サーキック・ヒート


サーキック・ヒート


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ロシア、モスクワ
2021/11/1

カルキスト・ヴァリスは、ヴァンガードの装甲SUVの助手席で身を仰け反らせた。彼は首を横に向け、運転中のだらしない中年男の方を見る。アルト・クレフ博士は、つばの広い帽子の下で不潔な髪をセミロングに伸ばし、顎には永久的な無精髭を貯え、汚れたフランネルの裾をジーンズに突っ込んでいた。ショットガンが座席の間の縦長の棚に置かれ、その上、クレフは腰にも武器を装着していた。

「それがプロフェッショナルの仕事着かね、アルト?」

アルトは無愛想な横目をヴァリスに向けた。「お前さんは、普段は肉のローブを着てないのかよ?」

「おやおや、人種差別が始まったようだ」実際のヴァリスは、消炭色チャコールに薄っすらとピンストライプの入ったテーラードスーツに、黒い襟付きシャツと気取らない赤のネクタイという出立ちであった。

「差別だって? 何のことだか。肉製の服は着ないのかよ?」

「これはトム・ベイカー製だ」ヴァリスはスーツの襟元に指を走らせた。

「そいつはローブも作るのか?」

ヴァリスは、クレフのレベルに合わせてやらないことを選び、丁寧に微笑んだ。「後で調べておこう」

ヴァンガードの運営が開始してから数ヶ月が経ったが、その道は困難に満ちていた。国家、企業、民間利益団体は 「ヴァンガードはデマを振り撒いている」と怒りを露わにした。しかし、世界的な発表から数週間後、以前財団に雇用されていた科学者たちが、管理下にある大量のアノマリーに関するデータを発表し始めた。暫定の管理者委員会が指摘したように、初期の優先事項の一つは、大きな成果を見せつけることだった。これは、ヴァンガードが危険なアノマリーについての真実だけでなく、その解決策も提供していることを各国政府に理解してもらうことを意味していた。そしてそれこそ、ヴァリスが財団一悪名高い殺人者と共に、FSBエージェントの小部隊に護衛されがらロシアにやって来た理由でもあった。

「警官役は楽しめない」ヴァリスはサイドミラー越しに後続のFSB部隊の装甲車を見つめていた。

「ACAB、だよな?」 クレフはタバコを吸うために窓を開ける。

「何と?」

ポリ公なんざクソ食らえAll Cops are Bastards、だろ? 略してACAB」

「君は何かに真剣に向き合うことができるのか、アルト?」

「作戦目標にならな」

ヴァリスはクレフを見た。何と奇妙な男だろうか。

「口だけの男だと思われたくはない、だがな、我らの民は何世代にも渡り、FSBのような無法者どもによって踏み付けにされてきた。そして今、私がこの突撃兵の役割を演じなくてはならないのが歯痒いのだよ」

「ふむ、もし我々が世界を合意させることを望んでいて、我々の新世界、あるいは — 」

「委員会は、我々がそのように呼ぶことはないと明言しているはずだが」

クレフは笑った。「お前も分かってるはずだろ。以前財団がそうだったように、我々は権力者に受け入れられなくてはならない。そして今や全世界がクソを知っちまった。我々には大衆的勝利が必要なんだよ」

「分かっている」

「そもそも我々が警官を演じている理由だがな、そいつはお前の従兄弟がここ数カ月で随分と威勢よく振る舞うようになったからじゃないか」


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ヴァンガード サイト-19
2021/10/30

ハンターの黒きロッジについて何かご存知?」

「その問いを私に投げるのは、私がナルカの信徒だからだろうか、ティルダ?」

ティルダ・ムースはヴァンガード委員会のメンバーであり、かつては財団のサイト-19管理官、更に以前は蛇の手の分隊の指導者だったこともある。彼女の考え方はヴァリスの興味を引くものだった。彼女はこの20年間、様々な視点から異常な世界を観察してきたのだから。しかし、彼女の質問は彼の胃を痛め、彼は拳を作らないように椅子の背もたれを握った。

二人は、アメリカ大陸における再開発と再編の拠点となったサイト-19のムースのオフィスにいた。ヴァリスは腰掛けないことにし、彼女の机の前にある来客用の椅子に寄りかかっていた。彼はこの地に長く止まってはいなかった。複数のナルカ信仰のコミュニティ間を行き来し、彼らの移行を容易にしようとしたり、志願者を新しい組織に引き入れたりする活動に従事していたのだ。

