。雨で体を冷やしたのが祟ったんだろうか。
日没後もサイトから庭先を照らす照明と、ヘルメットの僅かな光を頼りに、作業は続けられる……のだが、日中の大雨のせいで、作業場は悲惨な有様だった。部材やら工具やらは泥まみれで、基礎の部分にも水溜まりができていた。体感だけど進捗率は7割ほど減ったと思う。
この地形特有の現象なのだろうか。甘ったるくて嫌な匂いがする。少しの蒸し暑さも祟ってゴミ捨て場にいるかのような気分だ。きっとどこかに果物が生えてて、雨からその匂いがして──いや、どうだろ。馬鹿なので天気のことはよくわからない。
べとべとになった工具を片付けながらふと、俺は昔読んだ本のことを思い出した。大きな罪を犯した者に対する罰の例としてあげられていた、「無駄なことをさせる」という重たい罰。穴を掘ってその土を傍らに盛り、次はその盛り土を削って、さっき掘った穴を埋める。こんな風に繰り返されるきりのない試練は、財団が、俺たちに与える罰なのかもしれない。サイトのためという名目で建築をさせて、異常気象でそれを阻害する。賽の河原のように。
俺はここに来て、何をしているんだ。今までもろくでもない人生を送ってきたが、そんな俺の到達点かのような、1番の絶望が襲いかかる。一生、終わりのこない刑務作業という名の罰を受け続けるんだろう。
「うるせえ」
D-8309に怒鳴られてようやく、俺は声を出して泣いていることに気がついた。わかってる。今俺にこの泥まみれの工具箱を洗う以外の選択肢なんてないこと。爪の隙間に砂が入り込んで、力を加える度に小さな痛みを感じる。山間部の夜は思っていたよりも涼しくて、思わず、両足を擦り合わせた。
特別人材職員になってしまった俺の人生はもう真っ暗だ。これから先もまだまだ長いことを実感して何度だって落ち込める。このサイトでは多少の娯楽も許されるし、ベッドも2段なことに喜んだりもした。でもやっぱり、俺が今までしたことの償いをさせる場所なんだ。進めてきたことを文字通り更地にして、俺の心を折る。そういう罰なんだ。俺たちが何を
何を?
「……手、止まってるぞ」
D-8309の声に聞こえないふりをしつつ、俺は工具の掃除を再開した。
さっき元気になっていたはずのふみは、またしても現れない。
︎ ︎☂︎
寝る前。
再び頭痛薬を貰いに行くという名目を用意して、研究員の元へ向かう。すれ違う奴がいたら、部屋に欲しい奴がいてジャン負けで、とか、適当な理由をつければいい。
医務室の隣の部屋で、目当ての研究員は何か手書きのレポートに取り組んでいた。このサイトの臨時管理官とかいう、名前的に偉い役職のはずだ。そして、俺たち特別人材職員の管理をしてるのもこいつだと聞いた。
「御用ですかー」
手元から目を離さずに研究員は、ドアの前で棒立ちになっている俺に話しかけてきた。
「こんなこと聞いて、大丈夫かわかんないんですけど」
「まぁ……内容によるかな」
「聞きたいことがいくつかあって」
「どうぞ」
研究員は書類を纏めてこちらに向き直った。"特別人材職員台帳 - 地域人材管理融和部門"と書かれた表紙にはD-8001とD-8039と番号があり、その下には修正液か何かで消した跡が残っていた。
「ふみはなんでこのサイトに来たんですか」
「ああ!ふみね!あの子は君達とはちょっと違う役所なんだ。仕事させられなくて申し訳ないけど、ここに居させなきゃいけないんだよね」
俺に書類の中身を見せないようにしながら、俺と同じぐらいから俺より若く見える研究員は書類をぱらぱらと捲る。あるページを開いたところで手を止めて、まぁ、上の指示だよ、と言った。アイツのことが書かれているページなのだろう。
「じゃあふみは、どうしてここに来たんですか」
「ん?どゆこと?」
言いながら、同じこと繰り返したみたいになったな、と思った俺は、ふと思いついた言葉をそのままに投げかけた。
