クレジット
タイトル: 軽井沢女児行方不明事件から30年
著者: indonootoko
作成年: 2024
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2024/8/17 6:10
事件から30年 親族は情報収集を継続
1994年に長野県軽井沢町で発生した女児行方不明事件から30年が経過した。これまで多数の有力情報が寄せられてきたが未だに白乃さんは発見されていない。親族は白乃さんの生存を信じており、本誌と共に長年追跡を続け、現在でも本誌と情報交換を行っている。
白乃さんは生存していれば今年で42歳、親族代表で白乃さんの父親である則夫さんは今年で69歳。事件発生から長い年月が経過しているが、則夫さんは現在も情報提供を呼び掛けている。
▲事件の情報提供を呼び掛ける張り紙
"事件の概要"
この事件は1994年8月16日に発生した失踪事件だ。軽井沢町にある祖母の家に両親と滞在していた佐山 白乃さん(当時11歳)が、友人に会うため出かけたまま帰宅せず、そのまま失踪した。門限を過ぎても白乃さんが帰宅しないことを不審に思った父 則夫さんが午後5時41分に長野県警察に通報、警察官100名超が出動し、白乃さんの捜索が行われた。その後、地元消防やボランティアが加わり300名以上の人数により捜索が行われたが、白乃さんは発見できず、捜索開始から21日が経過した9月6日に捜索は打ち切られている。
白乃さんは東京都に在住しているが、この年の3月までは軽井沢町に在住しており、則夫さんの職場の都合で東京都に転居した背景を持つ。そのため、白乃さんは祖母宅周辺に土地勘を有しており、1人で出歩くことも初めてではない。この背景を加味した長野県警察は、迷子になったとは考えにくく、誘拐や何らかのトラブルに巻き込まれた可能性が高いという見解を示し、誘拐事件を視野にいれた捜査を開始した。
祖母宅のマンションは、則夫さんと白乃さんが東京都に転出する際に購入した高級マンションであり、出入り口のオートロックに監視カメラが備え付けられていた。13時11分頃に祖母宅を出発する白乃さんがこの監視カメラに記録されており、白乃さんの服装や所持品や背格好を示す情報源となっている。また、当日の白乃さんの様子を記録した確実な資料としては唯一のものであり、以降の情報は目撃情報等の確実性に欠ける情報となっている。
"白乃さんの足取り"
▲白乃さんが転出前に通っていた軽井沢南部小学校
当日、白乃さんは"友人宅へ遊びに出かける"と則夫さんに説明していたが、白乃さんと遊んでいたとされる友人が特定されていない。白乃さんが通っていた軽井沢南部小学校の生徒へ聞き込みが行われたが、該当する生徒は発見できなかった。本誌特派員は白乃さんの元同級生へのインタビューに成功している。
「白乃とは仲が良かったけど、私は白乃と会ってない。なんなら、こっちに帰ってきていることも知らなかった」
こう話すのは白乃さんが特に仲が良かったとされる元同級生のAさんだ。Aさんは白乃さんと共通の友人グループに属していた間柄であり、友人グループ内の友人らからはAさんと白乃さんは親友同士だと評価されている。そんなAさんでも白乃さんが軽井沢町に戻っていることは認知しておらず、当然白乃さんとも会えていないと語っている。白乃さんが会いそうな人物についても聞き込みを行ったが、有力な回答は得られていない。
▲事件当日の軽井沢本通りを撮影した写真(一部修正済)
白乃さんの行先については、いくつか目撃情報が存在している。14時頃に東軽井沢地区の軽井沢本通りを自転車で北上する白乃さんが目撃されている。軽井沢本通り周辺は商業施設や別荘が集中しており、盆シーズンであったこともあって多くの観光客で賑わっていた。観光客らを中心に白乃さんの目撃情報が寄せられており、白乃さんが軽井沢本通り付近を訪れていた可能性は極めて高いと言える。
