帝国異常事例報告
異常事例第一千二百四十二号
番号: 異常事例第一千二百四十二号
回収時刻: 皇紀二千六百四年十月二日 深夜一時
発見地点: 東京都本所区江東橋 井川庄五郎警部補自宅
取扱主体: 大日本帝国異常事例調査局 米津元帥少将
経歴: 大正十年 三越デパアトより井川庄五郎警部補が購入せるものなり
異常分類: 甲(特秘)
警戒に要する階梯: 要破却
概説: 此は、放送元が不明なるラヂオ放送を受信することを可能ならしむ鉱石ラヂオである。放送の内容は、我が帝国の風紀を乱し、嘲弄するが如き不埒かつ不敬千万な演目を含みたるものなれば、米国及び連合政府に連関する超常的機関の策謀によるものであると思慮される。あろうことか当該する異常事例物品からは、内務省の布告せる「米英音楽作品蓄音機レコード一覧」に明記されし曲目の、ほぼ全てが放送されていたことが判明せり。当該異常事例放送は、幸いにして異常事例第一千二百四十二号のみが受信可能であったため、かの異常事例放送が我が国民の風紀を紊乱に導くが如き懸念は無し。我らが任務は世上の影にあれど、これをもって万世一系たる天皇陛下の威光の赫赫たること、その大御心に背き不敬を働く者共の卑小なる事が天下白日の下に示されり。
付記: 異常事例第一千二百四十二号を使用せる井川庄五郎警部補は、かの不埒なる放送を、録音装置を持って多く記録せりとの報告あり。しかしながら、かの警部補はそれを内務省警保局に報告することなく、それを密かに自ら楽しんでいたと、尋問により警部補本人がそのように自白せり。
付記弐: 井川庄五郎警部補は即座に査問にかけられたのち、異常事例の私的利用、および有害音楽・思想に接触した罪により軍籍剥奪、三十年の懲役を課せられたるものなり。猶、井川が収集せり異常事例放送の録音盤は、取り扱い者たる小官が破却済みなり。────米津元帥少将
尋問記録
日時: 皇紀二千六百四年十月六日 零時半
尋問官: 米津元帥・少将
被尋問者: 特別高等警察・井川庄五郎・警部補
当記録は米津少将の行った尋問を、速記者が記録した物である。
米津: 井川くん、僕の声が聞こえるか。では警部補、始めようか。
井川: お久しぶりであります、少将。
米津: そのまま聞いてくれ。僕は特殊な発声法を学んでいる。君の手錠には細工がしてあって、僕の声だけが君に届くようになっている。東弊時計電気の連中の作で、骨伝導、という技術が使われている。戦争が始まる前、君とは良くジャズ談義で盛り上がったな。
井川: 今更ですよ。あなたは、お変わりになられた。
米津: 僕は何も変わってなどいない、今でも僕はジャズが聴きたいと思っている。僕の立場がそれを許すことはないが。君も理解しているだろう、我が国は戦争中なのだ。
井川: 戦争?それはいつからですか。我々は何と戦っているのですか。
米津: 気がつけば世界すべてを相手に戦っていた、こうなるはずではなかった。この国の美しい文化・思想・言語を擾乱し、破壊する全てのものとだ。
井川: 私も最初はそう思っていた。だから、様々な本を検閲し、思想犯を捕らえ続けた。
米津: 話を合わせろ、命が惜しければ過激な発言は慎んでくれ。君の働きぶりは私も知っている。なぜあんな事をした?
井川: あなたは……わかりました、ご存知の通り私は「あれ」を私的に使用しました。
米津: よろしい。そのまま話を続けるんだ。よろしい。なぜ君はあのような敵性音楽を私的に聴き続けたのだ?