「尋ねた理由ですが、ここ数ヶ月、世界の転換以前から、貴方の役割が外交に集中したものになっていたからです。もう一つの理由としては、貴方が信仰の専門家であり、指導者であり、そして貴方がこの新世界におけるナルカに対する見方について気を払っているからです。」

「これは失礼、古き憎しみが燃え上がったようだった。素晴らしい進歩があり、我が同胞も組織に迎え入れられた。だが、未だ反発と無知は残り続けているようだ」

「私が手の一員だった頃には、ナルカの人々以上に奇妙な人物や物事に出会いましたよ、ヴァリス。私にはそのような偏見はありません」

ヴァリスはようやく腰を下ろし、彼女が差し出していたファイルを手に取った。

「ロッジは、SCP…… VNP-6500を契機に活動を十倍にも拡大し、ロシア政府もようやく我々の警告を真剣に受け止めるようになりました。彼らもロッジが何かおかしなことをやっているとは知っていたようですが、我々の前任者は彼らに全てを教えることはありませんでした。財団がロシアで勢力を拡大する以前、GRU-Pもそうだったようです」

ヴァリスはファイルをめくり、モスクワとその周辺にロッジが所在していることを示すいくつかの地図に目を留めた。彼はムースと目を合わせた。

「なぜ私にこの話をしたのかな、ティルダ?」

「新規に我々に加わったナルカの出身者たちは、上手く順応してくれています。ですが、まだ実戦には早すぎます。正直に言って、まだ十分ではありません。委員会は、FSBの許可と援助を受け、モスクワにおけるロッジに対する警察活動を承認しました。MTFの隊員を送り込んで監督させますので、それに同行していただきたいと思っています」

「なぜだ?」

「外交的に解決することができるとは考えていません。しかし、それは組織についての話です。個々の構成員に関して言えば、降伏するだけの知恵を持っているでしょう。特に、高名なカルキストを相手にすれば尚更です。実のところ、我々にとってロッジからの採用は初めての経験ではないのですよ。加えて、貴方は我々が何に直面しているかを知る、最も適した人物だと考えています」

「なぜ今なのだ?」

「ロシアを味方につけるためです。世界の隅のこの地域に、我々は多くの課題を抱えています。ロシア連邦の協力を得ることは、6103930のようなものを抑制するための援助を得ることに繋がります」

「MTFのエージェントを率いた経験はないのだが」

「その点はご心配なく。貴方一人で行かせようなどとは夢にも思っていませんよ」


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ロシア、モスクワ
2021/11/1

「ロッジは従兄弟などではないぞ、アルト。連中は組織化された犯罪者集団で、イオンの信奉者であるはずの堕落した神の祭壇を崇拝している。仮に、私が彼らと関係があると言うのならば、君はバージニア州のライフルを持った性差別主義者の全員と関係があることになるだろうな」

クレフは空いた手を上げて降参し、タバコを窓の外に投げ捨てた。この地方のこの時期にしても、空気の冷たさは相当なものだった。ヴァリスは体温低下を補償するため、体内のハルコストのコロニーに精神指令を送り、身体の温度を上昇させた。

「分かった、分かった。連中はお前の家族じゃない。だが、関係者ではある。そうだな? これから我々がどういう場所に突っ込もうとしているのか、知っているんだろう?」

「オロクの祝福のために戦い死ぬ者たちや、自動火器で武装したロシアンマフィア連中が蔓延る、張り巡らされた地下通路だ」

「私好みの楽しみだな」

「可能な限り捕虜として捕らえるべきだ、アルト」

クレフは嘲笑しながら、もう一本のタバコに火をつけた。 「捕虜だと? 夢でも見てろ」

「いや、勘違いするなよ。この大馬鹿どものうち一人だって降伏するっていうんなら、私だって万々歳さ。だが、お前さんが私と同じ事前資料を渡されたとは到底思えないんでね」

ヴァリスは窓の外を眺めながら、2408に配属されたエージェントが報告した、血を抜かれ、洗脳され、死ぬまで戦う儀式について考えていた。何世紀もの時を経た今、信者たちによる彼の言葉の解釈について、崇高なるカルキストその人はどうお考えになるのだろうか? そのように思いを馳せるのは、彼にとって初めてではなかった。

「ここの出身なんだろ?」クレフが尋ねた。

ヴァリスはツァーリ時代の地下牢とGRU-Pの実験を思い浮かべながら、頷いた。「私はロシアの生まれではないが、何年もこの地で過ごした。ここを故郷だと思うことは難しいがね」