軽井沢本通り周辺での白乃さんの目撃情報は上記以外にも存在しており、18時頃に軽井沢本通りを歩く白乃さんの目撃情報が存在している。白乃さんが自転車ではなく徒歩で移動していた様子から、トラブルに巻き込まれて自転車を紛失し、帰宅できなくなってしまったと予想された。ただし、軽井沢本通り周辺の商店は17時頃閉店する店舗が多く、また、当日16時頃から降り始めた雨の影響で18時頃の軽井沢本通りは閑散としていたため、この目撃情報以外に目撃情報は報告されておらず、17時以降の白乃さんの目撃情報はこの1件のみである。18時ごろは既に長野県警察が現地駐在の警察官を動員し捜索を開始しており、東軽井沢のメインストリートを歩く女児を保護出来ていないのは不自然だ。また、周囲の山岳によって日没の早い軽井沢において、雨の中歩く児童を白乃さんだと認識できるかはあやしい。そのため、この目撃情報に関しては誤情報である可能性も否定できない。
"則夫さんのメディア出演と意外な進展"
警察による捜索が打ち切られた後も、則夫さんはメディア出演等で情報提供を呼び掛けていた。自宅電話番号を公開し、有力な情報には謝礼金300万円の支払いを宣言するなどして幅広く情報を集めたが、有力な情報は集まらなかった。
事態が進展したのは事件発生から4年後、則夫さんがフジテレビ系列のテレビ番組「霊能力調査 絶対に見つけてみせる」に出演した際のことだ。番組の内容は、自称霊能力者の女が白乃さんを霊視し、足取りを追うというものであり、番組内で自称霊能力者は"白乃さんは既に亡くなっている"と則夫さんに宣告した。この内容に対し、世界中の霊能力者よりフジテレビに抗議の電話が殺到したのだ。
▲有栖川 ジェンリンス氏
抗議の電話を行った霊能力者の1人である有栖川 ジェンリンスさんに話を聞くことが出来た。有栖川さんは恋昏崎に住む霊能力者であり、正常性維持機関お墨付きの本物の霊能力者だ。
「あの番組を見て私は激しい憤りを覚えました。偽物の霊能力者が適当なことを言ってるんです」
「断言できます。白乃さんはまだ生きている」
有栖川さんは力強く白乃さんの生存を主張した。有栖川さんには霊道と呼ばれる死者が通る道を見る能力があり、白乃さんが霊道を通った痕跡はないという。
「私には確かに霊能力がありますが、大した力はありません。実際、世界中に私レベルの霊能力者は沢山いますから、苦情が殺到したというのは、誰が見てもあの人は偽物だったということですね」
有栖川さんは怒りを滲ませながら語った。テレビ局への苦情殺到と同時に、則夫さんの元に世界中の霊能力者から"白乃さんは生きている"という情報が殺到した。情報が多数寄せられたことで奮起した則夫さんは活動勢力を拡大、会社を退社し、情報収集への専念を始めた。更に、白乃さんは生きているという霊能力者たちの発信は、本誌によって拡散され、民間人にも広く知れ渡ることとなった。白乃さんの生存を主張する報道は、謝礼金300万円の獲得が現実的なものとなったことを示しており、謝礼金獲得のために情報収集を行う人が続出する結果を誘発させた。誤情報も多数報告されたものの、事件発生から4年が経過しているにも関わらず、事態が好転の兆しを見せていた。
しかし、同時期にマイナスの作用も発生していた。上記の動きから数日後に警察や民間人等から当該事件の大規模な集団忘却が発生しており、事件の情報の抹殺や、忘却災害が確認された。これは霊能力者たちの活発な動きに財団が反応した結果、或いは財団が当該事件に異常存在が関与していると判断した結果であり、財団のヴェール保護作用が当該事件の情報を抹殺しようとしていた。
本誌はこれに即座に反応し、恋昏崎役場に相談。恋昏崎役場児童相談課は正常性維持機関により児童保護のタイミングを破壊される可能性、或いは女児が異常存在と接触してしまった可能性に留意し、軽井沢町内の水面下に工作員を展開し、財団の動きを牽制した。工作員部隊は財団のヴェール保護を妨害/牽制する目的で展開したものであり、襲撃等を受けた場合は容易に排除されてしまうため、財団のヴェール保護に対する時間稼ぎの意味合いが強い。本誌特派員は恋昏崎役場児童相談課が稼いだ時間を利用し、重要参考人の確保に成功している。
