傍観アルバイター座布田
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「こんな眺めるだけの仕事してもなって思うよな」
「座布田です。いえ、そんな事は……」
 

偉いな、俺がその立場だったら滅茶苦茶思うけどな、と言いながら漆原さんが俺の隣に立つ。正直思わない事はないが、思った所でどうしようもない事は思わない事と同義である。

財団には無数と思える程の仕事がある。なんて、言葉にする事は簡単だ。その雑多で玉石混交、地雷原も不発弾も埋まり放題──それらを踏める領域にすら俺は立っていないが──な業務の中じゃ、こういった仕事は随分と楽だった。

今回の仕事、それは財団サイトの入出場人数をひたすら記録する、言ってしまえばそれだけで。四日間の期間を以て行われる通勤量調査の為に、俺達はサイトの入口に立ってひたすらに道行く職員たちの視線を浴び続けている。

 
「まあ、ただ、やっぱり誰かを見るものは誰かに見られているんだなあと」
「そんな深淵みたいな結論に落ち着かれると寂しいぜ?ちょっとだけな」

 
漆原うるしばら常任監査員。目元にそこそこの隈を作り、緑色のネクタイを揺らす彼の元で仕事をするのは、なんだかんだ初めてだ。いつも何かに寄りかかって何かを眺めている、時折何故か誰かにドロップキックしている姿が記録される、俺が知っているのはそんな程度。

実際に会って顔を突き合わせてみて思ったのは──俺の直属の上司とはまた違ったベクトルで、食えない人だという事だ。若干疲れた口調、低めのテンション感のまま飛んでくる数々の皮肉を、今の俺は適当に受け流す事しか知らない。

多分それが正解なのだろうけど、こと誰かとのコミュニケーションにおいて正解は時に退屈で、冷酷で──見過ごしてしまえる程にちっぽけな隔絶を生むことを、俺は知ってしまっているから。
 

「気を使わなくていい。どうぞ俺の吐き散らかす毒はこれまで通り受け流してくれて構わん」
「んな事言ってないです。確かに思ってましたけども」

 
なんて考えてる事をあっさりと見抜いてくる所は、やけに似ているからやり辛い。財団なんてそんな人ばっかりだ。俺としては他人の腹の底が見え透いてしまうのは、随分とそれはそれで息がし辛らそうだと思う。生きづらそうだとは、前例を見る限り思わないけど。

 
「取り敢えず俺は一旦他の業務行ってくるよ。座布田君は入る奴と出る奴をそれぞれカウントしてくれれば良い」
「座布田です。了解す」
「いや本当こんな業務意味あんのかって感じなんだけどね。それについては四日後にまた話そうぜ、じゃ頑張って」

 
カチ、カチ。俺に背を向けて入場記録の一つを刻んだ漆原さんを見送りながら、変わらずカウンターを押して記録を取る。

まあ実際のところ、気負わなくて楽だと思ったのは本当だ。そして、この作業を終えた果てに、面白い話を要求してくる上司を黙らせる事はできなそうだな、とも。見て、眺めて、記録する。そこに宿る意味をはっきりと見出す事はできないままに、また、カチ、とカウンターを押した。

 

二日目。

入場、出場、入場、出場、出場、入場、出場、入場。

順調に溜まるカウントと、予定調和の溜息を一つ。

 

三日目。

入場、出場、入場、入場、入場、出場、入場。

あれ?と首だけ傾けて。何かが可笑しいな?

 

四日目。

入場、入場、入場、入場。

……。

 


 
「お疲れ様。どうだったかな見物仕事は」
「いや、明らかに入る人に対して出る人いなすぎじゃないですか。この一日とか出場ゼロっすよ」
 

22:15、サイト入口の少し奥。電光が灯る自販機前に、仕事終わりの野郎が二人。
奢ってもらった缶コーヒーを握りながら口を尖らす俺を前にして、漆原さんはニヤと控えめに口角を上げた。

 

「傍観者にだって、見える景色はあっただろ?」

 

「──紐解いていこうぜ。実は、君が手伝いに来てくれた日に丁度某部門の繁忙期がドッキングしていてね。その上でこの資料だ。このサイトで確認された残業申請の記録なんだけど」
 

そう言いながら彼が取り出した資料を一通り眺める。入場したまま出てこなかった人の数を考えれば、明らかにその数が合っていないのは自明に等しかった。

即ち。
 

「水面下での残業を摘発するためって事ですか?」
「ご明察。実を言うとね、生活部門から依頼を受けたんだよ。暗黙の了解として罷り通っている物にメスを入れるには、相応のデータと記録を叩きつけてやるのが一番だからな」

 
ただ、その為に自分の眼でデータを集めて、結論を出していられるほどの暇は、財団で働く人々にはない。───それこそ「財団アルバイター」なんて役職が設立されて、日夜引く手数多で駆けずり回っている程には。無論、ひとつのサイトの入口に四日間かじりついて入出場を数える輩なんて、普通いる訳もない。

