7年後、あるいは
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 私の余命は、あと7年3ヶ月14日、加えておそらく3時間程度。

 人間でも機械でも、これほど正確に自分の余命を把握している存在はそうそういないだろう。同じ精度で死を見つめている人がいるとしたら、海中で最後の酸素ボンベの残量を見つめている人間ぐらいではなかろうか。

 私は財団の機動部隊に属している。けれど、私は名誉の戦死を迎えることはないのだろう。──いや、あれを死の先延ばしと解釈するのならば、7年後に訪れるそれを殉職と呼ぶこともできるのかもしれない。

 「貴方には私を恨む権利がある」、と彼女は言った。私はまだ、それに対する返答を決めかねている。

 車の中で小銃を抱き直す。私よりも攻撃的で、私よりも脆い相棒。

 任務前に考え事をするなど、鈍ったものだと思う。とはいえ、無理からぬことかもしれない。どんな任務に赴いたとしても、私はかすり傷一つ負うことができないのだから。

 おかしな話だ。刃こぼれすることも研ぐこともできないのに鈍ることはできるなんて。

 私たちを載せている車体が規則的に揺れる。同僚たちは無駄口ひとつ叩かない。今日死ぬかもしれない同僚と、死ぬ日の決まっている私の間には、目には見えない厚い壁があった。空気と同じ屈折率の、分厚い透明なガラスの壁。彼らを羨ましいとは思わない。可哀想とも思わない。私がすべきは、彼らが無駄な犠牲を払わないように立ち回ることであり、それが私が彼らに向けうる思考の全てだった。

 薄暗い車内で、私は軽く目を伏せる。

 あのオブジェクトに生かされてから、私はずっと終わりを見つめている。

 そのオブジェクトは、他のオブジェクトと同じ程度に奇妙で、理不尽で、そして他の多くのオブジェクトよりは少しだけ人間に有用な性質を備えていた。SCP-1706-JP。それを使えば、あらゆる物品の破損を直し、破壊耐性を付与することができる。その代わりに、10年後、その物品はオブジェクトの使用者の手によって必ず破壊される。無機物、有機物を問わず、生物、非生物を問わない。

 見方によれば悪魔との契約に近いかもしれない。人智を超えた利益と、その取り立てという意味で。勿論、あのオブジェクトに意思などありはしないのだろうが。アノマリーの多くは、ただのシステムだ。嵐や太陽風と同様に、ただそこにあるだけの存在であり、それ自体は人に対して害意も善意も持たない。その性質が人間社会と噛み合わず、齟齬を起こすから収容されているだけだ。

 3年弱前のあの日、私は任務で瀕死の重傷を負ってサイト内へと搬送された。内臓は破裂し、四肢はちぎれかけていて、かろうじて意識を保っている状態だった。音を聞くことはでき、自分の体の状態を概ね把握はできていても、声を発することのできない状態だった。

 応急処置をする医師達の声に諦めの感情が滲んでいたように聞こえたのは、きっと気のせいではないだろう。私はあの時、死ぬはずだったのだ。それ以外に道はないはずだった。

 だから彼女はそれを持ち出したのだ。

 白衣の人々の声の中に、「通してください」と叫ぶ友人の声を聞いた気がした。二人分の足音と共にそれが近づいてきて、硬い何かが私の肩に触れた。

 それだけで、私の身体は完全に修復された。虫歯の治療痕も、左薬指の欠損も、何もかもが。異常な速度で痛みは消え去り、視覚が戻った時には、目の前にはDクラスを引き連れた友人が立っていた。オレンジ色の服のDクラスの手の中には、無骨なネイルハンマーが握られていた。

 そして、彼女は言った。「貴方には私を恨む権利がある」、と。

 車体が止まり、乗員の体がわずかに傾く。目的地に着いたらしい。他の隊員と共に立ち上がり、私は任務へ赴く。もう二度と重傷を負うことのない任務へ。


◇  ◇  ◇


 サイト内の食堂は、常のように賑やかだ。正常な社会の企業の食堂と同じように、人々の声が重なり合って雑音を生み出している。差異といえば、そのざわめきが常に一定の緊張感と重々しさをはらんでいることだろうか。ここでは訃報は珍しいものではなく、今日共に食事をした同僚が明日も生きている保証はない。

