秒速420メートルの正義を
/* source: https://ah-sandbox.wikidot.com/component:collapsible-sidebar-x1 */
 
#top-bar .open-menu a {
        position: fixed;
        bottom: 0.5em;
        left: 0.5em;
        z-index: 15;
        font-family: san-serif;
        font-size: 30px;
        font-weight: 700;
        width: 30px;
        height: 30px;
        line-height: 0.9em;
        text-align: center;
        border: 0.2em solid #888 !important;
        background-color: #fff !important;
        border-radius: 3em;
        color: #888 !important;
        text-decoration: none!important;
}
 
@media (min-width: 768px) {
 
    .mobile-top-bar {
        display: block;
    }
 
    .mobile-top-bar li {
        display: none;
    }
 
    #main-content {
        max-width: 708px;
        margin: 0 auto;
        padding: 0;
        transition: max-width 0.2s ease-in-out;
    }
 
    #side-bar {
        display: block;
        position: fixed;
        top: 0;
        left: -25em;
        width: 17em;
        height: 100%;
        background-color: rgb(184, 134, 134);
        overflow-y: auto;
        z-index: 10;
        padding: 1em 1em 0 1em;
        -webkit-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -moz-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -ms-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -o-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
    }
 
    #side-bar:after {
        content: "";
        position: absolute;
        top: 0;
        width: 0;
        height: 100%;
        background-color: rgba(0, 0, 0, 0.2);
 
    }
 
    #side-bar:target {
        display: block;
        left: 0;
        width: 17em;
        margin: 0;
        border: 1px solid #dedede;
        z-index: 10;
    }
 
    #side-bar:target + #main-content {
        left: 0;
    }
 
    #side-bar:target .close-menu {
        display: block;
        position: fixed;
        width: 100%;
        height: 100%;
        top: 0;
        left: 0;
        background: rgba(0,0,0,0.3) 1px 1px repeat;
        z-index: -1;
    }
}
評価: +88+–x
blank.png
/* source: https://ah-sandbox.wikidot.com/component:collapsible-sidebar-x1 */
 
#top-bar .open-menu a {
        position: fixed;
        bottom: 0.5em;
        left: 0.5em;
        z-index: 15;
        font-family: san-serif;
        font-size: 30px;
        font-weight: 700;
        width: 30px;
        height: 30px;
        line-height: 0.9em;
        text-align: center;
        border: 0.2em solid #888 !important;
        background-color: #fff !important;
        border-radius: 3em;
        color: #888 !important;
        text-decoration: none!important;
}
 
@media (min-width: 768px) {
 
    .mobile-top-bar {
        display: block;
    }
 
    .mobile-top-bar li {
        display: none;
    }
 
    #main-content {
        max-width: 708px;
        margin: 0 auto;
        padding: 0;
        transition: max-width 0.2s ease-in-out;
    }
 
    #side-bar {
        display: block;
        position: fixed;
        top: 0;
        left: -25em;
        width: 17em;
        height: 100%;
        background-color: rgb(184, 134, 134);
        overflow-y: auto;
        z-index: 10;
        padding: 1em 1em 0 1em;
        -webkit-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -moz-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -ms-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        -o-transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
        transition: left 0.5s ease-in-out 0.1s;
    }
 
    #side-bar:after {
        content: "";
        position: absolute;
        top: 0;
        width: 0;
        height: 100%;
        background-color: rgba(0, 0, 0, 0.2);
 
    }
 
    #side-bar:target {
        display: block;
        left: 0;
        width: 17em;
        margin: 0;
        border: 1px solid #dedede;
        z-index: 10;
    }
 
    #side-bar:target + #main-content {
        left: 0;
    }
 
    #side-bar:target .close-menu {
        display: block;
        position: fixed;
        width: 100%;
        height: 100%;
        top: 0;
        left: 0;
        background: rgba(0,0,0,0.3) 1px 1px repeat;
        z-index: -1;
    }
}

 

偏揺かたゆれ───yawing。

発射されて流体を穿つ銃弾が、z軸を中心に起こす揺れの事である。

 
 
 
 
 
 
「迷ってんなよ。それこそが誰かを傷付けるんだ」

 
誰かが傷付くのが嫌だった。という非常に簡潔かつ薄っぺらな命題こそが俺に初めて付与された歩く意味であり、根幹だった事に何ら疑問を抱いた事はない。家族諸共超常の餌食になった末に俺だけ偶然生き残り、そのまま保護されてGOCで生きる事になったという、一定数いる運命に縛られたパターンの一人。言ってしまえば俺はそれだけなのだ。特段奇異なものじゃない。

 
「傷付けるどころか殺す為の訓練を今してるんじゃないスか」
「違う。殺す事と傷付ける事はまるで違う。分からんか」

 
分かる訳がない。と斬り捨てる事は余りにも簡単だったが、だからこそ俺は少し考えてみる。訓練中に突然こんな事を投げかけてきた先輩は、冗談なんて一切含まれてない様な顔で俺を見ていた。

迷いが誰かを傷付ける。深いのか浅いのか分からないその言葉を考えても理解は示せなかったが、"今俺が迷っている"という指摘はやけに鋭く、深い部分を刺してきた様に感じる。その時は良い解答が見つからないまま場は流れたが、今度会ったら質問でも返してみようか。なんて呟いてみたりして。

 
結局、最後まで聞けなかった。
20秒前にできた彼の死体を見て、そんな事を思った。

 
 


 
 
 
「こちらロード3"クランク"。ホワイト・スーツ搭乗者死亡──班長"カグツチ"の損失を確認」
『冗談キツいって』
「レスポンスレベル判定ミスりましたねこりゃ。対象の逃亡確認、追跡を開始します」