"本誌独自取材で明らかになった当日の白乃さん"
本誌1998年5月4日号より一部引用
本誌特派員は事件当時に白乃さんと会っていたというBさんの確保に成功した。Bさんは当初、取材に応じるつもりはないと表明していたが、警察が忘却災害で捜査不能になっていることを説明すると、匿名を条件に取材に応じることを決断した。
Bさんは地元の高校に通う17歳(当時13歳)の男子学生であり、白乃さんとは交際関係にあったと自称している。
「決してやましい関係ではありませんでした」
「白乃が東京に引っ越してしまったが、交際を続けていました。私が東京の高校を受験する予定だったので」
若年の交際であったが故に関係性は厳重に秘匿されていたらしく、2人の関係を知る人物は存在しなかった。とはいえ、財団がこのような人間関係を見逃すはずもなく、本誌の保護が無ければ程なくして記憶処理の餌食となっていただろう。
「あの日、私たちは裏通りの喫茶店でここ4か月の出来事を話していました。東京はどうだとか、こっちはこうだったぞ、みたいな話です」
「15時30頃、私たちは喫茶店をあとにしました。白乃のお婆さんの家までは歩くと小1時間程度、2人で話しながらゆっくり帰れば丁度良い時間になりますから、多少回り道をしながらのんびり帰ることにしたんです」
「自転車を押しながら歩くこと30分ぐらいでしょうか。あまり通ったことのない山の方の道を進んでいる時、にわか雨が降り始めました」
「傘を持ち合わせていなかった私たちは、咄嗟に雨宿りできる場所を探し、とある廃墟を見つけました」
この時点でのBさんの証言には一定の裏付けが存在している。この日の軽井沢町では16時ごろから雨が降っており、雨に関する証言は合致する。また、この聞き取り取材の後、喫茶店のマスターに取材を行っているが、Bさんと白乃さんと思われる2人組を見たと証言している。
「廃墟とはいえ他人の土地、立ち入るのは気が引けたが、彼女を雨ざらしにするのはどうかと思い、廃墟で雨宿りをすることにしました」
「中々雨も止まず、白乃の門限が迫っていました。軽井沢は山間故に日没も早いですから、私は白乃を門限通り帰せない可能性に焦りを感じていました」
「私は空を見上げて天気の回復を待ち侘びていましたが、気がつくと白乃が居なくなっていました。廃墟の中も探しましたが白乃は結局見つからず仕舞い。私は門限に焦った白乃が遮二無二に帰宅したと思ったため、自分もそのまま帰宅することにしました」
Bさんの証言には、白乃さんが居なくなったことに本当に気づけなかったのかなど、疑問点がいくつか存在するが、白乃さんとBさんが雨宿りしたという廃墟の存在は、白乃さんの足取りを探る上で大きな新情報だ。この廃墟の存在は確認されており、別荘地のはずれに存在する建造物だ。この建物は長年放置されており、屋根や壁面の崩落が多数存在している。管理会社等の契約は無く、所有者は20年以上前から行方不明になっている。
「行方不明事件については知っていたが、失踪したのが白乃だとは思わなかった。受験勉強もあってテレビを見る習慣から離れていた」
「情報提供に名乗りをあげようと思ったが、出遅れたことで疑われるのではと思うと怖かった」
この様に語るBさん。現在、Bさんの身柄は恋昏崎自警団により保護されている。
廃屋の情報と潜入結果
本誌1998年5月7日号より一部引用
壁面はレンガを積み塗り固めたようであり、居住用の建物ではないことが伺える
Bさんの証言に登場した廃墟に本誌特派員が突入し、財団が廃墟の確保に乗り出す前に情報取材を敢行した。廃墟に入って最初の感想は、この施設が明らかに人の居住を想定していない施設であるという違和感だ。廃墟の外観は別荘地の他の建物とそれほど差異はなく、普通の別荘であるかのように建築されているが、中の構造は外観からは想像しにくい構造となっており、電気水道の類が存在しない他、床は板張りで壁が全てモルタル塗りとなっている。外観では窓があったはずなのだが、それらは飾りだったようであり、内部に窓は存在しない。一見すると倉庫のような内見であり、無機質な空気感に寒気を覚えてしまう。