井川: 私はあれらの音楽が堪らなく好きだからです。ただ、それだけです。
米津: 敵性思想への共感ではない、よし。そのまま続けてくれ。なぜだ?音楽なら巷に溢れている、我が国の素晴らしい音楽が。
井川: 素晴らしい?本気で仰っているのですか?音楽が、我が国一国だけで成立するとでも?
米津: 君の気持ちはわかる。僕も軍歌ばかりでいい加減聞き飽きている。国体明徴の精神がある。全ては我が国一国で満ち足りている。
井川: もちろん知っていますよ。かの憲法学者の機関説を攻撃したのは、ほかならぬ我々です。
米津: 焦るな、一つ発言を誤れば終わりだぞ。それがわかっていながら、なぜ君はあの放送を?
井川: なぜ?素晴らしいからです。デューク・エリントン、グレン・ミラー、ベニー・グッドマン!僕らが聴くことができないものが、全て聴くことができた!それどころじゃない!あのラヂオ放送は、いま存在しない音楽すら私に聴かせてくれた!
米津: 君の違反行為を少しづつ指摘していく。落ち着いて答えろ。自ら認めた、という形にするんだ。その放送を、君は録音していたが、なんのためだ?まさか、配るためか?
井川: その通りです。この国の夜からジャズが消えたなら、私はそれを望みません。もっと早くに気付けばよかった。もう手遅れかもしれないが、まだ間に合うかもしれない。私はそう思いました。だからこそ、私はあの放送を録音しました。みんなに伝えるために。多くの国民が、あれを聞くべきです。
米津: 米国文化への共感の要素は捨てていけ、でなければ君を殺さざるを得ない。君はあの放送の危険性をわかっていないな。問題は音楽だけではない、あのアナウンサーの口上。あれが、国民の精神を腐敗に導く可能性を君は考えなかったのか?
井川: 確かに、最初私もそう考えました。しかし、彼は日本人でした。彼の言葉は明瞭に、私の閉ざされた精神を大いに開いてくれた。あなたはあれを聴いたのですよね?それならわかるはずだ。
米津: 最初の関門だ、こちらに合わせるんだ。「太陽の代わりに音楽を」か。太陽とは、我が国において天孫を意味する。それの「代わり」などあり得ない。あの一点だけでも、かの放送は我が国の文化を嘲弄しているではないか。
井川: それは……そうかもしれません。ですが、太陽の光が射さぬ夜ならばどうなのです。闇夜に響く音楽は、人の心を明るくしてくれます。たとえ灯火管制の下でも。音楽が失われた今の我が国は、夜なのです。
米津: ここからが本番だ。僕の言葉をよく聞いてくれ。つまり、禁じられているとわかった上でその音楽を「楽しんだ」のだな。
井川: はい。あなたもそうだった。戦争が始まってから、全てが変わってしまった。
米津: できるだけ、君が自白したという形にするんだ。そうすれば罪も軽くなる。何も変わってなどいない、帝国本来のあるべき姿に立ち戻ったのだ。
井川: 3年前の敵性文化排除の通達、そして1年前に、私たちは海外の素晴らしい音楽を敵として認識した。
米津: 待て、井川。それに話を触れるのか。「米英音楽作品蓄音機レコード一覧」だ。物事は正確に把握したまえ。
井川: あれがどれほど馬鹿馬鹿しいものか、あなたにもわかるでしょう。
米津: 発言には注意しろ。あの馬鹿どもに、君を好きにさせたくない。なぜかね?楽師たちは今でも闊達に音楽を奏でている、国威発揚の音楽を。
井川: お分かりのはずだ。あれのせいで、国民の多くが自主規制に協力してしまった!
米津: 落ち着くんだ、冷静になれ。国民がそれを選んだのだ、どこに問題がある。
井川: それなら、今年の二月の「決戦非常措置要綱」はどうなんです?