 
率直に、修羅場である。

7632評価班"隠し刀"。世界オカルト連合───GOCにおける超常存在の発見、観察、追跡、評価。その全てを担う裏方である評価班、その中でも対人型実体に特化したコマンドユニット。背景と同化するグレイ・スーツを纏い、確実に対象を追い詰めるのが俺達だ。

レスポンスレベル3。今回の対象の事前評価。蛾を式神とする、野良の超常能力者。それでも油断大敵という事で、俺たち評価班4名に追加して排撃班"クライシス"の班長が同行する事になった。超常資産の結晶であるホワイト・スーツが一機同行してくれる。心強いったらありゃしない。故に可能な限り速やかに対象の排撃を完了する、筈だった。

その班長が、ホワイト・スーツごとぶっ殺された。たった今。

 
『──第一優先は対象の追跡と観察。余裕があったらカグツチさんとスーツの回収を頼む』
「ロード1了解」
「ロード2了解です」
「ロード3了解。増援は」
『もう要請済み。ただ最後は現場判断ね』

 
大量の蛾が羽ばたき、逃げ出した排撃対象を追って3つの不可視の人影が廃工場を駆ける。月明かりが割れた窓から差し込み、コンクリートに付着した紅血は光を映す。

俺達の、俺の判断ミスだ。ここからは全てが計画外、予定調和の防壁の外。異常を狩る者としての薄い矜持を震え立たせ、必死で奴の背中を追う。

 


 

誰かが傷付くのが嫌だった。なんて根源は訓練を重ねる内に徐々に記憶の底に沈んでいって、いつしか生きる事が組織の大義に呑み込まれていった自覚はある。自分が生きる為、仲間が生きる為、敵に殺されない為。正直、戦う理由なんてそれで充分だったのだ。

ずっと続けていた昆虫採集は、いつしかやらなくなった。蝶を捕まえて胴体に針を刺す代わりに、人を殴って喉元にナイフを突き立てる事が手に馴染む様になった。かつて父に買ってもらった標本箱は纏めて捨てた。GOC内では俺は少し射撃が上手いだけの雑魚の類で、それでも何とか足掻きながら評価班に入った。

当然超常は沢山殺したし、超常が殺される様も沢山観察しながら俺は今日も生きている。超常を狩り、正常を維持する。正しく大義であり、その誇りは確かにある。

 
……合理的に考えて、俺達の行いはそこまで間違っていないと思う。少なくとも神様とやらに毎日赤ん坊の命を捧げて保たれる仮初の平穏は吐き捨てられるべきだし、この世界の住人全員が光の中で生きられる程この世界は優しく無い。

ただ、生活の最中でふと振り返った時。幾多の死体が積み重なって道を塞いで、もう戻れない事が分かっているスタートラインを眺めた時。

「誰かが傷付くのが嫌だった」

その為に今、誰かを傷付ける。
かつての自分の、泣きそうな声が聞こえる。

 


 
ざっと8年は放置されている工場の足場は悪く、錆びて腐って何処が崩れても可笑しくない。慎重に接地する箇所を選びながら、速度をできるだけ落とさずに対象を追い、観察を続ける。

タッパ189cm。軍隊訓練をガッチガチに受けた形跡を全身に残したその身体は強靱その物であり、恐らくサシの殴り合いで勝てる相手では無い。纏う様に周囲を飛ぶ蛾──恐らくオオマユガの群れは、最初に対峙していた時と比べて遥かに縮小していた。班長との戦闘で随分減っている。

向かう先は工場地帯の外、街のある方角。沿岸の埋立地に位置する工場地帯の常として近辺の街は無駄に栄えている。逃げ出されたら一気に面倒臭くなるし、何より一般人を巻き込みかねない。
 

「……選択肢は2択。増援の排撃班を待ちつつ追跡を続けるか」
『君達が今ブッ殺すかって事?正気?』
「あんたさっき現場判断って言ったでしょ」

 
途中でロード2"クラムボン"を遺体の回収に向かわせた今、俺とロード1"デセール"の二人掛かりでコイツに勝てる見込みはかなり低い。奇襲をするとしても三人が揃ってからだ。が、何か嫌な予感がする。バイザーの片隅に常時表示される班員の視覚映像をチラ見しつつ、グレイ・スーツの裏に忍ばせた携行武装を微かに撫でた。

 


 
「誰かを傷付けても護りたい人がいた。」

 
否。そんな存在は誰も生き残っていない。
ついでに言えば、殺意の源を誰かに依存するのは危険だ。
 

「怪物は怪物だ。余計な思考は要らない。」

 
否。生憎俺はそんな簡単に割り切れる奴じゃない。
何処かで、この問答にも価値があると信じているのかもしれない。

 
「奴等に殺された大切な人を弔う為に、俺達は刃を振るうんだ。」

 
否。復讐や弔いが、俺の大義を呑み込む事はない。
俺の"正義"は何処にあるのか、俺自身にも分からない。

 
「誰かを傷付ける俺達は、最早人である事を許されない。」
 

 
 
 
確信がある。俺の殺意そのものが鈍る事は、無い。

 
例えこの先に対峙するのがどんな相手だろうが、俺は銃を抜く事を躊躇わない。銃口を向ける先を間違えない。冷静に対象を定め、安全装置を解除し、引き金を引き、対象の脳天目掛けて鉛の殺意をぶっ放す事を厭わない。

 

……放たれた銃弾の先端は、正しく敵を向いている。それでも。
その雷管が、後端部が。僅かに、微かに、

 
 
 

揺れる。
 
 
  


  