内部は暗く、ライトが無ければ探索できない
1階にもあったが落書きが多く、地元不良の出入りが伺える
廃墟を探索していると、地下へ続く階段を発見した。前述の通り電気が存在しないため、階段の奥は真っ暗だったが、本誌特派員は懐中電灯を頼りに奥へ進むことにした。地下はいくつか部屋が存在しているが、多くの部屋は入口が崩れており、中の様子を確認することが出来なかった。しかし、中の様子を確認できた部屋の中に、特筆すべき痕跡を発見した。
血痕が見つかった部屋
最奥部の部屋にて、天井に血痕のようなものが張り付いており、天井の通気口と思われる場所へ向かって血痕が伸びているのを発見した。本誌特派員は即座に血痕を採取し、この場所を恋昏崎自警団に連絡した。血痕のDNA鑑定は恋昏崎総合医療診療所によって行われ、白乃さんの血痕であることが確認された。恋昏崎自警団は通気口の中の調査を行おうとしたが、何かが奥で詰まっており、詳細な確認は出来なかった。この通気口は地下の他の部屋や外部にも繋がっていると思われるが、詳細な調査は短時間且つ自警団の規模では困難だった。
できる限りの調査は行われたが、程なくして廃墟が財団エージェントによって監視されていることが報告されたため、襲撃に留意し自警団は撤退することとなった。結果的に事件の核心に迫る情報を財団に明け渡す形となってしまったのは非常に残念だ。しかし、探索の成果は大きく、あまり歓迎すべき証拠ではないが、白乃さんがトラブルに巻き込まれた可能性が限りなく大きいことが明らかになった。この発見までは白乃さんの生存説も根強かったが、事件から経過した年月を加味すると生存は絶望的かもしれない。
廃墟が不自然且つ異様な建造物であったため、廃墟の来歴について調査を行った。廃墟の所有者は群馬県在住とされている高齢男性であり、前述の通り現在は行方不明になっている。この男性は元帝国陸軍の将校であり、終戦後は医療製品の製造会社を経営していた。本誌はこの医療製品会社の経理を担当し、実質的にNo.2的存在だった元従業員のCさんに話を聞くことに成功しており、この廃墟は名目上別宅として経営者時代に建築されたものだが、その用途は別のものだったという証言を入手している。
「あの廃墟で何かあったとすれば、それは呪いだと思います」
呪いという超常的な語を交えて話すCさん。Cさんは廃墟が異常な経緯で建設されたことを証言してくれた。
「当初、会社の経営状況は上々だったんですが、事業の拡大で滑ってしまって業績が一気に悪化した時期があったんですよ。最初は私含めて社員4名ぐらいの会社で、自分たちが食えればそれでいいみたいな会社だったんですがね。ある時、社長が再婚しましてね、家族にいい生活をさせるためか、事業拡大に舵を切ったんですよ。ああ、再婚というのは、社長は戦時中に奥さんを亡くしてましてね。だから再婚です」
「業績が苦しくなる中、社長は軍人時代からの付き合いだった呪術師?みたいな人から経営のアドバイスを受けるようになりました」
「そうしたらある時から業績が急回復しましてね。当事者である私らからしても不気味なぐらい儲かりましてね。そっから社長は呪術師の先生に傾注するようになっていきました」
男性の軍人時代について調査した所、男性は元大日本帝国異常事例調査局の所属であることが判明しており、呪術師のような超常事象の専門家とコネクションを持っていた可能性は高い。Cさんも男性の過去を本人から聞いており、この業績回復も何らかの超常的術式で得た恩恵なのではないかと予想していた。そしてCさんはこの業績回復に関連していると予想される奇異な事象を語った。
「でもね、業績が回復してから、妙なもんが会社内に出るようになりましてね。私の所感では幽霊ってやつです。色素が飛んだような外見の子供が、休憩中だろうが商談中だろうがお構いなし出て来るようになったんです」
