ますますAWCY-Fを使う意味がないように思えました。
「アートで魅せるということを忘れてしまっている」こと自体は伝わっています。ただそれがフォーマットを崩すことへの納得にはなっていないと私は感じています。魅せることを忘れていることがその後の展開や読者に与える感情に寄与していないため、ただフォーマットとしての不備が目立つ形になっています。言い換えれば、最低限企画案に則った芸術の説明を入れてもこの記事は成り立つと思うのです。
-159は現状「復讐に駆られてアートを疎かにすること」と「アートを作るために企画案を書く」という背反する要素が含まれているように思います。もし企画案のままにしたいなら前者の要素を薄めて、「この復讐もアートにしてやる」「犯人が奪った価値をアートで示してやる」とかでやはりアートの形にしないと納得感でないかなぁと。
-158は説明が薄いまま「アートと呼べるものでは無いもの」としたいなら、作中人物にそれを示させた方が良いように思います。例えばナルコフの遺書でもっと細かく批判させることで、愛する者を奪われた結果出来たのが下らないものだったという悲劇を強調したり、あるいは自身もアートで魅せることを忘れたことに気づかされたりとか感情・展開の膨らませが出来ると思います。
一連のコメントを書いていて思ったのですが、色々読者の感情を揺さぶる方向性ありそうなのにナルコフがただ怒って死ぬだけなのは何かもったいないなぁ‥‥と感じました。もっとナルコフの尊厳破壊要素を押し出すとか、アルバートに一矢報いるとか‥‥。