音。地面を乱雑に走る音。焦りが滲み出る音。

完全に嵌められた。バイザーの示す情報によればどうやら俺達が追っていたのは人のシルエットを為した蛾の群れであり、本物はずっと班長の遺体の近くに潜伏していたらしい。多対一の構図を俺達自らが崩してしまった結果完璧にキマった奴の奇襲。ロード2の共有画面に映った人影が何かを認識した時には、もう遅かった。

蛾を媒介とした認識災害。たった今断定した奴の異常性である。「化かされた」と相手が認識した瞬間に全ての効力を失う事を代償に、VERITASすらも容易に欺く特殊な改変メカニズムをブチ込んでくる代物。脳で思考し脳で認識する限り絶対に改変から逃れられない災害である。豆狸などの一部の妖怪くらいしか使用者がいないのも相まってまんまと騙された。
 

『ロード2戦闘不能。バイタルは停止してないけど時間の問題だね』

 
踵を返した現場への急行。今この瞬間、俺達が辿り着いた瞬間には既に状況は───

 


  

倉田 義久。今現在の排撃対象。年齢31歳、超常が発現するまでは自衛隊に所属していた男である。

それなりに裕福な家庭に生まれた彼は3歳の頃からフットサルに通っていて、中学生まではずっと恵まれた身体能力を軸にして他者とのコミュニケーションを成立させている様な男だった。そうして高校受験に失敗して、可もなく不可もない私立の高校に入学した。

ただ、彼は真面目だった。腐らず自分の偏差値と将来の事を照らし合わせて、自衛隊を新たな目標として添えた。12年間続けたフットサルを辞めて格闘技を始めた。努力は当然の様に実り、彼は自衛隊に入った。無口だが誠実な性分の彼に妻ができたのは、25歳の夏だった。

その3年後には子供が生まれた。娘だった。
仕事で家に帰るのが遅い事を申し訳なく思いながら、家族で一軒家に住もうと彼はお金を溜めつつ、勤務を続けた。

 
言うまでもなく、彼の人生は突然宿った超常に全て壊された。

 
妻と娘は四肢をもがれて放置された。その報復として、彼はGOCエージェント2人の頭を潰した。正確には彼の家族を殺したのは野良の要注意団体でGOCは彼だけを狙っていたのだが、そんな事彼には知った事では無かった。そこから約8ヶ月。今彼はへばりつく死の気配に追われながら、それでも今日を駆けている。愛した家族が物言わぬ肉塊になっている事を認めた後、彼の歩みを突き動かしたのは一体何だったのだろうか。

 
俺達は彼を裁けない。
出来るのは只、殺す事だ。

 


 

迎撃。不意打ち。仲間の鎖骨が砕かれる音。崩れた陣形。蛾の群れと死体。先程から一つ増えた、死体。

また迷った。判断が遅れた。必死の追撃。発砲音。僅かの準備。薄味の後悔と、何処かぼんやりと決まる覚悟。

 
一対一。当たり前に勝算は薄い。

 


 

前、一度だけ財団のサイト跡地に押し入った事がある。財団内部のゴタゴタの末のサイト撤退。そこに追い討ちの様に湧いた超常の調査。流石の組織力で機密や機構の何もかもは綺麗サッパリ無くなっていた。が、どうしても隠し切れない"痕跡"は遺っていたのだ。どデカい奴が、一つ。

その機構跡を認めた時、俺が抱いたのは他ならぬ戦慄と怒りだった。このサイト跡は市街地まで6km程しか離れていない。どうやら奴等は散々収容やら保護やらを説いておきながら、どうしようも無くなった時は全てを消し飛ばすつもりらしい。周辺の土地諸共。人々諸共。無辜の、無数の命諸共。

 
奴等も、結局迷っていたのだ。超常を箱に閉じ込めて放置する意味を貫きかねていた。だからこんな選択をする。周囲を徒に傷付ける。

なんで今になって、こんな事を思い出したんだろう。
 
 


  

俺と奴が対峙する。相手にとって"対峙している"のかは定かでは無いが、今現在間違いなく目が合っている為察知しているのだろう。他一人の戦線復帰が可能かは分からない。

いつしか、不思議と蝶に避けられるようになっていた。奴の背後に羽ばたく蛾の群れを見て、そんな事を思い出す。それは仲間内でのくだらない笑い話の種に消える程度のことで、それでもその事を笑う度に「もう戻れねえぞ」という当たり前すぎる事実を誰かが耳の裡で囁いた。昆虫採集が好きだった"人殺しではない"俺が、もうどこにもいないのと同じ様に。

無駄に澄み切った奴の眼を再度見る。余計に腹立たしい。

 

 

 

 

 

偏揺かたゆれ───yawing。

発射されて流体を穿つ銃弾が、z軸を中心に起こす揺れの事である。

  
それは即ち、銃弾が着弾した際の永久空洞に影響が出る事を意味する。体内に侵入した弾が血液や臓器を押し退ける事によって作られる「瞬間空洞」に対して復元力が働いた後、結局残る弾の直径程の孔。弾が揺れる程、当然体内に侵入した弾は暴れ回る事になる。一方で、ブレる分貫通力は僅かに落ちるのだ。銃弾で人を確実に殺す為に重要な事は「貫通力を以て中枢神経をブチ抜く」事。

弾が揺れるとどうなるか。即ち、永久空洞が広がる一方で中枢神経への到達確率は落ちる。殺傷力が増す一方で即死性、致死性は落ちる。ただ意味もなく肉体を抉り、蝕み、痛め付けるだけの弾になる。

 

 
 

「迷ってんなよ。それこそが誰かを傷付けるんだ」

 

 

 

視界の端の端でホワイト・スーツの残骸が主張してくる。

この期に及んで、漸く貴方の言っていた事が微妙に理解できた気がするよ。貴方とは特段親しくもなかったし、その死に戦力喪失以上の意味も見出せないけど、でもこの言葉だけがずっと喉元に引っ掛かっていて。敗北濃厚、死の香りが鼻腔を満たす今になって、漸く咀嚼できた様な気がする。