「幽霊が出るってだけでも迷惑なのに、この幽霊のビジュアルが社長が再婚した時についてきた連れ子の顔に似ている……というか本人ですよねって感じの外見をしてまして。これが、連れ子を疎ましく思った社長が連れ子を殺して祟られてるんじゃないかみたいな噂になってしまいましてね」
この噂が立つようになってから好調だった業績がまたも低迷の兆しを見せ始めたという。Cさんは会社に出るようになった霊存在の来歴に関しても認知しているらしく、社長の男性と霊存在に関するやりとりを証言してくれた。
「やっぱりね、見た目が連れ子と同じってなったら、噂になるのも無理はないじゃないですか。だから、社長に件の呪術師がいる場で問い詰めてみたんですよ」
「そしたら呪術師がね"殺してはいない"って答えたんです。殺して『は』いない、この時点で"ああ、コイツらやったな"と思いましたね」
「それでですよ。私の表情を見ながら社長が"会社のためだった"とかペラペラと言い訳し始めたわけですよ。これは会社の業績のために思い入れのない連れ子をなんかしたって告白したも同然ですわな」
きな臭い話ではあるが未だ件の廃墟には話が繋がらない。本誌特派員が廃墟との関連性を改めて確認するとCさんは続きを話してくれた。
「私が問い詰めに来た時、社長と呪術師は幽霊をどうするのかの算段をしていました」
「確かに幽霊は不気味ではあるが、特に襲ってきたりする訳ではない。それならば、存在から情報を消し去り、誰にも認識出来ないようにすれば良い。とまぁこんなことを言っていました」
「私は無茶苦茶な事言ってるなと思ったんですがね、すぐに呪術師のお弟子さんたちが集まってきて準備が始まってしまいました。ああいう幽霊が出るようになってみたり、沢山お弟子さんがいる様子をみるとあの呪術師は本物だったんだと思います」
「その時社長に言われたんですよ。群馬から遠くない場所でどこか山奥に儀式場を買えないかって。私はちょっと関わり続けるのは無理だと思ってその日のうちにトんじまいました。社長があの場所に別宅を建てたと知ったのはそれから暫く経ってからです。私の後に経理に納まったかつての同期に聞きましてね。あの建物を儀式場として何かをしていたのは間違いないと思います」
Cさんの証言が正しければ、件の廃墟は異常実体に更なる術式を加えるための儀式場だったということになる。そのような場所に白乃さんが迷い込んだとすれば、何らかの異常実体と遭遇した白乃さんがトラブルに巻き込まれた可能性が高いと言えるだろう。呪術師と呼ばれる存在については追跡が困難であり、詳細な情報は入手出来ていない。
その後の情報と則夫さんの今後
白乃さんの生存は考えにくいとされているものの、白乃さんの目撃情報は2024年現在も則夫さんの元へ寄せられている。この目撃情報も奇妙であり、11歳当時の白乃さんの外見を持つ少女の目撃情報が日本全国各地から寄せられているのだ。事件発生から30年が経過しているため、当然同一人物とは考えにくいが、同じ外見的特徴を持つ別の人物が数十年間に渡り報告され続けるというのも不自然だ。目撃情報が悪質な悪戯である可能性も否定できないが、この目撃情報が寄せられた地点では必ず財団エージェントの出没が確認されるため、この目撃情報は財団の関心を集めており、全くな出鱈目ではない可能性も捨てきれない。
これら目撃情報を受けて則夫さんはこう話している。
「皆さんのお話を加味すると白乃は何か異常な仕打ちを受けたかもしれないんですよね。確かに子供の白乃が目撃されるのは異常かもしれませんが、異常な作用で歳を取らなくなったのかもしれません」
「なので目撃情報がある以上、諦めるわけにはいきません。私がこの失踪事件を諦めない限り、白乃はどこかで生きているかもしれないんです。私がこの事件を終わらせるわけにはいきません」