「ふみはなんで、財団に来たんですか」
研究員は途端にきょとんとした顔をして、不思議な顔をして、なんでそんなことを聞くんだという顔をした。俺と話しをする人間がよくする表情をして、そいつは言った。
「そんなこと教えてくれると思ったの?貴方にさ」
ダメだった。
足が震える。何かがおかしい。会話が成り立っていないような気がする。焦りと不安で、視界が端からぼやけていく。人間未満の屑である俺がそんなことを知る権利なんかなかった。
聞く度に思考がストップしてしまうこの言葉に俺はどうしても弱かった。俺はかつて罪を犯した死刑囚かなにかで、ここで財団の大人たちに給仕する以外に生きる術なんかないのだろう。立場を自覚して、俺はそれ以上口をつぐんでしまった。ごめんなさい、と言いたかったのに、閉じた唇からは何も出せなかった。
「いやごめんごめん。そんな強く言うつもりなかったんだけど……話せることとそうじゃないことあるんだよ」
研究員は立ち上がって水を汲みに行った。謝らないでいい。あなたは悪くない。全部俺が悪いんだ。俺の心が弱いせいで、人並みの人生を送れなくて、こんなところでろくに働けもしないで、コミュニケーションも下手な俺が全部悪い。
研究員からコップを受け取る。むせないように気をつけつつ一気飲みして、大きく息を吐く。
「君らは全国の中から選ばれた特別人材職員だからね……代えが効かないんだよ。無理しないで、体を大事にしてくれたら嬉しいな。君の同室の彼も……異動になってしまってね。もう帰ってこない予定なんだ」
俺はそんなに特別な人間なんだろうか。そう聞くと悪い気はしない。相変わらず緊張感のない俺だけど、何故俺が特別なんだろう、という考えについてはもう口を噤んだほうがいいな。何かを話す度に、俺自身の愚かさ、罪を意識するのは、もうたくさんだ。
「そんなことよりさ。あの子とは仲良くしてくれてるかな?」
体が弱いのに、ここの体力仕事に駆り出されている。体が弱いゆえに、体力仕事ができない。叔父と叔母を殺したと、自分の過ちをはっきり意識している。なのに、普段のテンションは明るく、他の奴らと違って愛想も良い。
俺たちと違って社会復帰や、奉仕活動が目的でない、いやそもそも目的に無いのなら。
俺は、一体何に付き合わされてる?
︎ ︎☂︎
「あ!じゅりくん、やっと帰ってきましたっ!お話したいことがあってっ」
そろそろ日付が変わるころだというのに、部屋に戻った俺をふみは溌剌とした笑顔で迎え入れた。
鬱陶しい。
「ふみが職員になる前の話!叔父と叔母と、3人で暮らしてたんですっ」
就寝御礼が掛かっているのに気づく。曲の好みはことごとくふみと一致していた。なのに、真逆だ。俺はずっとひとりぼっちだった。いや、ひとりじゃなかった。ずっと人はいたが、俺の事を愛してはくれなかった。
「ふみはお父さんとお母さんが死んじゃった時、叔父と叔母のところに行ったのです、叔父と叔母はきょうだいなんですけど、ふみを引き取ってくれたのですっ」
俺がいると周囲の人間は不快になる。それに気がつくまで随分とかかった。ようやく己が愚かであることを認識したのは、両親との会話というものがなくなった高校の時期だった。その頃にはすっかりお喋り好きに成長していた俺は、もう、俺の力でどうすることもできなかった。
「ふみ、寒い雨の日が苦手なのですっ。不安な気持ちになって、怖くて怯えるような気持ちになるんですけど、そんな時も、叔父と叔母はそばに居てくれましたっ」
成熟したはずの体と脳が全く機能しなくなっていた頃、俺はひとりぼっちの部屋で、ただ音楽を聴いて、心を癒していた。ローファイなメロディやシティ・ポップを気に入っていたのは、大人向けの子守唄みたいだったからだろうか。昔は雨の日も好きだったから、そんな日は雨音をぼんやりと聴いて過ごしたりしていた。