俺は銃を取る。銃口を向ける。きっとこの行為に意味を付与するとしても、これまで通り「自分が生きる為」で充分なのだろうと思う。でも、それじゃ駄目だったんだな。迷いは人を傷付ける。指向性に欠けた殺意に、まずは俺自身が決着を付ける必要がある。ほぼ確でこれから死ぬのに。余りにもアホらしい。だけど必要なんだ。

 
 
 
 
 
奴が一歩ずつ近づいてくる。手には一丁のナイフ。ロード2から剝ぎ取った鹵獲品だろう。

誰かが傷付くのが嫌だった。殺された俺の母さんが、神モドキの超常に命を捧げられる赤ん坊が、これ以上増えない様に歩き出した。今、俺は誰かを傷付けて生きている。死ぬ間際まで自分の事を人間だと自認していた奴を、俺達となんざ変わらない幸せを願っていた奴等を殺して生きている。

 
今、俺は生きている。即ち、まだ思考を回す脳があるって事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 

 
 

「こちらロード3"クランク"。排撃対象の再確認に成功」

 

「戦闘を続行。対象の排撃を開始します」

 

 
 
 

 

秒速420メートルの正義を

 

廃工場の砂に塗れた倉庫内を蛾の群れが舞う。

 
相手はホワイト・スーツ装備の排撃班長の殺害を成し遂げた下手人。対してこっちは真正面からの戦闘要員でも何でもない裏方だ。そもそもの話グレイ・スーツを装備していて正面戦闘の土俵に立たざるを得ない時点でGOCエージェントとしては敗北もいい所である。が、そんな御託を並べている暇も余裕も今は無い。ただ俺であるだけの俺として勝つ。

 
『聞こえるか。現在確認されている異常性は"蛾の式神化"───恐らく複数の超常を行使可能。改変自認を唯一かつ絶対の解除トリガーとする認識改変、恐らく鱗粉による相手の多視覚的マーキング。それと』

 
発砲。

奴の口蓋に直撃する算段でぶっ放した銃弾が何かに衝突して止まる。蛾の死骸と鉛玉が、重力のままに足元に落ちる。式神による銃弾の無効化能力。野良でここまで生き残ってるからには特に驚きも無い。

 
『勝算は』
「低いですね」
『計画は』
「無いですね」
『正気か?』
「必要な狂気です」

 
二年前から愛用している改造済のUSPを懐に仕舞う。サイレンサーやCQ-FLASH諸々フルカスタムの上にGen+1の加速機構を無理矢理取り付けた相棒。だが、少なくとも今回は出番では無いらしい。その代わりにダガーナイフを取り出した。俺の装備は以上の2つと呪術対策に用意した一枚の呪符だけである。

男は限りなく瞬きをしないでこちらを只じっと凝視していた。静止する二者の間を蛾の羽音だけが支配する。相手の戦い方を見てから後の先を仕掛けるタイプ。どことなく余裕を感じる戦い方だ。只の事実に他ならないが随分舐められているらしい。

故に、その様子見に乗る。

 

「UMBRA」

 

音声入力。グレイ・スーツの全身にごく微細な光の線が走り、直後スーツ面積の三分の二程が流動的に透過を始める。

 

 

UMBRA。なまじ治安がいい上に総面積に似合わぬ人口・超常密度によって他国に比較してコソコソと超常を排撃しなければならず、安易なホワイト・スーツ等の投入が難しい世界オカルト連合極東支部による傑作「グレイ・スーツ"マークⅢ"」に搭載された音声入力式コマンド。

従来グレイ・スーツの隠密性能はカメレオンよろしく色胞式であり、周囲の環境に合わせて色を変えるギリースーツの延長線上の運用が常だった。が、増え続ける住宅開発に伴った市街地戦の増加や先述した極東支部特有の多大なグレイ・スーツの戦闘運用件数を鑑み、単に色を変えるだけのスーツで戦えるかボケという事で開発されたのが当マーク及びUMBRAである。

スーツに毛穴並みにビッシリと取り付けられた小型カメラを最大限に利用し、リアルタイムで周囲の映像を限りなく自然に補完・投影する。多大な電力の消費及びオペレーターによる演算処理サポートが必須という弱点はあるが、それでも準不可視の領域に足を踏み入れる───平たく言えば「とんでもなく見づらい」という事は戦闘に於いて多大なる利益をこちらに齎してくれる。ここぞという時の秘密兵器だ。

 

 

他の戦闘武装と比べて余りにも薄い人工筋肉を最大限まで膨らませ、右手にダガーを逆手で構える。VERITASに異常なし。スーツの準不可視化面積の流動的変化設定も良し。銃弾をピンポイントで対策している超常能力者には近接格闘を刺す。月明りが穏やかなのがラッキーだ。この状況下ならスーツの能力を最大限に活用できる。

超常対超常。という構図が完成した瞬間に恐らく俺は負ける。何故ならグレイ・スーツという超常で切れるカードはUMBRAで最初且つ最後だからだ。残りのスーツ内蔵ギミックなんて「背後にスーツを射出する形でのスマート緊急脱装」位しか残ってない現状、初見殺しの応酬にこちらが勝てる道理はまあ無い。

眼前の男の体格は俺よりも一回り程デカいが、それでも只のド突き合いならば断然勝機はある。超常戦に持ち込ませる前に先手で殺す。

 
 