クレフは横目で彼を見て、顔から笑みをこぼした。「悪い時代があったかな?」

「スターリンは愉快な男ではなかったよ」

クレフは少し考えているようだった。「ああ、私もそう思ったことはない」

「全く、悪しき記憶の上に新たな恐怖を重ねるために、長い年月を経てここに戻ってくるとは…… この対決は楽しみではないとだけ言っておこう」

ヴァリスはダッシュボードのGPSを見て、自分たちが目標に近づいているのを確認すると、隠しスペースから無線機を取り出した。彼はまずFSBとMTFの共有チャンネルにチューニングした。「三分以内に目的地に到着する。降車して、練習通りに敷地を包囲せよ。メクラネズミ、君たちの任務は下水と坑道に降りて、そこを封鎖することだ。プサイ-13とFSBの武装隊員はクレフ博士と私に続いて建物内に突入する。モスクワ警察が通りを封鎖してくれている」

クレフは手を差し出し、ヴァリスは彼に無線機を渡した。クレフはチャンネルを回し、プサイ-13とメクラネズミのみに向けて発信した。「オーケー、少年少女諸君。突入した瞬間から、そこは戦闘区域になる。FSBと警察から目を離すな、我々は友好的な領域にはいない。各自、最善の行動をとるように。だが、サーキッ — いや、ブラックロッジのやつからの敵意を感じたら、武器を使え」

彼がヴァリスに無線機を返すと、ヴァリスはそれを隠しスペースに戻し、腕を組んだ。クレフが咳払いをするまでの一分間、どちらも何も言わなかった。「あのな、古い習慣というのは中々無くならないものだ。分かるだろ?」

ヴァリスは前を向き続け、通り過ぎる道の細部に注目していた。

「せめて仕事では協力しようじゃないか。な? 私は老いぼれで、今は調整中なんだ。新しい生き方に慣れるにはもう少しかかる。君のことを教えてくれ、カルキストとしての能力は? 今日は一体何をやってくれる?」

「君の身体を乗っ取り、私の身体の一部にできる。そうすれば、二度と老いぼれクレフの戯言を耳にする必要は無くなるだろうな。この情報は君にとって有益かね?」

「よせよ、そんな出鱈目」

「おや、君は私についてのファイルに目を通さなかったのか? 断言するが、財団は暫くの間、私を彼らの客人として迎え入れていた…… あるいは私の一部となっていた。実際、私はそうやって彼らの魔の手から逃れたのだよ」

クレフは両手で硬くハンドルを握った。「本当にできるのか?」

「試してもいい。君の持つ、異常な作用に対する強力な抵抗力については皆が知っている。試して欲しければ、やってみせようか?」

「結構だ」

「そうか、今後はもう少し他者に敬意を持つことをお薦めしよう」

車列は警察が整備した規制線へ近づいた。クレフが身分証明書を見せると、車は通された。六台の装甲兵員輸送車がクレフの運転するSUVの後に続き、静かなナイトクラブの前に半円を描きながら駐車した。

ヴァリスは車を降り、MTFやFSBの職員たちが通りに集まってくるのを後方から見つめた。彼は看板を見上げ、にやりと笑った。クレフはその視線を受け止め、肩をすくめた。

夜の饗宴ナイト・フェスタだそうだ」

クレフは大げさに身震いし、隊員たちの方を向いた。

「よし、各自指令通りに動け! 私とカルキストに追従する者は、警戒を怠らず、命令があるまで発砲はするな。分かったか?」彼は六十人近い装甲兵に向かって叫んだ。それに対して様々な頷きと肯定がなされ、クレフはヴァリスに頷く。

カルキストはコートを整え、クレフから差し出されたボディ・アーマーを装着した。クレフも胸にヴァンガードの紋章が入ったベストを着ている。

ヴァリスは、ロシアの裁判所から発行された令状を取り出し、ナイトクラブの扉に近づいた。彼は、これは絶対に上手くいかないだろうと思っていた。


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ナイト・フェスタ – ロシア、モスクワ
2021/11/1
5分後

それは上手くいかなかった。ヴァリスは、現状が実に酷いものだと認めざるを得なかった。彼はオロクの石像の後ろにひざまずいており、そこは円形の地下室で、中心から放射状に5つの通路(彼らが入ってきた通路を含む)が伸びていた。彼はクレフの頭を持ち上げ、怪我がないかどうか調べようとしていた。左目の上に、爆弾の破片によると思わしき鋭い切り傷があったが、それ以外は大丈夫そうだった。ヴァリスが自身の掌を流血する傷口に当て、ハルコストに傷に触れるように命じると、それは肉を引き寄せ、生体縫合糸で裂け目を縫い閉じた。