 私はこのサイトのエージェントで唯一、明日の死を恐れていない存在だ。昨日に続く今日、今日に続く明日を確信している存在だ。ヴェールの向こう側の一般人たちと同じように。

 こうなる前は、研究員やエージェントよりも、機動部隊の隊員の方が、気軽に話すことができた。誰しも、自分に近い存在の方が、隣にいて心地よいものだ。今は、その距離が変わってしまった。機動部隊よりもエージェントの方が、エージェントよりも研究員の方が、研究員よりも一般人の方が、私に近い世界を見ている。

 知り合いたちは、何気ない口ぶりで、あるいは嬉しそうに、「あなたは死なないから安心できる」、という。その気持ちが理解できないわけではない。このサイトの中では、明日の保証がないのが当たり前だ。その中で、変わらないものを見るたびに安心する気持ちは、私にも覚えがある。

 けれど、と思う。私は常に昨日と同じだけれど、それは永遠に続くものではない。

 息を吐いて目を閉じる。サラサラと砂が流れ落ちる巨大な砂時計を幻視する。私の残り時間は正確に決まっている。今はまだ、こうなってから経った時間よりも、上にある時間の方が長い。

 あと5年後、6年後、余命の期待値が逆転したらどうなるのだろう、と思う。数ヶ月後の死が確定した私に対して、彼らは同じように接するのだろうか。寿命を全うできる可能性のある相手を前にして、私は同じように接することができるのか。

 斜め前の机に、定食を食べている友人の後ろ姿が見えた。声をかけに行くか迷い、彼女が隣席の人間と談笑しているのを見て、やめることにする。

 あの一件で、友人との関係は別に破綻したわけではない。今でも友人として会話はしている。けれど、自分はそこに微妙な距離を作ってしまうようになった。自分のぎこちなさに、彼女は気づいているのかいないのかはわからない。鈍感なところのある彼女のことだから、もしかすると気づいていないかもしれない。

 友人に対して、最初は感謝が大きかった。それも当然だろう。本来は得られなかった10年を得られたのだから。

 けれど、時間がたち冷静になるにつれ、それは早計かもしれないと思うようにもなった。
 今の自分は、確かに心穏やかに過ごせてはいる。しかし、7年後の自分も、同じように思い続けられているだろうか。

 そんなことを考える私を、恩知らずという思う人もいるだろう。彼女は私を助けるために、少なからぬリスクと不利益を被ったのだから。最終的には実験の一つということになったとはいえ、独断でSCiPを利用した友人は、あの後しばらくの謹慎を命じられた。それは事実だ。

 けれど、1日ずつ近づいてくる確定した死の日を見つめ続ける日々は、ともすると無慈悲に一瞬で訪れる任務中の死よりも残酷なものかもしれない。

 だから、今の自分の中で、友人のあの行為への答えは宙に浮いたままで、未だに結論を出せていない。出せないまま、今日も1日が過ぎていく。


◇  ◇  ◇


 端末の画面にカレンダーを表示する。今週は珍しく、任務の予定が何も入っていない。緊急出動の可能性はあるが、その可能性はさほど高くないだろう。訓練や先の任務の打ち合わせの予定だけが入っており、随分と穏やかな週になりそうだった。

 この体質になってから、優先的に組み込まれるようになった種類の任務もあれば、除外されるようになった任務もあった。

 この扱いの変化は必要なことだと理解している。破壊耐性のある存在が他の有害な異常性に汚染されたら、厄介なことになるのは目に見えている。

 死ぬべき時に死ねるというのは、大事な能力なのだ。

 端末をスワイプし、カレンダーの日付を進めていく。

 死ぬ日が決まっているというのは、見ようによっては便利なことでもあった。この体になってから迎えた一度目の春に、死ぬ前にやりたいことをリスト化した。それらのほとんどを「その日」までのカレンダーの中に書き込んだ。行きたい場所、やりたいこと、食べてみたいもの。連休、長期休暇、手元の有給の日数と照らし合わせ、それらを全て計画的に配置した。

 終わりが明確にわかっているというのは、ある意味では幸福なことなのだろう。遺書も、遺品の始末も、葬儀の手配も、何もかもが計画的にできる。死に際の悔いのなさという意味では、私はおそらく恵まれている。