蛾が互いの視線を切った瞬間。その刹那。

縮地。事前計算36km/hによる爆走により六歩で超至近距離まで間合いを詰める。首筋を狙った一突き。を躱して伸びてきた男のナイフを捌きながら、突いたダガーを弧を描いて戻す勢いで切りつける。すかさず脛を狙ったカーフキックを打ち込めば、鈍い音と共に男が呻きながら地に伏せた。目的だった脛骨の破壊は達成されていないがそれでもキッチリと激痛は与えられている。

男の顔面をサッカーボールキックで蹴り飛ばし、手に握られたナイフを踏みつけて奪い取る。男の反撃。俺の脚を狙った組み付きは、完璧に脚一本分ズレて不発していた。お返しに金玉を踏み抜き、パウンドを取って喉元にナイフをブッ刺そうと得物を振り上げる。

 
瞬間。視界が蛾の群れに染まる。

 
一体一体が2gに満たないとはいえ、無数の質量による速度を伴った妨害衝突。思わず怯み、男が視認できなくなった一瞬で無理矢理抜け出された。2秒前に金玉に一撃食らわしてんのにここまで動くかよ。根性の質が違うぜ。

男がゆらりと立ちあがり、拳を握って構えを取る。仕切り直し。───とはいえナイフは奪えた。静寂の中、互いにじりじりと間合いを詰めていく。男の額に脂汗。それを誤魔化すように上がる口角。滅茶苦茶やり辛く感じているだろう事はしっかり俺にバレている。

 
「危ねえな兄ちゃん」
「その軽口を吐く虚勢を、折る。これ宣誓な」

 
 

UMBRAによるグレイ・スーツの準不可視化を真正面からの戦闘で運用するにあたって、全身の準不可視化による暗殺的な動きはそこまで効果的ではない。いくら背景をその体表に補完・投影できても、どうしてもそのシルエットは微かに浮いてしまうのだ。複数人での運用や乱戦時はともかく一対一では強者相手に見切られる。完璧な不可視、透明人間の様な芸当ができるレベルには未だ程遠い。

故に編み出したのが変則的格闘運用。即ち全身の三分の二ほどを不規則に、流動的に準不可視化しながら戦う戦法だった。そもそも格闘戦における読み合いとは相手との間合いや距離感、互いの消耗、何より相手の攻撃動作の「起こり」を基準に後の先を取って叩き潰すのが基本である。

が、この戦法はその一切を許さない。身体の三分の二をランダムに準不可視化させる事で「起こり」の認識を困難にし、晒される三分の一の情報が相手の思考にノイズを生む。無駄に"見える箇所がある"事で却って見えない部分に目が慣れづらくなる算段である。唯一手に所持したダガーのみが準不可視化できないので、ブラフにして格闘戦を織り交ぜる。

 

半透明の右フック。返しの刺突。肩の筋肉に一太刀いれて鳩尾への前蹴り。

起こりが見えないという事は、即ちあらゆる攻撃が意識外から飛んでくる事を意味する。全ての所作を強引に不意打ちとして成立させる事を可能にするのだ。4体。これまでに俺が当戦法を基盤とした高速戦闘によって屠ったヒトガタの数である。実戦演習で戦闘不能にした同期を含めたら9体だ。「このカードを切ったからには絶対に初見殺しで倒す」という裏方なりの自負を背負うには十分な数だろう。

手首を捻ってダガーをうねらせ、男の左手の指を二本ほど斬る。好機。人工筋肉をフルに使った渾身の蹴り。を、男は咄嗟に見切っている様だった。着弾地点となる胴を固めた完璧な防御態勢を指を失ったこの刹那で選択できる気合と理性。コイツは紛れもない強者だ。こういう相手はUMBRAすらも数度の攻防で適応し、動きを見切ってくる。

故に、更にフェイントを混ぜる。

 

腰の回転動作と同時に股関節を内旋。宙で急激に変わった蹴りの軌道は頭部を捉える。

ブラジリアンキック。

頭蓋を横から穿つ不可視の一撃が綺麗にヒットし、男の身体は痙攣しながら半回転して地に墜ちた。

 

勝った。

勝った!?ホワイト・スーツの殺害を成し遂げた下手人に、俺が!?訓練に訓練された身体はどこまでも冷静に首、頭、心臓とナイフをぶっ刺して確実な絶命を与えているが、正直眼の前の現実が信じられない。「超常を使わせる前に初見殺しを先手で喰らわせる」というどこまでもセオリー通りのジャイアントキリングではあるが、それにしたって班長を殺す程の認識災害が───
 

「あ?」

 
そう思考して気付いた。今ナイフを刺した肉体が、蛾の群れである事実に。急激に全身を危険信号の警笛が巡る。認識災害。化かされ

 

 

 

 

 

 

 

 
 

暗転。恐らく、瞬きでは無い暗転。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
衝撃と鈍い音が脳内を木霊して意識が覚醒する。壁に張り付くように倒れた自らの身体。約6.2秒間の気絶。鉄味。数秒前まで戦闘していた座標を考えて軽く8mはぶっ飛ばされたらしい。脊椎は折れてないが、恐らく所々の骨が逝っている。というかその事実が淡々とバイザーに表示されていた。

式神への仮想質量の付与。野良の呪術師程度ではまず出来ない見た目以上に至難の芸当を、「あくまで自分だけに仮想質量による影響を適用する」という条件付与によって簡易的に運用した上で超加速させた蛾の群れの勢いを乗りに乗せたタックル。どうやら隠し持っていた技を完璧に喰らった様である。ナイフを奪ってなかったら間違いなく勝負が決していた。

式神に仮想の質量を付与し、その質量付与を自らへの動作補助・ブースターとしてのみ活用する事で術式条件を大幅に緩和して運用する。近接もできる呪術師の鑑みたいな教科書的運用だ。故に完璧にハマってしまったのが悔しくてたまらない。
 