ヴァリスは手を離し、クレフの目を覗き込んだ。その目は曇っていて、焦点が合っていなかった。

「畜生…… 一体何が起きたってんだ?」

「抵抗を受けたんだ、アルト。ロッジの兵士の一人が手榴弾を部屋に投げ入れた。FSBのエージェントの何人かが爆風を受け、君は倒れ伏した。私は君を障害物の後ろに引っ張り込んだ」

「少し待っていてくれ」

ヴァリスは、危険を冒して彫刻の上から辺りを見渡し、左目のすぐ下に拳銃の弾を受けた。彼はうめき声をあげながら、掌を顔に開いた穴の上に当てた。これは、かなり不味い状況だ。

上のナイトクラブは廃墟同然だったが、早朝の時間帯であればそれほど不自然なことでもなかった。彼は令状を持って奥の部屋へと進み、クレフとその部隊が後に続いた。彼は地下に続く階段を見つけ、ロッジが建設した地下都市だと考えた。

この通路は最近多くの人が通ったようで、泥だらけの足跡や捨てられた箱があちこちにあった。明らかに倉庫として使われていた通路だったが、ナイトクラブの備品が入った箱を慌ただしく脇に退かした形跡があり、出入りできるようになっていた。

ヴァリスは令状をポケットに戻し、コートの上からアーマーを調節した。それは明らかに上等な服の上に着るためのものではなかった。クレフの前では認めないが、カジュアルな服装であることは彼も理解していたのだ。

気がつくと一行は、坑道の奥へ奥へと進んで行き、彼らが今いる部屋へと入り込んでいた。オロクを象った大きな石像が、血と瓦礫で汚れた床の上、丸みを帯びた金属製の門の前に立っていた。

「主の聖域を侵すとは、何者だ?」近くの廊下からロシア語で叫ぶ声がした。

「我々はロシア連邦政府とヴァンガード、旧SCP財団の代表者である。我々は敷地内を捜索するための令状を持って — 」

ヴァリスの発言は、爆発によって数人のFSB職員が死亡し、クレフが地面に打ち倒されたことによって遮られた。

傷口を塞いだヴァリスは手を伸ばし、自らの宿主を通じて襲撃者たちを感知しようと試みた。彼は数十人のハンターを感じ取ることができた。彼らの増強された身体システムはハルコストで駆動していたが、彼はそれを掌握し、制御を奪うことができなかった。彼らは、彼の支配に対して警告を発し、抵抗していたのだ。彼らは魔法も身体増強も無しに、単に意志の力でそれを為していた — そのため、彼らは隠れ潜むヴァンガードの軍を追い詰めるために部屋中を捜索することが出来ないでいた。

ヴァリスがクレフを見下ろすと、ベルトに手榴弾が二つ付いているのが見えた。「それは何だ?」

「ああこれか…… 閃光手榴弾フラッシュバンだ」

「MTFの隊員も同じものを持っているか?」

「ああ、各隊に数個あるはずだ」クレフはこめかみを押さえた。「すまない、まだ視界が回復しない」

「大丈夫だ。計画がある」ヴァリスはそう言うと、二つの手榴弾を受け取った。

ヴァリスは立ち上がり、脇の通路で待機しているMTFとFSBのエージェントたちに向かって腕を伸ばし、その内の数人を心の中で掴み、ハルコストを流し込んだ。突然、彼は自分の位置の真正面の通路にフラッシュバンを投げ込み、彼が操っているエージェントたちも他の通路に対し同じようにした。手榴弾の明るい光と耳をつんざくような音に、彼は目を閉じた。

彼はロシアンマフィアの悪党どもに精神を集中させ続け、彼らの抵抗力を試し、守りの隙間を探った。更にフラッシュバンを投擲させ、爆発で揺れたり縮んだりするサーキックの強化身体を抑え込んでいく。ヴァリスはさらに二発の弾丸が自分のベストに当たるのを感じ、その足元が揺らいだ。クレフの腕が彼の足と腰を包み込み、彼を上に持ち上げた。そしてヴァリスの牙は深く食い込み、肉体を、精神を、ハルコストを引き裂き、一ダース以上のロッジの刺客が彼の意志の前に屈した。

彼はゆっくりと膝をついて荒い息をつき、ロッジの悪党から新たに作り出された己の延長に、あらゆる打撃と傷を感じた。彼は新しい下僕にかつての同胞を切り裂くように命じ、多くの者が裏切られたことに気づかないまま倒れた。彼は、自身の身体との接続を切る際に彼らの混乱を味わいながら、エージェントたちを解放していった。

