花の咲いた枝
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世界中を埋め尽くした花畑。それを見た人々は皆、自分たちが間もなく死ぬという確信を得た。しかし、その確信と同時に、多くの人がこんな疑問を持った。───自分たちはどうやって死ぬんだ?と。

死が陳列され、多くの人が特定の死因では死ななくなった世界。この疑問に対する議論が白熱するのに、そう時間はかからなかった。どんな国、人種、信条の人々が行う議論であれ、根幹には「全ての人が同じ死因で死ぬなんてことはあり得ない」という共通認識があった。

ある人は地球の爆発で大抵の人は吹き飛び、生き残った人も凍死や窒息死、脳死や宇宙線による急性被ばくで死ぬと言った。またある人は、天より神が降臨し、生きとし生けるもの全てを約束の地へと導くと説いた。中には、この世界は1つの仮想世界で、そのシミュレーションが終了してデータが消されるなどと言う人もいた。

男もまた、どんな終わりがやってくるのかを考えている1人だった。男は成功者だったが、若くして最愛の妻を失っていた。目の前で居眠り運転の車に轢かれ、ボールのように転がる妻を見た時から、男は死が何の前触れもなくやってくるものであることを知り、常に恐れるようになった。

タナトマ技術が世界に現れたのは、妻の死から約半年後だった。自分の体から死を取り出せる──それを知った男は、まず真っ先に轢死を抽出した。その後も餓死や焼死、窒息死、感電死など…資産の大半を手放し、男は現在抽出可能なタナトマを全て高純度で抽出していた。言ってしまえば、男は不死と言っても過言ではない存在になっていた。

花が咲き乱れてすぐに、財団と名乗る組織が「24時間後にこの星の全ての生命は死を迎える」と声明を出した。多くは話半分で聞いていたが、男はそれが正しいと確信していた。どうやっても死なない自分でさえ、あの瞬間に死を確信した──根拠はそれだけで十分だった。財団が告げた時間まで残り10分。男はもうすぐやってくるらしい死に思いを馳せながら、花で埋め尽くされた砂浜をゆっくりと歩く。妻の希望で建てた別荘の目の前の砂浜、妻のお気に入りだったこの場所で、男は最期の時間を過ごすことにしたのだ

波打ち際に沿って広がる白い絨毯を踏みしめていくと、少し先に座り込む人影が見えた。膝を抱えて座り込み、じっと海を眺める1人の若い女性だった。潮風にあおられ、夏らしい白のワンピースが風になびく。足音に気づいたのか、女性は男の方へ振り返り小さくお辞儀をした。

「こんにちは。世界の終末なのに、あなたは1人なの?」

随分と失礼な物言いだったが、男は全く気にしていなかった。むしろ知り合いに明日の天気を尋ねるような、そんな軽やかさに心地よさすら覚えていた。

「妻には先立たれてね。子供もいないから独り身だよ」
「それは…ごめんなさい、お気の毒に」
「なに、仕方のないことさ。人間、いつどこで急に死ぬかなんて普通はわからないからね」
「そう、普通は…ね」

男は「失礼」と言って、女性から少し離れた花の上に腰を下ろした。視線の先では、かつて妻が好きだった青い海が穏やかに揺れている。潮の香りと花の甘い匂いが、鼻腔をくすぐった。

「自分たちがどうやって死ぬのか、みんな変な予想ばかりしてるわ」

女性は苦笑しながら、足元に咲く花を1つ抜いて手で弄んだ。

「星が落ちてくるとか、宇宙人が侵略してくるとか、神様が降臨するとか。私はね、ただ普通に、みんな心臓が止まるんじゃないかって思ってるの。こんなに静かで綺麗な日なんだから、みんな安らかに眠りたいじゃない?」
「いい終わりだね。私には縁がなさそうだが」
「もしかして、心停止は抜いてるの?」
「随分昔にね」
「他には?何を抜いてるの?」
「全て。知る限りのタナトマは全部抜いたよ。とんでもなく高くついたがね」

男の返答に、女性は感心したように「へえ」と声を漏らした。

「じゃあ、普通は死なないんだ。それでも死ぬと確信してる…不思議ね」
「全くだ。そういう君は?」
「私は…溺死と窒息死と轢死、あとは失血死ね」

女性は右手の指を折りながら抽出したタナトマを数える。平穏な人生を歩んでいても起こりうる、ありふれた死因が列挙されていく。

「あなたと比べたらはるかに少ないわね」
「まぁ、普通はそんなもんだ。私がかなりの臆病者ってだけさ」
「どうして臆病になっちゃったの?」
「妻に目の前で逝かれてしまったからさ。居眠り運転の車に轢かれたんだ。もうすぐ結婚9周年って時だった。その時、死がとても恐ろしくなったんだ」
「死はみんな怖いものじゃない?」

男は静かに頷く。

「勿論、誰だって死ぬのは怖い。だが、多くの人は普段から死ぬことなど気にしない。事故や難病に戦争、そうした危機に瀕して初めて意識するものだ。だがあれ以降、私にとって死は常に背中にへばりついているものになったんだ」
「だからそんなにタナトマを抜いたんだ」
「あぁ。初めてタナトマを抜いてからかれこれ30年前になるかな」
「30年?…あそっか。え、あなた今いくつなの?」
「先月で61になったよ」