「……グッ、ドモーニング」
「グッドナイトの間違いだろ」

 
必死に捻り出した軽口をちゃんと返されて尚の事腹が立ってきた。

アレだあの時だ。金玉を蹴り飛ばしたお返しに視界を蛾に染められた一瞬。コイツ俺からの視線が完全に切れたあの一瞬で認識災害を発動しやがった。「化かされた」という事実を認識された瞬間全てが終わる超ピーキーな能力をこれまたドンピシャのタイミングで使われている。

一気に敗色濃厚だが実はそんなん最初っからなので何の問題も無い。このままROUND2と洒落込んでやる。と言いたいのは山々なのだが、如何せんダメージが重すぎて平衡感覚の回復が間に合っていない。せめてあと5秒。5秒だけ稼ぎたい。

 
 
  
「なあ」

 
だからかは分からない。
だがこの状況で、この窮地で。俺は他ならぬ口を動かしていた。微妙に鉄味に塗れた舌が気持ち悪い。

 
「12人。そこに転がってる班長含め、お前が今までに殺してきた超常社会を生きる人々の数だ。別にわざわざ死体を指折り数えてその事を責める様な浅え正しさの押し付けは毛頭する気も無いんだが」

 
問い掛けるのは、7割の打算と3割の本音だ。

 
「何故にそこまで戦い続けられる。8ヶ月前。お前が積み上げた人生の全てが崩れ去ったあの日。あの瞬間、お前を突き動かした物は何だったんだ?教えてくれよ、減るもんじゃねえ」
「教えて何になる」
「俺が少しだけ気持ち良く死ねる」

 
応酬が途切れる。それから暫し、無言を二人で共有した。互いの殺気が少しだけ張りを納め、微かな緩みに垂れたのは雨粒の様なこれまでの事。正直な所返答は期待していなかった。いなかったのだが、男は少し視線を伏せてから俺の方を見て。真っ直ぐな視線を向けて口を開いていた。

 
確かに、あの日俺を突き動かした物はあったよ。
でも、と男は続けて。
 

「もう覚えてない。そんな事をいちいち考えてたら、来る明日を生きられない。生きる為。それだけでいいんだ。そういう物思いに耽るのはくたばった後でいい」
「そうか」

 
脳内でもう一度咀嚼する。

あぁ、そっか。

ぶつけられた言葉の内容にも、その眼の無駄な澄み具合にも、やけにストンと納得してしまった自分がいた。コイツは、ただ生きている。言うなれば何も考えず走り続けている。そうすれば、取り敢えず明日は迎えられる。そうすれば、取り敢えず迷うこともないだろうな。

 
成程。大変有意義な問答だった。
答えてくれてありがとう。そんで

 

 
「───お前をここで確実にブッ殺す。これも宣誓だ」
 

 

やっぱり、お前だけには負けたくねえや。

 
 

 
術式起動。隠し持っていた一枚の呪符が紫色に燃え上がり、俺の胸の前あたりに浮遊しながら帯電し始める。中々派手な見た目してる割に出せる威力は訓練を一切受けていないガチのド素人をギリ殺せるか否か程度のヘボ術式だ。これに関してはそもそも呪術師のロード1"デセール"が班員に持たせただけの護身用でしかないので致し方ない。

が、今需要なのは威力では無い。
 

「"昂・改メ"」

 
発射、今。電気を纏った呪符が弧を描く軌道で男へと飛来し、奴が反応して避けた一步分前の地面へと着弾する。瞬間、呪符の軌道上の空間から電気が迸った。持続的に放電してくれるのがこの状況では中々美味しい。
 

『一応準備はできたけど、お前本当にやるんだな?』
「当然」
『事後処理地獄なんだが』
「任せました」
『お前マジで帰ってきたら殺すからな』

 
嘆きの声を肩に風切ってガン無視しながら駆け出す。UMBRAオフ。全身ネオプレンカバーにしか見えない素のグレイ・スーツをモロに晒しながら激痛上等の全力ダッシュである。当然容易に狙われる。視界の天井、俺の前方頭上2.5mに蛾の群れを纏った男が飛び上がった。式神による跳躍補助。全体重が乗せられた踵落とし。
 

「───ロード1ッ!!」

 
叫んだと同時に男の跳躍した座標に小さな火柱が昇る。炎は周囲の床に気まぐれに舞い、移り、燃え上がる。瞬きすらも許さない刹那に、倉庫内部の一帯が火と電気の檻と化す。

実のところ、ロード1"デセール"の戦線復帰は俺が認識災害によるインチキタックルを喰らった時から既に伝えられていた。ただロード1は奇襲を喰らった時に鎖骨を初めとした重大部位を破壊されており、動く事は既にままならない。がしかし俺一人で必死こいて戦い続けるのも癪なのでキッチリと仕事はしてもらった次第である。

半無条件空間燃焼術式。呪術師のロード1とはいえあの重症でここまでの規模の術式を顕現させるのは中々に至難の技だったに違いない。それでもあいつはしっかりとやり遂げたと言うならば、後は俺が頑張るだけ。

 
「………ッ!!」
「来いよ!!"倉田義久"ァ!!」

 
焰を掻き分けて床を転がるエーミール野郎に啖呵を切りながら先ほど奪取したナイフを構えた。瞬間、痛み。右足に衝撃が走る。式神を纏った男の急加速を伴うスライディングキックによって完璧に体制を崩され、今度は俺が派手に転倒する形で地面を転がった。刹那、このまま転がされて殺られる未来がハッキリと見える。