クレフは失見当識から回復したようで、澄んだ瞳でヴァリスを見つめていた。

「一体どうやったらそんなことが? そんなふうに、連中自身の意思に反して操れるのか?」

「ロッジはその存続のために、何千もの人々を奴隷にしてきた。そして今日、彼らは私を殺そうとした。配慮してやる必要などない」

「いや、素晴らしく効果的な力だ。誤解しないでくれ。私だって連中のことなんか気にしちゃいないさ。だが、君の仲間じゃなかったのか?」

「何度説明してあげればいいのだ、アルト? 彼らは私の仲間などではない。彼らは奴隷商人で、競技のために子供を戦わせ、自らの利己的な目的を守るために夜な夜な無抵抗な男女を殺している。その上、これら全てが、このような場所にいるはずのないクラヴィガルの名の下に行われているのだぞ!」

部屋が揺れ始め、天井から塵が降ってきた。

「全く、今度は何だってんだ?」クレフは像に寄りかかりながら立ち上がり、そう言った。

ヴァリスは生き残っているサーキックたちを呼び寄せ、二十人の生存者が彼の前に集った。彼らの傷は徐々に癒えいったが、服は破れ、血で汚れていた。

「君たちはいずれにせよ、今日の終わりには解放されるだろう。だが、我々は下へ降りる。君たちも同行しなくてはならない」

クレフは生き残ったFSBとMTFのエージェントを隊列を組んで移動させ、ヴァリスと彼の新しい群れがそれに続いた。


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地下
一時間後

この時点で、彼らは延々と続く地下道を下り、恐らくモスクワの地下半マイル程の深度にいた。新たに遭遇したロッジの兵士の集団は、拘束や無力化が容易になっていった。圧倒的な数の敵に出くわした挙句、逃げ道もメクラネズミに封鎖され、大多数の者は諦めの中にいた。

クレフは、拘束した兵士の片方の手首を、サーキックの生体改造された肉にも付着するように設計された金属製の紐で縛り終えた。彼はヴァリスを見上げ、目を細めた。

「これは我々の新しいイメージに合わないな」クレフは、ヴァリスに追随する数十人のロッジの歩兵を指して言った。「我々が逮捕しに来たはずの相手を君が操っていると知ったら、大衆は何と言うだろうな?」

「その通りだな、では解放しよう」

「おい、待て…… 私はそんなこと言ってないだろう!」

ヴァリスは微笑んだ。

「だが……」

「私も実感したよ。この新しい世界、世論と開放の世界は、我々のような異常な者にとって不愉快ではあるとな。だが、別の選択肢は互いに殺し合わせることだった。私は、彼らが即座に処刑されるよりも独房の内で過ごすことを好むと仮定する。全てが終わったら解放しよう」

「ああ、だが囚人護送車までは歩かせろよ」

「全くだ」

クレフは、降伏したマフィアの兵士の一人に近づき、彼の横にしゃがみ込んだ。そして、ロシア語で、「君の太母たちはどこに隠れているんだ?」と言った。

マフィアは口を固く閉じ、クレフを睨み付けるだけだった。

ヴァリスは男の視界に入り、その視線を受け止めた。「我々は彼らや君たちに危害が及ぶことを望んでいない。だが、君には選択肢がある。我々と取引するか、ロシア連邦当局の力を借りるかのどちらかだ。君たちの政府の元客人としては、後者はお勧めしないがな」

男はヴァリスの顔をじっと見つめ、それから目をそらした。「彼女たちは秘密の部屋に」

「部屋へ行く方法は?」

男は同僚たちを見回したが、彼らからは短剣のような視線が集まるばかりであった。「私をそこへ連れていった方がいい」

ヴァリスは200kgもあるその男を軽々と持ち上げた。男は決して大柄ではないヴァリスに驚いたような顔をした。

「あらゆる増強の肉が外から見て分かるわけではないのだ、友よ」ヴァリスは男にそう言った。

男は頭を下げ、「カルキスト」と囁いた。

「ああ、では母たちのところへ案内して欲しい。危害を加えることはない」

男は頷くと、二人を奥の壁の方へ案内し、隠し扉を開けた。ヴァリスとクレフはこのロシア人マフィアの後について小さな廊下を通り、さらに階段を上り、家具付きの小さな応接室に出た。