米津: 井川、頼むから落ち着いてくれ。決戦体制に国民体制を同期させる、時宜に沿った施策だ。
井川: 「高級享楽ノ停止ニ関スル具体策要綱」はどうです?これで何が起きたと思いますか。明治座、国際劇場、東京宝塚!すべての劇場が閉鎖された!ダンスホールも!この国の夜から、すべての音楽家の場が奪われたんです。
米津: 死ぬつもりか、君は。この非常時に、奢侈なものを禁ずるのは当然のことだろう。それに、軍楽がある。
井川: それだけじゃない。音文は、あの要綱に全面賛成した。コンサアトの開催を、自主的に停止した。
米津: もう一度だ、話を合わせるんだ。そうだ、多くの国民が喜んで国体に力を貸している。その成果が出たというだけの話だ。
井川: それは、認めます。私自身が、それに手を貸していた。でも、あなたはそれでいいのですか?
米津: きみは、何を。無論だ。全ては国体、その一字にかかっている。君も私もその一部なのだ。
井川: あなたは言いましたね、自分には未来の音楽が聞こえると。その中にはグッドマンの音楽もあったはずだ。
米津: ああ、もちろんだ。私の特異体質については事実だ。だが私は、自らの立場をわきまえている。君はどうなのだ。
井川: 「間抜けな惑星に住み着いた羊の群れ」これはあなたが時に口ずさんでいた歌だ、これは私たちのことでしょう。
米津: そうかもしれない、きっとこれは僕のことでもある。私の特異体質に何事かを言っても、君の罪は軽くならない。
井川: 私たちはみなそうだ。己の居場所を確保するためだけに、他のあらゆるものを平気で犠牲にする。私はそれに抗いたかった。
米津: なにかを探し、何かを見捨てるアドバルーン。私たちはどこにいるんだろう。全ては帝国のため、天皇陛下の大御稜威のためだ。
井川: 少将閣下、私はどうなるのですか。
米津: これが最後の機会だ。君次第だ、例のものを。
[異常事例第一千二百四十二号が運び込まれてくる]
米津: 繰り返すが、最後の機会だ。そろそろ時間だ、例のラヂオ放送は、一時に始まるのだったね。
井川: そうです。あなたもお聞きになりますか。
米津: 放送を否定しろ。そうすれば、君は助かる。無論だ。ここが、君にとっての最後の分かれ道だ。
[異常事例第一千二百四十二号のスイッチが入り、放送が始まる]
米津: 否定しろ!否定するんだ!さて、井川警部補。君はこの放送を、どう思う?
井川: 私は………
米津: 井川、頼む!井川警部補。
井川: 太陽の代わりに音楽を、これは我が国の国体たる天皇陛下の威光を否定する、不埒で淫らな放送です。
米津: よく言ってくれた、これで君は死なずに済む。よろしい、井川警部補。君にも忠誠心が残っていたようだ。
井川: 私が間違っておりました。
[井川警部補・床に跪き、土下座の態勢を取る]
米津: いいか、この国はおそらく負ける。もう1年も持つまい。しばらくの辛抱だ。君の心がけは報われる。帝国は勝利する。
井川: [無言]
米津: 例のレコードは保管しておく、右に5-2-4、左に3-4-5だ。これで金庫の鍵が開く。戦争が終わったら、必ず取りに来るんだ。むくれ顔の蛇も気付きはしない。いつか、夜の淵で踊ろう。君が録音したレコードは全て破棄する、それが君のためにもなるだろう。
井川: はっ。
米津: すまない、生きてくれ。僕は、この帝国の滅びを回避する方法を探るつもりだ。もし僕が成功すれば、君がこうなることもない。もう生きて会うこともないだろう、だが。勝利の暁には、君の出獄も叶うだろう。
井川: [無言]
米津: なにかを得れば何かが目の前を通り過ぎる。さよなら、また会えるかな。だが、10年以上は留置されるだろう。それは覚悟せよ。
井川: ご迷惑を、おかけしました。
米津: 物語の裏、隠れたままそれじゃ。また明日。では、連れて行け。
尋問終了
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