否、まだだ。パウンドを取られる寸前、人工筋肉に鞭打って男の胴体を両脚で挟み、首裏に片手を回す形で組み付く。膝十字。奴の体幹が強すぎて地面に引き摺り降ろせず耐えられた。咄嗟にナイフをぶっ刺そうとしたがこれも手首ごと抑えられて弾かれる。持ち主を失ったナイフが宙を舞う一瞬、鈍い音を刻むのは頭突きと腹パンの意地の応酬。  

鳩尾を抉り吐き気が込み上げる殴打、肘、膝。全て気合いで耐えて顔面目掛けた全力の頭突きを数発お見舞いする。へし折った鼻の上に更にもう一発。脚で男をガッチリ挟んだまま上半身を捩って負ぶられる様に背中に回り込み、今度は側頭部目掛けて肘と連撃を叩き込んだ。が、疲弊と負傷で緩まった力では呆気なく振りほどかれる。投げ飛ばされる。

 
 

痛え。本当に痛え。無作為に広がる火と電気の中、顔面から着地する形で床に這いつくばる俺がいる。まだ死んでない。まだ戦える。まだ戦わなきゃいけねえのかよ、ふざけるなよ。怒りを原動力にしながら俺を投げ飛ばした方向を見上げる。

 
男は銃を持っていた。不格好な程に施された改造。俺のUSPだ。

 
今の一瞬で奪われたらしい。グレイ・スーツには薄いが確かに有る人工筋肉はあれど、防弾性能はたかが知れている。向けられる銃口と解かれた安全装置。言ってしまえば、この状況は正しく詰みだった。

そう思ってんだろうなコイツ。
 
 
「今」

 
この状況。この戦況にある情報、物体達。ボロボロの俺と同じく負傷塗れの男、飛び回る数十匹の蛾。式神という名の防弾壁。熱と月夜、揺らぐ焰と迸る電気の光。陰で完全にダウンしたロード1と、男の少し横にくたばる班長の死体。

 
 
他ならぬ"ホワイト・スーツ"の死体。
 
 

『外部アクセス承認。ホワイト・スーツ174号機の自爆処理コマンドを起動。───爆ぜるぜ、気をつけな』

 

 

 
 

閃光。

 
 

 
 

衝撃波と、遅れて耳を劈く爆音。それらは気まぐれに倉庫を荒らしていた火と電気に伝わり、更なる爆発を引き起こす。熱波は空気を歪ませ、死を予感する本能は時間を遅らせ。俺はただ、燃え上がる戦場を最前席で観ていた。

ホワイト・スーツの自爆機構。スーツの製造にあたってまず作られる基本部位であり、正常のヴェールを護る最後の要。班長への弔いも兼ねた、ビルが数十個は買える大花火。

 
圧に吹っ飛ばされ、思いっきり壁にぶつかって跳ね返る。最早頭がハイになって意味不明だが今はそれでいい。今はそれがいいんだ。
 

「てめえはよお!!死体が爆発した経験はあるかァッ!?」

 

俺は3回くらいあるぞ馬鹿野郎。

周囲を見渡しながら何処かに吹っ飛んだであろう男の捕捉を試みる。熱波と衝撃で吹き飛ばされはしたが、実際ちゃんと重いダメージは喰らっているが、それでも想定していた"爆発による負傷"を俺は受けていない。そこから推測できる事。

吹っ飛んだ何かが俺と同じように壁に当たって間抜けに地に這いつくばる。頭から血を流し、それでも致命傷には至っていない胴体。今この瞬間吐いたのであろう血とゲロ塗れの口で浅い呼吸を繰り返しながら、しっかりと至近距離の爆発から命を繋いでいる。数秒前までその周囲を纏う様に飛んでいた、腰巾着の蛾の式神。

 

爆発の炎と熱と破片による二次損傷を一身に受けた蛾の群れは、綺麗サッパリ燃え落ちている。

 

男と目が合う。

互いに限界の負傷。炎と熱で歪む倉庫内。この状況。2秒の沈黙。互いに少しだけ口角を上げて、膝に手を当てて休む姿勢を必死で作り上げる。認識。男の両手には何も持たれていない。恐らく爆発の衝撃で手放したのであろう"それ"が、高所に引っ掛かって落ちてきたのであろう"それ"が、俺と男と正三角形を描く位置に、悪い冗談の様に、平等に冷徹に。

銃床から硬い音をコツ、と鳴らして着地した。

 

 

初速。脚は既に動いている。

走り出した俺のコンマ3秒後に男も弾かれる様に走り出す。瞬きはとうに忘れ、呼吸は一旦置いてきた。目指すは8mほど前に転がった一丁の銃、意地と殺意だけのビーチ・フラッグス。微妙に力の入らない膝が躓いて転倒しそうになるが、それすらも前方への勢いに利用して無理矢理進む。男の方がかすかに速い。単純故に明確な事実が二者間に共有される。

男の気配が背後に迫る。追い付かれる。眼前に迫る銃。至近距離の俺。
二択、一瞬の呼吸。男の手が俺へと伸びる。「てめえ」

 

 

 

 

「迷ったな」

 

 

 
 
グレイ・スーツ緊急脱装。

全身のロックが解除されたカメレオン・クロス製の布が背後へと射出される形で脱ぎ捨てられる。迫る男と俺を隔てる様に射出された黒い薄壁が、男に覆い被さる。刹那。筋肉が連動する。腰の回転動作と同時に股関節を内旋。

ブラジリアンキック。今度は外さない。

グレイ・スーツ越しに男の側頭部を捉えた一撃が入り、男の身体は今度こそ間抜けに地に伏せる。その音が鼓膜に到達する前に、もう身体は切り返している。ただ、駆ける。人工筋肉むきだしのスキンスーツを晒しながら、どこまでも真っすぐに。3m。嚙み締めすぎた歯が折れる。忘れていた呼吸が主張してくる。2m。その全てを、今は黙れと一蹴する。1m。それが確かに足元に近づいている。手を伸ばす。