男はお辞儀をし、「ご案内します」と言った。

「ここの方が外より安全じゃないか、アルト」

「そうかもな。だが、目を離すわけにはいかないんだ。君が噛んだ以上、私も同行しなけりゃならん。さもなければ、ムースは私の首を狩りに来るだろう」

ヴァリスは笑った。「彼女は手強い女だからな。良いだろう、だが私がやるか、彼女らが攻撃してこない限り、敵対的な行動は禁止だ」

クレフは頷くと、親指で後ろを指し、ヴァリスの配下となったマフィアの大群を示した。「こいつらは?」

ヴァリスは振り返って群衆に向かい、身体の支配を十分に緩め、彼らが反応できるようにした。

「聞いた通り、君たちの同胞が私たちを母たちに紹介する。彼女らは、君たちが今そうであるように、脆弱である。だが、これ以上の流血は必要ない。私は君たちをここに置いていく。他の者を通さないようにして欲しい。そして私はヴォルタールたちを保護すると約束しよう。同意してくれるか?」

マフィアたちは互いに顔を見合わせ、それから、一人が前に出て頭を下げた。「カルキスト、私たちはそうします。母たちをお守りください。そうしてくれるのであれば、私たちの身体への侵入については全て許します」

ヴァリスは彼らから目を逸らし、再びクレフの隣に立った。

「なぜ、何かが変わったような感じがするんだろうか、ヴァリス?」

「彼らは私の仲間なのかもしれない。もしかしたら、違う道を試してみるべきかもしれないな」

クレフは首を横に振った。「ああ、その先は君の葬式だと言ってやりたいところだが、そいつは私の式でもありそうだな」

ヴァリスは笑って反対側の壁にある扉に近づくと、ちょうど男がそれを開けたところだった。

「カルキスト、太母たちがお話があるそうです」


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その先の部屋は、まるで自然のものかと思うほど高いアーチ型の岩の天井で、彼らの頭上で50m近くの高さを誇っていた。その部屋は数百人を収容できるほど広かったが、ヴァリスとクレフが中に入ると、十二人のローブを着た女たちが、半円を描くように立っているだけだった。彼女たちの奥には、石の台の上に大きな人型存在が横たわっていた。

その裸の男は、身長が3m近くあり、体重は300kg以上あっただろう。皮膚は赤みがかった茶色で、灰色の鱗が点在していた。骨板を重ねた筋肉が波打ち、深い呼吸をしながら眠っているように見える。骨で出来た角の稜線が眉間をなぞるが、威嚇的な存在にもかかわらず、穏やかな表情を浮かべている。

女性のうち二人が、ヴァンガードの代表に対面するために歩いてきた。

「同胞よ、貴方は何をしているのですか? それも看守たちと共に」二人は声を揃えて言った。

「母よ、"難局"の果てに、世界の全ては大いなる転換を迎えました。財団はもはや存在しません。呪われしO5は解散を選択したのです。新たな組織がその代替となりました。我々がここを訪れたのは、その新たな力を代表してのものです。名を、ヴァンガードと申します」

「かの"難局"が終わりを告げ、奇妙なものたちが再び世界に現れたことは存じています。オロクが感じ取られ、我らも知りました。ですが、財団は存在しないと言いましたか? それは我らにとって良い知らせです」

「こっちはな、"難局"が去って以来、お前らが忙しくしてるのを知ってるんだぞ。縄張りを広げ、ロシアの犯罪ネットワークを再構築しようとしているんだろう。だがな、我々はそれを止めるために来た」クレフはロシア語で言った。

「そこのウクレレ男に伝えてください。もし再びその口を開けば、我らはその心臓を喰らうだろうと」

カルキストが見ると、クレフは口をぽかんと開けていた。彼はこの博士を後ろに下がらせた。

「話を聞くのは、貴方が崇高なるカルキストその人に触れられた者であると聞き及んでいるからです」

ヴァリスは頷いた。「その通りです」

「では、貴方は我らが主のことをよく知っておられるはずですね」

「私は彼を知っています、何年も前から。彼がこの地に来られるずっと前から、貴女たちの組織が設立されるずっと前からのことです。この瞬間まで、彼がまだ生きておられるとは思ってもおりませんでした」

我は生きているぞ、ヴァリス。貴様が目の前で見ているように。

ヴァリスは、石の天井に響く声に驚き、後ずさりした。巨人は動かなかった。

「お声を出された!」十二の母たちは一斉に涙を流した。

何を求めてこの地を訪れたのだ、ヴァリスよ?

