これは復讐の物語であった。

そこはかつて図書館であった。それも世に比肩ひけんし得るもの無き規模の。
視界の果てまでビル並の高さの本棚が立ち並び、ありとあらゆる本を収めていた。かつて書かれた本も、これから書かれる本も、未来永劫決して書かれることのない本も。
だが、今は既に廃墟だ。
蔵書は全て抜き取られ、挙句に本棚も粉々に砕け散っている。その残骸が山の如ごとく積み重なり、壁の如く空間を分断している。
そんな凄まじくも荒涼たる風景の中を、一組の男女がよろめき歩いている。同体に見えるぐらい、ぴったりと寄り添いながら。だが、仲睦なかむつまじくと茶化すには、あまりにも壮絶な状態だった。
片方は青年である。若者らしい靭しなやかで均整の取れた体躯たいくは、しかし既に片手と片足を失って満身創痍まんしんそういだ。無理もない。世界オカルト連合G O Cの精鋭たるホワイト・スーツと死闘を繰り広げたのだ。ホームセンターで買ったネイルハンマー一本で。
片方は少女である。小柄な体格で懸命に青年を支えている 焦りで偽装のヴェールが乱れ、その下の真の姿がちらちらと覗のぞく。それは銀色の液体金属の塊だった。今は歩行器のような形に固まって、片足の相棒を補助している。
あらゆる観測機器に姿が映らないという特異体質の持ち主、鉄槌てっついの亡霊レンジ。
鉄壁の盾にして変幻自在の万能ツール、液体金属生命体のラムダ・シナフス。
二人はつい最近まで、GOCの宿敵とも言われる蛇の手、その中でも過激派中の過激派である百歩蛇ひゃっぽだの手に所属していた。GOCの兵士たちの屍の山を築き、同胞からは最高戦力と讃えられていた時もあった。
色々あって古巣を抜けた今も、こうして行動を共にしている。なぜなら、彼らは百歩蛇の手に入る前からの付き合いだからだ 否、付き合い等と言う浅い関係ではない。お互いがお互いの生存に不可欠な、生物学で言うところの共生に近い。打算的と言えば打算的。しかし、強固と言えばこの上なく強固な関係だろう。だからこそ、二人は化物揃いの百歩蛇の手においても、最強でいられたのだ。
少なくとも、つい最近まではそうだった。
レンジがふらつき、転倒する。
「レンジ!?」
慌てて抱え上げる。ラムダの触手の中で、レンジは額に汗を浮かべ、視線を虚空に漂わせている。この状態、見覚えがある。初めて会った時と同じ、おそらくは大怪我に伴う発熱だ。
「頑張って! ここさえ切り抜ければ、あんた 私たちには新しい人生が待ってるんだよ!」
「俺は、お前とは 」
レンジの譫言うわごとが途絶える。何と言おうとしたのだろう。彼にしては弱々しい声だったが。
( 今はそれどころじゃない)
自分にそう言い聞かせて、ラムダは強引に前を向く 彼女は気付いていない、相棒から目を逸している自分に。
あるかどうかも解らない出口を探して、ラムダはレンジを抱えて図書館を彷徨さまよう。彼女の焦燥に追い打ちを掛けるように、次々と目の前に現れる 自らの選択が招いた結果が。
かつての仲間たち 百歩蛇の手の残党の骸むくろと、相討ちになったホワイト・スーツたちの骸。焼かれ、貫かれ、切り裂かれ 無残でない死に様は一つもなかった。
死んでいった元仲間たちの中には、自分を裏切り者と呪った者もいたことだろう。事実、その通りだ。自分のわがままが百歩蛇の手とGOC、二組の復讐者を巻き込み、三つ巴どもえの復讐劇を演じさせたのだ。
(この上、レンジにまで死なれたら、私 )
盾役の自分を差し置いて、無茶ばかりするレンジ。
放浪者のシンボルもろくに読めなくて、しょっちゅう自分に通訳させるレンジ。
あんたはどうしたいのと尋ねても、お前が決めてくれとしか言わないレンジ。れっきとした人間だというのに、その振りをしているだけの自分以上に分からずにいるかのように 人としての生き方が。
"デカい弟"。ラムダはレンジを常々そう評してきた。おそらく、周囲の人間も同感だったろう。だが、今なら分かる。相棒に依存していたのは、自分も同じだと。挙句の果てに、自分の復讐にまで付き合わせてしまった。