強い意志をもって語る則夫さん。財団が情報を抹殺している関係上、行政の取り扱いでは白乃さんは存在しない人物となってしまっており、白乃さんが生きていたという痕跡はほとんどなくなってしまっている。だとしても、則夫さんは決して捜索を諦めることはないだろう。則夫さんら親族の時計は1994年8月16日から進んでおらず、財団がいくら情報を消しても消えない真実がどこかに存在しているのだ。
則夫さんは現在でも情報提供を呼び掛けており、現在、白乃さんに関する情報はホームページにて24時間受け付けている。本誌でもこれを取り上げることで、事件が解決に近づく情報が寄せられることを祈っている。
【ライオネル高田・長谷島 祥吾】
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東郷 世典 恋昏崎自警団副団長 元警視庁刑事
廃墟の地下室は当失踪事件における事件現場である可能性が高く、我々は限られた時間の中で出来る限りの検分を行いました。血痕は白乃さんのものと見て間違いなく、鑑定の結果約30年前に付着した血痕だと判明しています。血痕には皮膚組織や毛髪が混入しており、強い力で天井を引きずられることで出来た外傷が原因の出血であると結論付けられており、その異常な痕跡から加害自体は人知を超えた存在によってされた可能性が高いです。
しかし、白乃さんがこの場所にやってきた理由自体は、異常存在由来のものとは限りません。事件当日の白乃さんの装備は軽装であり、懐中電灯などの光源の類を持ち歩いておらず、あのような大人でも入るのを戸惑うような恐ろしい地下室にわざわざ入り込むのは考えにくいです。また、血痕は地下室最奥部の天井を起点として続いており、白乃さんが部屋の奥までやってきていた可能性を示します。自警団は白乃さんが自分の意思とは無関係にこの地下室に運び込まれ、部屋の最奥部まで追い詰められていたと予想しています。
また、後になって証言を得ることができた喫茶店店主の証言ですが、4年前の客のことを覚えている理由を尋ねた所、「若い2人が激しく揉めていたから」だと証言しています。当事件は財団により情報が抹消されているため、当事件の真相が誘拐など事件性があるものだったとしても、犯人を裁く方法はありませんから有体に語らせていただきますが、当該事件にB氏はより深く関連しているのではないかと疑われています。この地下室は落書きの存在から地元の若者グループから認知されている可能性が高く、地下室の存在を知っていたB氏が計画性をもって白乃さんを誘導した可能性が指摘されています。
B氏が保護されたのは1998年ですが、現在でも自警団により恋昏崎内に住居を確保された上で保護されています。解放した所で財団に拘留されるのは目に見えているためという理由もありますが、事件の究明のため聞き取りを継続する必要があると自警団は判断しています。現在、B氏は事件に関する情報の大枠を黙秘、或いは「分からない」と回答しており、保護期間は今後も長大化する可能性があります。
有栖川 ジェンリンス 財団指定要注意人物 霊能者項 PoI-9812
私の所感では今でも白乃さんは生存しています。今から30年前、私を含めた白乃さんの生存を確認した霊能力者たちは、あの事件を切っ掛けにコミュニティを形成しており、現在でも私たちは連絡をとりあっています。白乃さんの生存は、私たちの霊能力コミュニティが出した結論及び総意でもあります。
私達は霊道や死坂などと呼ばれる特別な道を見ることができる能力を持っており、私などの一部更に強力な力を持つ霊能力者は、この道を通った人物の詳細な情報を読み取ることができます。この道は死者の魂が必ず通る道であり、白乃さんは間違いなくこの道を通っていません。そのため、私たちは白乃さんが生存していると考えている訳です。