タナトマとは、死の過程そのものだ。老衰のタナトマを抜いた28年前から、男の肉体は老いることを忘れていた。

「ごめんなさい。奥様の話から年上だとは思っていたのだけれど、まさか倍以上離れてるとは」
「はは、別に気にしなくていいさ。初対面で老衰を抜いてるなんて普通思わないからね」

男は嬉しそうに目を細める。28年変わらない外見を使って初対面の人を揶揄うのは、男の小さな楽しみの1つだった。

「君のことも聞かせてくれないかな。君は何故ここに?」
「あなたと同じで独りぼっちだからよ。家族はまだ生きてるけどね」
「家族と最期を過ごさなくていいのかい?」
「ヨーロッパに移住しちゃってね。大学時代からずっと1人暮らしなの」

女性は少し寂しそうに目を細める。そこには、男の感じる孤独とはまた別の孤独が垣間見えた。

「ちょくちょく電話は来るけど、会ったのは2年前のクリスマスが最後」
「昨日今日で連絡はしたのかい?」
「2時間くらい前にお別れを言ったわ。で、やることもないからここに来て海を眺めてたってわけ」
「寂しくないのかい?」

「少しはね」と女性は笑う。

「でも正直、ほっとしたっていうのが本音かな」
「あまり仲が良くなかった?」
「というより、あっちが私に興味がない感じ。移住自体、私よりずっと優秀な妹を海外で育てるためだったし。電話自体も、生存確認って感じだったから」
「まぁ、それで楽しい人生を過ごしたならそれが正解さ」
「よね」

沈黙。ここで偶然出会っただけの2人。特段話すことがあるわけでもなく、会話は途切れた。互いに無言のまま2分が過ぎた頃、男のスマホからアラーム音が鳴った。

「もう時間?」
「あぁ、1分前に鳴るようにしたんだ」
「……結局、最後まで実感湧かないわ」
「私もだ」

女性は伸びをしながら呑気に笑う。男もまたつられて立ち上がり、同じように伸びをした。

「ありがとう。悪くない最期だったわ」
「こちらこそ、思いのほか楽しい最期だった」
「…綺麗ね」
「…だな」

彼らの頭上には、太陽が高く昇っている。それはこれから死にゆく人を見守るようにも、無機質に死にゆく世界を照らしているだけのようにも見えた。

「ねえ」
「何かな?」

女性は空を見上げながら何かを呟いたが、その声は大きな波の音にかき消された。

「え?なんだって?」

女性が男の方へ笑顔を向け、何かを言いかけ──


パン



Isaac49: これで何回目だ?

BranchSubordinate: 23回目だ。

Isaac49: それだけ枝を切って、何を得た?

BranchSubordinate: この星は、生命の最期を死であろうとする。

Isaac49: はは、それだけか。

BranchSubordinate: 23回全てで花は咲いた。きっと我々が死ぬ時もそうなのだろう。

Isaac49: それは良い。素晴らしい景色だぞ。

BranchSubordinate: 楽しみにしておこう。

Isaac49: あと2分だ。他に聞くことは?

BranchSubordinate: タイムラインの崩壊を死と捉えるかね?

Isaac49: ノーだ。君は?

BranchSubordinate: 私もノーだ。死には、必ず残るものがある。だが世界が崩壊すると何が残る?犬が持ち帰ってくるボールの残骸だけだ。それも投げ捨てられてウィンドウから消えれば、何も残らない。

BranchSubordinate: それでも花は咲いた。私は、これを星の慈悲だと信じている。何も残らない終わりを死と偽ることで、人々は安らぎの中で消えていく。これを慈悲以外の何と呼ぶ?

Isaac49: 詩人だな。どうやって死ぬのか議論している人間が哀れでならない。終わりが死ですらないことを知らないまま、彼らは消えていくんだ。…私は、これが星の罰だと信じている。

BranchSubordinate: 罰、か。

Isaac49: タナトマは素晴らしい技術だが、同時に死を弄ぶものでもある。古来より、生物は生と死の中で生きてきた。産み、狩り、育み、食らい、枯れる。この星のシステムの根幹であった死を、我々は金で買い叩き、捨てた。だから星は我々を見限り、真実を伝えない。甘い花の香りに酔わせ、母なる星は微睡む我が子にこう囁くんだ。「どうか、何も知らないまま共に使い捨ての玩具になっておくれ」とな。

BranchSubordinate: もしそうなら、寂しいな。

Isaac49: 君達はきっとこれからもボールを投げるんだろう。さようならだ傍観者。自分たちを見限った星の上で、良い最期を迎えてくれ。

[通信途絶]



ラップトップのウィンドウには、破裂したボールの残骸を咥えた犬が戻ってきていた。やがて犬は残骸を投げ捨て、女性によって再び鎖に繋がれる。こうして、この枝はまだ死ぬことを許されたのだった。

実験を終えた博士は、ラップトップを閉じ部屋を後にする。いつか、ここにも未来からの客人が来るのかもしれない。そうして切り捨てた枝のように花が咲いた時、自分は何を思うのだろうと、博士は考える。無知な人々のように穏やかに微笑んで目を閉じることができるのか。それとも、真実を知る者だけが味わう虚無と恐怖の中で消え去るのを待つだけなのか。その時が来るまで答えの出ない問いが、博士の足取りを僅かに重くした。

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