「敬愛すべきクラヴィガルよ。貴方がこの組織を創り上げた理由を知っているふりをするつもりはありませんし、また、彼らの行動を完全に容認しているわけでもありません。しかし、影の中で過ごす時代は終わったのです」

下らぬな。地の深きは数世紀に渡り、我を人の目から隠し通した。かのエカチェリーナ二世の治世よりも前から、我はこの地に横たわっていたのだぞ。一体、何が変わったというのだ? それは、我らが神聖なるイオンを知るカルキストが、その男のようなアメリカの汚泥で身を穢すほどのものか?

「今や世界は知識を得ました、クラヴィガル。我々が教示したのです」

だからどうしたと言うのだ? かつての時代にあっても、世界は我らの力を知っていた。だが、それが我が望みの妨げになることはなかった。

「戦は大昔に終わりを告げましたが、メカニトの者たちが休むことはありませんでした。その数は増え続け、多くの政府で権力の座に食い込んでおります。さらに、焚書者たちはただ影で異常なものを破壊しようとするのではなく、公衆に向けた宣伝活動に乗り出しています。我々は、奇怪にして壮麗なるものたちを正常化し、長い間隠されていたものを人類が受け入れることを求めているのです」

再び問おう。それは我に関わることか?

「世界中の政府はもはや、財団のような組織が闇を鎮めるのを黙って見ているつもりはありません。彼らは積極的に行動し、理解できないものを破壊しています。そして、彼らには我らを理解することはできないでしょう」

ほう! ならば貴様は争いを望むか! 善きことだ、ヴァリス。我は戦を好む者ゆえ。

「それは誤解です、我がクラヴィガルよ。我らとて、全世界を相手に戦うことはできません。何十億もの人がおり、彼らが武器を持てば、いずれは貴方でさえも危険に晒されましょう。ヴォルタールやロッジもです。ヴァンガードは、可能な限り平和的に、異常な存在たちを光へと導こうとしています」

ならば、仮に我が平和を望まなければ?

オロクの声が室内に響き渡り、ヴァリスは神経を集中させた。

「幾人かの貴方の兵を、止むを得ず殺してしまったことは認めます。ですが、私は貴方を脅かすために参ったのではありません」

フン、死はいずれにせよ来たる運命であろう。

「それはともかくとして、これ以上の死は必要ありません。我らは合意を見つけるためにここにいるのです」

クレフは一歩前へと踏み出したが、ヴァリスは振り返ることなくその胸に手を当て、彼がそれ以上進もうとするのを止めた。

「クラヴィガル、そして母たちよ…… 私は休戦協定を結ぶために参りました。ヴァンガードとロッジの間のです。そうすることで、ロシアの人々の怒りと多くの爆弾から貴方たちを守ることができます」

彼の主張に続き、沈黙が場を支配した。ヴァリスは、母たちが身を寄せ合って小声で話し合っており、以前の自信に満ちた態度を失っていることに気づいた。そして、ついにオロクが口を開いた。

そちらの条件は何だ、ヴァリス?

「麻薬取引の完全なる停止、人身売買の完全なる停止、ロシアの司法に対し指導者の数人を贄として捧げること。見返りとして、ヴァンガードは貴方たちの安全を保証します。貴方たちの家族の安全もです。その後、我々は貴方たちの事業利益の合法化について議論するでしょう。しかし、犯罪行為は停止しなくてはなりません。当局に対し、貴方たちが脅威になり得ると思わせる理由を与えてはならないからです。それから、我々はより大きな仕事に取り掛かることができます」

その仕事とは何だ?

「貴方を光の下へと連れ出します。全てのナルカと共に、一つの民として。遂に我らは、千の僻地や洞窟に散らばることなく、光の中で大衆にイオンの御業を広めることができるのです」

ではイオンが帰還したならば、その時はどうするのだ?

「主よ、あの御方がお姿を消されたのは一千年以上も前のことです。かの崇高なるカルキストがヤルダバオートの相応しき敵としての格を証明なさったことは疑いません。ですが、彼がお戻りになるとは信じておりません」

彼から何も聞いていないのか?