「うちは貧乏だったからっ、3人で同じ布団で寝てたんですっ。でも2人ともすっごく優しくて、大好きだったからっ、毎日3人で寝るのも嬉しくてっ」
ふみはその両腕で真新しいくまのぬいぐるみを抱えていた。医務室で見たものとは別のものだ。ここでは娯楽に縛りはなくて、望んだものは大抵言えば手に入る。
ふみのそんな態度が、俺には真似出来なかった。
「じゃあ何で殺したんだよ」
「……それは」
ふみの胸元は襟がヨレヨレに伸びきっていて掴みづらかった。俺の手を振りほどこうとして身を引いたふみは背中から倒れ、俺はその上に覆いかぶさる。
床を叩いた音が鳴った一瞬、ふみの息が止まったのがわかる。
「俺はずっと、苦しいんだよ。自分が大嫌いで、過去の愚行を思い出していつも締め付けられて、死にたくて仕方ないんだよ。お前は、同じじゃなかったのかよ」
そんなことを本人に告げてどうするんだ。こんな怒りなのかどうかもわからない意地汚い感情を、ぶつけてどうするんだ。俺の涙が人の顔に落ちるのを見るのは初めてだった。
「お前は、きっと恵まれてるんだよ。わかるだろ、苦しい思いとか、辛い経験とか、なかったんだろ。元いた場所に戻りたいとかもないんだろ。自分で家族殺してるんだからな」
ふみの口の端は震えている。俺が少し待てば何かを喋るかもしれない。でもいつのまにか降り始めたどしゃ降りの雨音にどうせかき消されてしまうし、それを待っていられるほどの余裕なんかない。
俺はどうやってもお前のことが人殺しには見えなかったから。
俺は、今までの人生、なにもかもうまく行かなかったから。
「なんでここにいるんだよ、お前」
「……違っ、あぅ」
幸せで仕方なかった生活を、自ら手放したらしいコイツが、妬ましくて、憎くて、許せなくて。
︎ ︎☂︎
「……管理官」
「D-8039。寝ないとそろそろ」
「D-8001とふみが揉めてます。寝れません」
「お。しょうがないな……この飴あげるから落ち着かせといて」
「えぇ……なんの飴ですかそれ」
「ふみにはぬいぐるみ持ってってあげようか。好きだから」
「ガキの使いじゃないんですよ」
「揉めちゃったかあ。良い子だと思うのにねぇ」
「俺もアイツ嫌いですけどね」
「あっそ。でもようやく仕事進みそうだ。よかったよかった」
「仕事っていうのは?」
「君には教えられないよ」
「……すみません」
「まぁ君も精神的に落ち着き良いし、そのうち話せるかもね」
「そうですか。まぁ、あいつらと比べればですが」
「明日だけど、ふみも外に出すよ」
「了解です……なんでですか」
「ふみ、かわいそうなことに、人の事怒らせがちなんだよ」
「……」
「仲直りしてもらおうと思ってね」
︎ ︎☂︎
今朝は晴れていたが、夜中にまた降り出した雨のせいで空気は蒸し蒸ししていた。早くに起こされて体調も悪い。
ふみを突き飛ばした昨夜。泣き疲れ、喉も痛かったのに、あまり寝付けなかった。D-8039が持ってきた飴のおかげで朝には喉は楽になっていたが、嫌な夢も見た。ひとりぼっちで音楽を聴いていた部屋に、財団の人間が押しかけて俺を拘束する夢。俺の変わり映えしない生活が、崩壊したときの夢だ。絶望から、絶望の底に落ちるような感覚が、今でも鮮明に焼き付いていた。
俺が昨日掃除した工具はまた大雨で甘ったるい泥まみれになっていて使い物にならなかった。暑すぎた心のせいで折れる気にもならないし、ため息も出てこない。工具を持って帰ればいいのに、仕事中断のアナウンスが流れれば、全てを放り出して戻らなきゃいけないのが鉄則だから。ルールには逆らえない。
追加の職員が追加で来るまでは2人で作業しなきゃいけないらしい。しかもD-8039は俺ともあまり話をしてくれなくなった。まぁ俺があんなに急に喚き散らし始めたところを見てしまったら、そりゃ距離も起きたくなる。