本当にレンジのことを思うなら、自分は一人で逃げるべきだったのだ。こいつなら、百歩蛇の手に残るにせよ、どこかへ移るにせよ、きっと上手くやっていけただろう。正義だの理想だのといった建前にすがらない、適当で強いこいつなら。
(レンジだけは生かさなきゃ、この身に替えてでも!)
「! あった、出口 」
本棚の残骸が散らばる広大な床の中心に、ぽつんとドアが立っている。僅かに開いた隙間からは、七色の光芒こうぼうが差し込んでいた。おそらくは"道"の出入り口、少なくとも何処どこかかには繋がっている。
「レンジ、もう少しだけ頑張っ」
レンジがラムダを突き飛ばす。てっきり気絶しているとばかり思っていた彼女は、成す術もなく吹っ飛び 直後、発砲音が響く。
(え?)
レンジは受身を取るでもなく、だらりと床に転がる。
本棚の残骸の影から、よろよろと一人のホワイト・スーツが現れる。外装はほとんど剥がれ落ち、丸見えの装着者も瀕死の有様だ。それでも片手に拳銃を構えている。息も絶え絶えに呪詛じゅそを吐く。
「未来になんぞ、行かせるか あれだけ殺しておいて」
ラムダは咄嗟とっさに盾状に変形して、倒れたレンジを庇かばおうと する必要はなかった。最後の力を振り絞っての一撃だったのだろう。ホワイト・スーツはその場に崩れ落ち、動かなくなる。
名も知らぬ敵の最期には目もくれず、ラムダはレンジに駆け寄る。妙に冷静に。そこで初めて見えた。
レンジの額に空いた穴が。
レンジの光が消えた双眸そうぼうが。
「レンジ?」
返事はない。
「ねえ、レンジ?」
揺さぶってみる。人形のようにされるがままだ。
「ねえ、レンジってば!」
それは既にレンジではなかった レンジの、ただの残骸だった。
「 」
生まれて初めて、ラムダは頭の中が真っ白になるという感覚を知った。
『俺は、お前とは 』
空っぽの心に、レンジの最期の言葉が残響している。
(レンジ あんた、まさか)
ラムダはようやく、レンジが何と言おうとしていたのか悟った 遅すぎた、あまりにも。
(何で、何で気付かなかったの 相棒なのに、ずっと一緒に居たのに)
決まっている、『少しは自分で考えろ』などと説教を垂れておきながら、自分は結局のところレンジに 。
「私の所為せいだ 」
周囲は静寂に包まれている。ラムダの他に生き残った者はいない。阻まれる恐れもなくなった出口に、しかし彼女は一瞥いちべつもくれない。当然だ、自分一人で脱出して何になろう。液体金属の身体がぶるぶると震え、体内に収納していた物品がごろりと投げ出される。
それは一冊の古びた本だった。
(栞しおりが教えてくれたのに )
化物の自分にも、普通の人間の友達が出来たのに。
(私が復讐を選んだから 自分の罪から逃げたから レンジを付き合わせたから )
ラムダの目から涙が 否、彼女にそんなものを流す機能はない。強烈な自己否定が液体金属の結合を緩め、身体の崩壊を招いているのだ。
許せなかった。選択肢を尽ことごとく間違え続けた自分も、こんな自分だけ生き残らせた世界も。
生まれてくるべきではなかったと思った。
諸共に消えてしまえと呪った。
涙ではないが、意味上はそう呼んでも差し支つかえない銀色の雫しずくが、開かれた本の頁ページに次々と流れ落ちる。そして 。

ラムダの声なき慟哭どうこくに呼応するように、世界が歪んでいく。
公園の木々は生首を生やした植物に取って代わられ、散歩中の犬は鎖に繋がれた奴隷に変貌し、東京スカイツリーはねじれたピラミッドのような建物へと姿を変える。
誰もそれを異常だとは思わない。あらゆる文字が見たこともない象形文字に置換されても、元からそれを使っていたと皆が信じて疑わない。コロシアムでは人々が奴隷試合に熱中し、母親たちは嬉々として我が子を生贄に捧げ、通りでは偉大なる女王の3000歳の誕生日を祝うパレードが行進している。
最早、ラムダとレンジが生きていたことなど、誰も覚えていない。二人と様々な形で関わり、共に復讐の三重奏トリオを構成した人々のことも。
それはある意味、究極の救いではないだろうか 。

こうして、彼らの復讐は終わった。