 
「だから、誰かが最前列で見続ける必要があるんだ」

 
彼が片手に持ったエナジードリンクを飲み干した。

成程な。と、率直に思った。何かこの四日間で知らぬ間に喉に引っかかていた小さな小骨が、缶コーヒーのぬるい苦みと一緒に嚥下されたような、そんな感覚。存外に良い発見である。これは案外、あの性悪上司にもいい話が持っていけそうだな、なんて考えて。

当然の様にそれが顔に出ていた俺に、漆原さんが一つ問いかける。「───その上で、だよ」

 
「君は、この二つのデータをお偉いさん方に持って行って、水面下での残業がなくなると思うかい?」

 
思考。

返答に詰まる。詰まった末で、応答。

 
「……この二つのデータだけじゃ厳しい、とか」
「あと三つくらいあるよ、似たような記録。それも含めたっていい」
「……つまる所?」
「答えは"否"だ」

 
エナジードリンクの空き缶を自販機隣のごみ箱に丁寧に入れて、彼は俺の顔を真っすぐ見ていた。多分盛大な肩透かしを食らったような、どこかガッカリしてしまっているであろう、俺の顔を。岡目八目、傍観者は確かに色々な側面が見えるけれども。そう前置きして、彼は言葉を続ける。
 

「俺達は当然、黒幕フィクサーにはなれやしない」

 
「じゃあ」と言葉が出そうになって、飲み込んだ。

じゃあ、俺のこの四日間は、何だったんだ。思わずそう反論してしまいそうになったから。これは仕事終わりのなんてことない雑談で、俺の四日間のエピローグで、漆原さんがこれからも歩いていく道、その一欠片に過ぎない。だから───俺は咄嗟に黙った、のに。

彼はどうやら、その言葉の続きを用意していた様で。

 
「なれないから、それを踏まえて真正面から戦うしかないって事だ」
「……と、言うと?」
「だってそうだろ?眺める事で見える景色は確かにある。眺めてるだけで世界は変わらん。どちらも事実だから、どうしようもない」

 
それでも、一歩を踏み出して。そう台詞を紡ぎながら。
ぬらりと"それ"を突き立てた彼は、優し気に微笑んでいる。

 
 

「──最前列のその先で、中指立てて啖呵を切ってやる事ぐらいなら。きっとできると思うからさ」

 
 

「……だから、座布田君。この四日間で君が作ったデータはちゃんと使って、しっかりと足掻いてみせる。本当にありがとうな、次があればよろしく」

 
そう言って、漆原さんは背中を向けて自販機の電光の範囲外、薄暗い廊下を歩いていく。咄嗟に呼び止めた。奢ってくれてありがとうございますだとか、こちらこそお疲れ様でした、だとか。毒にも薬にもならない社交辞令が言葉にもならず泡となって消える。刹那、炭酸の海の果てに残ったのは──本当に、素朴な疑問。

 
「なんで俺に、こんな話したんですか」

 
ふ、と振り返った彼は驚いたような顔をして。
随分と悪戯に口角を上げて、もう一度俺を見据えた。
 

「君だって"その一歩"を踏み出したから、ここに立っているんだろ?」

 
その笑顔で見えた犬歯に、何か研がれたナイフのような物を感じたから。四日間の最後の最後、初めて見せつけられたその側面がやけに──記憶の片隅に残り続ける誰かに似ていたから、ただ、俺は黙る事しかできなかった。

 


 
「おっ、なぁはじめん。お前がこないだ出向いたサイト、こっそり残業してたやつがシバかれまくったらしいんだけど──お前大丈夫だった?」
「座布田です。その情報自体が初耳なんですけど」

 
いつも通りの会話、その中で挟まれた、やけに心当たりのある情報。
適当に会話を受け流すことしか知らない俺も、ふと上司──飯尾唯が持ってる資料を覗いてみる。

普段ならあんまり見たくない人事報告書、その責任者に載った名前を見て。ああやっぱりかという安心と、何か大きな背中を見せつけられた様な敗北感に、少しだけ笑う。

 
「飯尾先輩」
「なに」
「漆原さんって、どんな人か知ってます?」

 
唐突なその疑問に、意地の悪い俺の上司は少しだけ考える素振りすらせず、にやりと微笑んだ。

 
「漆原しばら?結構面白いやつだよ。何だかんだでノリ良いし、かなり骨もあるし」

 
何より、と上司は続ける。

 
「何より、俺が"常任監査員"のポストをあいつに持ってったしね。良い先輩だろ?」

 
それを聞いて、思わず顔を顰めて納得した。何だよ、結局あんたも同じ男に手を引かれたお仲間か。あの夜に感じた残像の正体は、変わらず意地悪気なツラをしながら「おい、なんか言えよ」と俺の脇腹を一回だけつついている。

 
俺が見て、経験して、その眼に映す雑多な景色も。
いつか、俺をまた"最前列"へ誘う欠片になるのだろうか。

 
そんな言葉を胸に抱えて、一先ず上司を押し退けて。

「そろそろ時間なんで行きますね」、とだけ淡白に言いながら、俺はまた右足を踏み出した。

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