 感謝すべきなのだろうか。自分の中の常識がそうだと肯定する。自分の中の捻くれ者が早計だと否定する。

 半ば無意識に、スワイプを続ける。画面の中を赤や青で色分けした予定が流れていく。7年間は、色とりどりの予定で埋められている。そして、7年3ヶ月を超えた瞬間、短く刻まれた黒い予定を境に、それは急に白紙に変わった。

 私にここから先はない。

 ぼんやりと、画面上の白を見つめる。

 いつからか、10年以上先の未来を考えることができなくなった。想像の上ですらも、10年後というものが数世紀後と同じようなものになってしまった。自分とは遠く隔たった、見ることの叶わない未来。

 こうなる前は違っていた。このまま働き続けて、前線を退いてからは後方支援に移り、年老いて引退することができたなら、どこか静かな場所で余生を過ごしたい。そう思っていたはずなのに、今はまるで幼い頃に読んだ小説のように、現実味のない夢想のようにしか考えることができない。

 もし私が死んだなら、報告書の補遺に残るのだろうか。名前が刻まれたならば、何かが少しは報われる気がする。

 端末の画面から視線を逸らす。

 ベッドの脇のコルクボードには、数年前に友人と二人で温泉旅行に行った時の写真が貼られている。あの頃の思い出を今でも飾り続けている自分を、未練がましいものだと思う。けれど、写真を外すほど恨めてはおらず、代わりに飾りたいものも自分の手の中にはない。

 こうなってから何度か短い一人旅をしたが、一番楽しかったのはやはりあの写真の時の旅行だった。一泊二日で行った、近場の温泉地の安宿。それがあんなにも輝かしく思い返されるのは、彼女が隣にいたからだろう。

 画面の右上、『今日』のボタンをタップすれば、届くことのない未来から現実的な日付へと時間が巻き戻る。今週一週間の予定を睨む。任務はないが、予定はそれなり埋まっている。

 木曜日の夕方の時間が空いていることに気づいた。

 プライベート用のSNSを開く。あの友人に食事に誘うメッセージを打とうとして、いつものように数文字で指先が止まる。全選択、消去ボタンをタップして、書きかけた文字を消去する。何もメッセージを送ることなく、今日も昨日と同じようにSNSを閉じる。


◇  ◇  ◇


 2009年9月15日、同時多発収容違反が発生した。サイト-81██も、大規模な災禍に見舞われた。

 まるで百鬼夜行のように、オブジェクトがサイト内を闊歩した。私は当然のように前線に立った。溢れ続けるオブジェクトに向けて銃を構え、弾がなくなれば生存者のために肉の壁になろうとした。

 私はただ頑丈なだけで、無数のオブジェクトの前では無力だった。

 職員が大勢死んだ。エージェントもDクラスも研究員も、分け隔てなく。

 友人も、その一人だった。

 彼女は逝ってしまった。彼女へ伝えるべき言葉を保留にしたまま。

 日々は慌ただしく過ぎた。どれほど職員が死んだとしても、財団の責務は変わらない。確保し、収容し、保護する。少なくなった人手は、当然ながら一人当たりの過重労働という結果を招き、生存者たちに死者を悼む時間すらも許さなかった。

 あれからやっと、1ヶ月が経った。

 今までで最も長い1ヶ月だった。表面上は日常へと戻り始める時間。破裂したガス管が復旧され、割れた窓ガラスを交換するのに十分な時間。そして、記憶から細部が溢れていくのを自覚し始める時間。

 日中は他のことを考える暇もないけれど、夜、部屋に1人でいると、どうしようもない後悔が湧き上がってくる。

 もっと話しておけばよかった、と思う。感謝でも恨み節でも、ちゃんと口に出しておくべきだった。メッセージを送っていれば良かった。食事に誘う程度のことが何故できなかったのだろう。話せるうちに話すべきだと、私は知っていたはずだったのに。

 身勝手な嘆きだと、わかってはいる。

 机の上には無造作に、未開封の茶封筒と腕時計が置かれている。この遺書は一昨日届いたものだった。封を開けて中身を読む勇気は、未だに持てていない。

 正直なところ、自分宛の遺書が存在したこと自体に驚いていた。確かにある程度親密な仲ではあったけれど、それだけだ。死に近い機動部隊ならばそのような相手にも手紙を残すことはあれど、研究者には頻繁に遺書を書いたり改めたりする習慣はない。だからこそ、彼女が何を自分に伝えなければと思っていたのか、気にはなる。けれどそれ以上に、遺書を読んで自分の中で彼女の死を確定させてしまうのが怖かった。