また、私達以外の霊能力者/霊能力者コミュニティにも白乃さんの生死について聞き取りをおこなっており、やはり大半の霊能力者が白乃さんの生存を主張しています。多くのシャーマンが白乃さんの霊媒を試みていますが、成功した例は存在せず、今まで1度も白乃さんの霊は確認されていません。また、神格存在から神託を授かる系統の霊能力者は、白乃さんの行方について神託を授かった結果、神格存在は白乃さんの死を否定しています。1998年に明らかになった痕跡などを考慮すると、白乃さんの生存は絶望的であるとは思いますが、霊能者としての見解では白乃さんは生存していると言わざるを得ないのです。
大久保 五郎 私塾恋昏崎学園教員 元日本生類創研形而上生物部門研究員
白乃さんを襲ったとされる実体については、廃墟の来歴が関連していると思われます。
私は日創研に在籍していた時、旧陸軍特殊部隊に所属していた元医療大尉の先生から、Cさんの証言に出てきた旧日帝関連の呪術と同一のものと思われる術式について教示を受けたことがあります。術式の名を「綿水術」といい、対象の持つ情報、所謂ミームを脱着可能にし、これを切除することで対象を認識学的に消失させる蒐集院由来の外法です。
その歴史は古く、江戸幕府3代将軍徳川家光の時代に、家光の乳母である春日局が自分と家光の地位を増大させるために南光坊天海に依頼して作らせた蒐集院式の術式になります。なぜ天海が蒐集院式の術式の知識を有していたのか、なぜ春日局が天海と結託したのかなど謎は多いですが、春日局はこの術式を使い、元服前に家光が夜這いで作った子供を消した実績があるようです。この術式は蒐集院に引き継がれ、明治維新で江戸幕府が倒されるまで蒐集院の行った情報管理に利用されていました。
それから時は流れ太平洋戦争末期、日本軍は米軍に察知されない特別な部隊の構築を画策しており、その折IJAMEAに合流していた蒐集院研儀官が綿水術を復活させたようです。ただし、この計画は失敗しており、元医療大尉の先生曰く、情報の切除には成功するものの、対象が失った情報を補うように情報を取り込むケースが確認されたため、情報災害に留意して計画は中断されました。
廃墟の来歴にあった連れ子はIJAMEAの残党により綿水術を受けてしまい、情報の着脱が可能な状態になってしまっていたと思われます。恐らく当初は座敷童のような情報を添加し、会社の繁栄を司る半神半妖に作り替えていたのでしょうが、そこに不都合が生じたので更なる綿水術を施し、情報ごと存在を抹消したのではないでしょうか。そして連れ子は「真綿に水」の要領で情報を吸収しようとします。対象の情報を奪い取る方法は分かりませんが、地下室の痕跡を見る限り、恐らくは暴力的な方法が用いられるのでしょう。事件直後に雨の中目撃された白乃さんや、今でも報告される白乃さんの目撃情報は、この半神半妖が奪った情報を着たまま放浪することで報告された事象ではないかと推測できます。
さて、綿水術を受けた存在や、綿水術によって発生した半神半妖に情報を奪われた存在は、認識学的には極めて稀有な分類がなされます。ミーム欠如と呼ばれるこの状態は、認識を阻害する反ミームや、ミームと反ミームの性質を併せ持つ超ミームとは、明確に区別される深刻な認識疾患です。認識できる情報が丸ごと消滅するため、ミーム異常などを利用し、ミームを治療する方法は有効ではありません。有栖川先生の言う通りに白乃さんが生存していても、情報が奪われた状態では回復させるのは困難です。
そもそもではありますが、ミーム欠如が発生したケースは現代ではほとんど存在せず、研究が進んでいません。ミーム欠如罹患者が死亡した際の霊素が認識可能な状態なのかは判明していません。これが認識不能だった場合、既に死亡していたとしても霊道でそれを観測することは出来ないですし、霊媒も不可能であると思われます。だとすると、有栖川先生が示した白乃さん生存の根拠はいずれも誤りの可能性があります。生きていたとしても死んでいたとしても、白乃さんは誰にも気づいて貰うことは出来ず、私たちは彼女を認識することもできません。そのため、彼女は生死以前に、もう存在しないと言えるでしょう。
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