 
半ば転がる様に、俺はUSPを手に取った。

 
 


 
 
 
「誰かが傷付くのが嫌だった」

声が聞こえた。

凝縮された一瞬の刹那。今この瞬間銃を手に取った俺が聞いたのは、他ならぬかつての俺が零した泣きそうな声。無数の死体に閉ざされた、原点から聞こえる声。最早そこに立ち返る事なんて叶わないのは、ずっと分かっていた当たり前の現実で。

 
「……あぁ、そうだな」

 
でも、振り返って向き合うこと位はいつだって出来たんだ。

 
グリップを確りと握りしめて、トリガーに指を掛けて振り向いた。眼前には男。渾身の一撃を喰らって、悶えながらもこちらに迫る男。そのずっと向こうに俺の原点がある。

大義があった。異常を排撃し、正常を維持する。その大義に「間違っちゃいない」という結論を出して、あとは明日の為、仲間の為、自らの為に思考を停止した。何も考えず突き進んだ。結果かつての自分との歪みは大きくなって、いつしか矛盾にぶち当たった。

だから、迷って、迷って、誰かを傷付け続けた。

 
なぁ。正直言って俺は今も何が正解か分からないんだよ。

それでも。背負った大義への思考を止めず、常に脳を回して有り方を考え続けて、その果てに絶対的な矛盾にぶつかったとしても。その矛盾さえもまとめて抱えて、進み続ける自分を正しいと信じる事が、祈る事が出来るならば。

 
「今は、それを俺の"正義"と呼びたいから」

 
だから、お前を殺す。絶対に殺す。
これ以上誰かを傷付けない為に。お前を傷付けない為に。今ここでお前を殺す。

 
 

銃口を向ける。照準を向けた先、男の脳天。改造に改造を重ねた俺のUSPが確かに手に馴染んでいる。隠密機動で必須のサイレンサーとCQ-FLASH。更に俺が特注したGen+1の加速機構。「これ以上速くしてどうするんだ」と言われながらも押し通してカスタムした物。全てはより疾い銃弾をぶっ放す為。偏揺を限りなく無くす為。

 

誰かが傷付くのが嫌だった。
その為に今、誰かを殺して生きていく。

きっとこれはコインの表裏の様な矛盾で、この正義はどこまでも歪で。それでも。

 

 

それでも、もう迷わない。

 

 

 

 

 
銃声。

寸分狂わず銃弾は男の蟀谷を劈き、頭蓋をブチ抜き大脳を貫通し対象を即死へと誘う。運動エネルギーを直に喰らったその瞳孔は見開かれて、その先には俺が映っている。仰け反る形でその身体が倒れ、気づけば術式効果は切れて炎と稲妻は凪いでいた。

肉体が床に落ちる音。随分と無機質な決着の合図が鼓膜をくすぐって、自分の勝利を何処か遠くから眺める様に、自分が生きている事を確かめる様に。

殺し合いが終わった廃工場の倉庫の中。
震える脚で地面を踏みしめて、俺は一人立っていた。

 
 


 
 

そこから先については、特段語ることもない。

襲い来る痛みと眠気に罵詈雑言を浴びせて抵抗しながらロード1を引き摺って合流ポイントまで辿り着いたのが決着から20分後。増援部隊に回収されて蓋を開けてみれば二人とも大して変わらない程度には重傷だったらしく、ロード1と仲良く病棟にぶち込まれた。そこそこの期間治療とリハビリに励み散らかし、正しく地獄の様相を呈した事後処理作業をようやっと片付けたのが一昨日の朝のことである。

 

PM22:42、山間部に位置する基地の一角にて。久方ぶりに完全遂行が可能になったルーティンとして、銃のメンテナンス作業を黙々とこなす俺が一人。不備が無いように拘りをもってメンテを済ませていく。今宵も沈黙が満ちた訓練区画に、小さな作業音だけが木霊していた。

班長を弔う。

独り語る。ロード2を弔う。倉田義久を弔う。これまで積み上げてきた、死体の山を弔う。なんて事は出来ないけど、香る腐臭と乾きゆく血溜まりから目を逸らさない自分でありたいと思う。増速機構を取り付けたUSPを再度手に持って握りしめた。

 
取り付けた分、当然銃は重くなる。取り回しだって多少なりとも影響が出る。が、この重みを俺は大事に抱えて進んでいくのだろう。願わくば、地獄の底まで。

 

何かを認識する。ふと、訓練区画内の頭上に陰がちらついているのが見えた。何だと思って見上げれば、そこには迷い込んだのであろう一匹の蛾が気まぐれにコンクリートの壁にとまっている。地下一階とはいえ、ここまで辿り着いてくるのは中々珍しい事だ。

いつからか、蝶は俺の近くに寄らなくなった。

別に何も問題は無い。本当に、ちょっと不思議な笑い話程度の事だ。ただ今の俺は一人で、少しだけ感傷的で、何よりも蛾には一つ思う所がある。

銃を置いて、止まり木の様に右手を軽く握って上げる。ただの気まぐれでしかない行動。だけどその瞬間、遠い残響の彼方から声がして。

 
「ねぇ知ってる?蝶と蛾って、蝶と蛾ってね──」

 
無邪気な、幼く高いかつての声。突然記憶の海の底から浮かび上がったその台詞に、思わず独りで苦笑する俺がいた。苦笑するついでに、その言葉を今度は俺が続けてみせる。
 

「──蝶と蛾って、実は全く同じ虫なんだぜ」

 
自由気ままに宙を舞う蛾が、ふと思い立った様に旋回する。それは迷わず真っ直ぐな軌道を描きながら、軽やかに俺の右掌にとまった。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。