苦しい時間がゆっくりと進むのを、日に焼けながら味わっていると、サイトの扉が開いた。
ふみだ。
なんでふみが?しかもふみは作業着じゃなく、部屋で着ている病院着のままで、外にズカズカと出てきたのだ。
立ち竦んでいた俺の目の前まで歩いて、顔を上げてふみは。
「昨日はごめんなさいっ!じゅりくんっ!ふみ何か、悪いことしたんですよね、ごめんなさいっ」
ぶわっ、という擬音が似合いそうな程に、途端に目から涙を溢れさせたふみを見て俺はまた苦しくなった。謝って欲しかったわけじゃないし、本来ならこちらこそと謝る立場は俺のはずだが、俺は強情として声をかけられなかった。ただその姿に面を食らってしまっていた。
「……でもっ、じゅりくんにどうしても言いたいことがあってっ」
その瞬間。
ふみは強めの力で俺を突き飛ばした。泥濘が残る地面の上にべちゃりと音を立てて、ふみはその上に覆い被さるように俺の腕を押さえつけてきた。昨日の夜と、逆の構図だ。
同時に。
『天候の変化が予測されます。手の空いた屋外の職員の皆様は、速やかに屋内に移動してください』
上を眺めていた俺の目に、四方八方から分厚い雲が集まって形を成す空が写った。その手前には呼吸を荒らげるふみの顔があって、また、あの激しい頭痛の予兆がする。
「ふみも、ずっと苦しかったんですっ!叔父も叔母も、本当に大好きで……殺したくなかったし、死んでほしくなかったんですっ!」
頭痛はますます痛みを増していた。頭頂部から背中にかけて悪寒が走る。
『繰り返します。天候の変化が予測されます。手の空いた屋外の職員の皆様は、速やかに屋内に移動してください』
ぽつりぽつりと雨が降り出して、雨粒も徐々に存在感を増して大粒になる。アナウンスが繰り返される。でも、サイトに戻ることはできなかった。
ふみの力が、異常に強い。
いや、体に力が入らない。
「でもっ!あの日、朝目が覚めたら……ふみと一緒に寝てたはずの叔父と叔母が……居なくなってたんです」
土砂降りの中目を開けて居られない。異様に大きいふみの声が、くぐもって耳に届く。それ以外は、背筋を走る痛みが、俺の思考を埋め尽くしている。
『繰り返します。天候の変化が予測されます。手の空いた屋外の職員の皆様は、速やかに屋内に移動してください』
寒気がして、手足の感覚が徐々に薄れる。ここに来る前は天気のせいの偏頭痛なんかなかった。半開きの口のなかに雨粒が垂れ落ち、微かな甘みが脳をさらに麻痺させる。
「大きい、ぬいぐるみが、ふみのそばにあったんですっ……ぬいぐるみ、ずっと欲しかったのに……あぁ……思い出すだけでもっ……悲しくてっ……」
あるいは。
背中を縦に、するどい激痛が走った。地面に押し付けられて息を切らすことしかできない俺に、自分の背中の状態なんかわからなかったけど。
『職員の皆様は、速やかに屋内に移動してください。サイト内への避難が確認できない場合、機動部隊により確保が行われることがあります。速やかに移動を完了してください。繰り返します──』
ふみが、ここのサイトにいる理由。
俺みたいな社会不適合者が、ここのサイトに来た理由は。
「……後から来た、財団の人たちに、ふみがやったんだ、って言われました……ふみが叔父と叔母のことが大好きなせいで、ふみがそうしたんだって……だから、ふみが、殺したんですっ。その日は雨が降っててっ、もう、不安でしょうがなくって」
全身に拡がった激しい痛みと寒さが和らいでいった頃。俺は口からなにか綿の様なものを吐き出した。俺の視界でも、茶色くてふわふわした何かがぬるい雨に濡れていて、俺のことを固く覆おうとしている。
「ふみ、じゅりくんのことっ、わかってあげられますっ!だからお願いですっ……ふみと、ずっと友達でいてくださいっ、もう、いなくならないでくださいっ……!」
降ってきた何かが、俺の頬に当たった。
飴だった。