「はい、何も。思うに、我らは彼無き時代を受け入れなくてはなりません」

そうか…… 世紀を重ねるごとに、もう彼の声を聞くことはできないのだろうという思いが強くなってきてはいたのだ。だが、貴様は常に彼の近くにいるようだったので、希望を捨てきれなかった……

ヴァリスはクラヴィガルの沈黙が深まるのをしばらく待った。彼を急かしたくなかったのだ。しかし遂に、彼は古きナルカに別の問いを投げかけた。

「オロクよ、失礼ながら、なぜロッジがこれほどまでの被害を出すことをお許しになったのですか?」

正直に言えば、ロッジには我が名の下に好きなようにやらせてきた。彼らの現在の慣習には、何の愛着も無い。彼らは何世紀にもわたって独自の儀式と信念を築き上げてきたが、我はそれを正さずにいた。それは私の栄光なる目的、イオンが帰還したときに呼び出される我が軍隊だったのだ。だが、あまりにも長い時が過ぎた。我は怒りの中にいたのだ、ヴァリス。世界に対する怒りだ。とても長い間。今こうして話している間にも、イオンが戻ったらどう思うだろうかと考えてしまう。

「我らは皆、何世紀にも渡って狩られる者でした。我らが生き延びるために為したことは、必ずしも善きことではありませんでした…… ですが、それらは生き延びるためのことでした。私は、他者の命に対してあまりに冷淡になりすぎてしまっていたようです。今、我らには機会があります。悔いてやり直し、彼の理想に応える機会です」

太母よ。何か話しておきたいことはあるか?

母たちの一人がヴァリスに向かって歩み寄った。「カルキストが真実を話しているのなら — 我らはそう思っていますが — 選択肢は殆ど無いようです。俗世の者に見つかり、滅ぼされる恐れはこれまで常にありました。今、我らが生き延びるには、新しい道を歩むべき時なのでしょう。我らは、その決断がどうであれ、クラヴィガル、貴方に従うつもりです」

おい、そこの焚書者。

クレフは周囲を見渡した後、自分の胸元を指差した。「私か?」

そうだ。貴様は一度殺人者となり、それ以外の何者にもなれなかった。殺し屋だ。

「なあ、私は — 」

貴様は武器を捨て、このヴァンガードとやらに加わるのか?

クレフはヴァリスを見た。ヴァリスはクレフに問いに答えるよう身振りで伝えた。

「完全に武器を捨てたとは言えないだろうな。私のSUVにはショットガンが置いてある — SUVが何か知ってるかな? 多分知らないだろうな。重要なのは、我々の前には未だ汚れ仕事が残されているということだ」

沸き上がるような笑い声が部屋を満たした。この男は気に入ったぞ、ヴァリス。彼は歯のあるネズミだ。

「ですが私が思うに、今までのやり方を変える大きな機会はここにあるのです。SCP-6500 — 失礼しました、"難局"のことです — それは正に、鳴り響く警鐘でした。私は、我らに最大の機会を齎すのは外交と教育であると考えています。このことに同意するのは私だけではないでしょう」

うーむ。

「もちろん、ビンタが必要な大馬鹿野郎は何時だっているものだがな」

オロクは再び笑った。ヴァリス、貴様の新しきヴァンガードには兵士が必要なのか、それともそれは、我が面前に立つ平和主義者のカルキストか?

「軍備は世界を守るためのものです。平凡な人々とは相容れない、恐ろしいものから。はい、我々は未だ兵士を必要としています。残念なことではありますが」

そうか、我々は停戦の合意に達したようだ。カルキスト・ヴァリスよ。


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その後、FSBのトップとロシア首相に話をつけたヴァリスは、彼を運んできたのと同じSUVに寝転がった。クレフは助手席のドアを開けると、なぜか寒さを全く気にしていない様子で、そこにもたれかかった。

「それで? これからどうするんだ?」クレフが聞いた。

「ムースは同意してくれていて、委員会にも提案してくれるそうだ。私は自分でそれを弁護する必要があるが、委員会の中でこの知恵を見出す者は私だけではなかろう。とりあえずは、指導的立場にある構成員を何人か拘束して、見せしめにしてやる必要があるだろうな」

「母たちと例の巨人はどうする?」

「いや、あの方々はそのままにしておく。外交部門に参加したナルカの新人を数名と、ヴァンガードの専門家を連れて来て、前進するための最良の方法を考えよう。だが、ロシア当局に引き渡すことで、この合意を早期に破棄する必要はない」

「この暴力団員どもが本当に心を入れ替えると思うか?」

「そうする者もいれば、そうでない者もいるだろうな。だが、彼らの主が自ら立ち上がり、語りかけるときには、少なくとも全員が耳を傾けるのではないかと思う。彼らは多くの点で不道徳だが、不誠実ではないようだった」

クレフはタバコに火を灯し、深く吸い込んだ。「全く、畜生め。まさか君がうまくやり切るとは、思いもしなかった」

ヴァリスはクレフの指からタバコを掠め取ると、咥えて吸い込んだ。

「それは本当かね? 実は私もそうだったのだよ」


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