 腕時計を手に取る。先週の遺品整理で、形見としてもらったものだ。随分前に針の止まっている、壊れた時計。使えないけれどデザインが好きだからと、友人は壊れた後も箪笥の上に飾り続けていた。このような不良品ならば、恩知らずの自分がもらっても許してくれるだろうと思った。

 くるり、くるりとねじを回して、半端な時間に針を合わせる。8時43分。私が死を免れた時間。私が終わりを迎える時間。壊れた時計でも、日に二度は正しい時間を示す。ならばこの時間が最も相応しいだろうと思えた。死者の時間は止まっている。私の時間は決まっている。これをつけたまま彼岸に渡れたならば、彼女に会える気がした。

 ふと、考える。これを自分が叩いて直したらどうなるのだろうかと。

 SCP-1706-JPによって直されたものは、使用者の手で破壊される。私は10年後には存在していない。もし自分があのSCiPを使ったならば、叩き壊す人間がおらず、時計は永遠に動き続けるのではないか。

 ──使用者が、先に死んだ場合?

 まさか、と思って遺書を見やる。

 茶封筒を掴み、震える指先で封を切る。中から2枚の便箋が滑り落ちる。ボールペンで書かれた、相変わらず少し汚い崩れた字。能天気で季節外れな時候の挨拶。テンプレートな感謝の言葉。去年の中頃に流行りを過ぎた冗談。

 記憶の中の彼女らしい言葉の数々がそこにあるのに、意味がうまく脳内で再構成されず、視線だけが文字の上を滑っていく。

『あのDクラス職員についてですが、』

 急に敬語に変わった部分で、滑り続けた視線が止まる。指先が冷えたように感じた。一文字、一文字、落穂を拾うように、ゆっくりと文字を読んでいく。

 私を直したDクラスについて、もう随分前に他のオブジェクトの実験中に終了しています、と彼女は書いていた。あのSCiPの使用者はもういないのだということ。もし強引に定義するならば使用を指示した自分が含まれる可能性があること。そして、指示者である自分すらも死んだ場合、オブジェクトにより付与された「破壊耐性」がどう振る舞うかわからないこと。

『どうなるかはわかりませんが、あなたから奪ってしまった時間を返せていることを祈ります。勝手なことをして、ごめんなさい。』

 指先から感覚が消えていた。ぱらり、と手の中から遺書が零れ落ちる。

 ペンスタンドからカッターを取り出す。カチカチと刃を出して、指の腹に当てて滑らせる。痛みはない。指紋ひとつ損なわれていない。当然だ。あの日、オブジェクトの前に肉の壁として身を晒しても、かすり傷ひとつ負わなかったのだから。

 手の甲にカッターを振り下ろす。やはり傷がつくことはない。

 刃こぼれしたそれが床に落ちる。喘ぐような息が口から漏れる。縋るように腕時計に手を伸ばし、握り込む。息が苦しかった。病気ひとつ怪我ひとつしない体のはずなのに、体調が悪くなるはずがないのに、心臓がひどくうるさかった。

 老衰は破壊に含まれるのだろうか。私に終わりはいつ訪れるのだろうか。この破壊耐性は7年後に終わるのだろうか。それとも私は終わりを奪われたのだろうか。

 砂時計は今も立ったままだろうか。砂は今もこぼれ落ちているのか。それとも砂時計はとっくに横置きにされて、残り時間が落ちていくことはもうないのだろうか。

 7年後のあの日、カレンダー上のあの赤い予定の時刻に、私は死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。報告書の補遺に載るのは、果たしてどちらの場合の文章だろう。

 私は何に殺されるのだろう。私は何によって死ぬのだろう。

 7年1ヶ月23日、加えておそらく22時間程度、あるいは終わりのない永遠。このカウントダウンに意味はあるのか、それともとっくに時計は止まっていたのか。手の中の腕時計を見下ろす。形見の腕時計の針は動くことなく、同じ時間を指して沈黙している。

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