石榴倶楽部 会報
亡姉の飢餓を想って
611
《御品書》
【先付】
鱧落とし
【椀物】
鰹の潮汁
【向付】
ザクロの湯霜、昆布締
【揚物】
ザクロと茗荷の天麩羅 檸檬添え
【御飯 / 焼物】
ザクロの西京焼御飯
《食評》
本日の饗宴は献体の辿りし道を追想するように、加えて新手塚としてはじめて主宰される晩餐会へ相応の、過去に供された品目を手塚風に再編された御料理を頂戴いたしました。
先付の鱧はも落としには、献体の生育地たる瀬戸内海で漁獲されたものを利用されているようです。軽く添えられた梅肉は軽妙な触感との均衡を取りつつ仄かな酸味を寄せ、加えて時節特有の希薄な脂分が、続く御料理への期待感を搔き立てるようでありました。
続いていただきましたのは、鰹の潮汁うしおじるで御座います。ひかえ目ながらも確りと主張する昆布出汁は三代前から手塚様の十八番でありましたから、こうした形で再び相まみえたときには思わず感嘆を漏らしてしまいました。鰹の薫香も素晴らしく、聴けば修行の最初に学んだのは魚の卸しかたであるとか。身あらより生臭さを感じることもなく、一たび舌先へ触れればただ豊饒な味わいのみが広がってまいりました。
向付と揚物より、いよいよ我等が待ち望むザクロをいただくこととなります。さらりと湯へ通され霜の降りた御刺身は身が引締まり、きめ細やかな繊維質を柔和に示す赤身の明瞭な味わいは献体の健康を朗らかに教えてくださいました。続く天麩羅は、適切な温度にてザクロの香りと共に私どもの眼前へ現れます。未熟な料理人であれば脂分より齎されうる倦怠も、手塚様の手腕に掛かれば茗荷みょうがの清涼感と乗算されて見事に昇華されていくようでした。
そうして高潮した期待のうちに賜りました西京焼御飯も、芳しい白味噌とお米の内包する暖かさが私の幸福感を誘いました。抑制するよう注意されたであろう塩分はザクロ本来の味わいと米麹をいずれも殺すことなく引立て、あの方との思い出が駆け巡るような心地へ包まれておりました。
この頃には会場の空気も暖まり、緊張故か硬い表情を崩されない若き主宰には数々の称賛が飛び交っておりました。かの様子を視界へ飛び込ませましたら、天国の御祖母様もお喜びでいらっしゃるでしょう。かつて不安気に掌を握り込まれていた中学生の少女は、終に躍進へ最初の一歩を踏み出したので御座います。
献体へ係る議論にて剛断を示されました六角様、成功の裡にはじめての晩餐会を終えられた新手塚様、彼女への支援を為された皆様へ敬意を表し、今回の食評を締め括りたく存じます。
(記・舟越)
《附記》
過ぎし平成██年七月二四日、京都七条某所にて手塚の正式な襲名、次いで当人主宰の晩餐会を開催致しました。
列された皆様へ差し上げましたザクロは、当人の実姉たる前手塚 ██の献体へ依拠するもので御座います。年齢は御存知の通り二九、肉体の損壊を避けつつ血液を喪失した彼女のそれは、生前の表情を垣間見せるような瑞々しさを以て当人の舌へ載せられました。
さて、手塚を襲名致しました当人が直後に主宰する かつて此れほどまでに期待感を抱かれ得ることのない晩餐会は空前でありましたことでしょう。当人の主宰は前手塚の切望していたものであり、加えて当人の情報が卸されているとは訊いておりましたが、それでも木戸を潜る皆様の表情へ宿った不信は未だ鮮明に思い起こされてしまいます。
初めて此の場をお借りしたところで恐縮で御座いますが、私が襲名へ至った経緯をお話させてくださいませ。
元より、此方の家系にはザクロを愛する者が多く在りました。特に父方の祖母は、██代 六角様とたいへん深い親交を築いていたことが交わした言葉の端々より伺われるほどです。
しかしながらその息子、即ち私の実父が呈するザクロへの嫌厭は凄絶であったようです。のちに祖母より真相を伝えられるまで、私ども姉妹は「君たちが生まれるよりはやくに死んでしまった」と言い聞かされつつ育てられ、同時に祖母も父とは絶縁状態に在りましたようです。十五の頃父が脳梗塞に因り頓死して漸く、祖母を名乗る人物より届いた封書には目を疑わざるを得ませんでした。
便箋へ古風な達筆で記されていた内容は、概ね此方の通りで御座いました。先ず最初に、私たち孫と祖母の間へ憎悪や悪しき因縁は結ばれていないこと。次いで、機会が在れば顔を合わせたいということ。そして最後に ザクロという名のみを与えられている肉料理の相伴へ預けたいといったお話です。受取人の好奇心と期待を巧みに擽る老練な文体へ、十代後半の子供等が惹かれるのは必然と云えるでしょう。未知なる祖母と御馳走へ躍る私どもはいそいそと京都へ上り、偶然にも表題の晩餐会が執り行われる七条を訪れました。
結果は御察しの通りでしょう。前菜にいただきました煮浸しなどは勿論のこと、ザクロの天麩羅は衣と共に舌先で柔らかくほどけ、水分の喪失に伴う不快感を微塵も与えない食感と味わいは幼い私へ深い衝撃を与えました。そして、その記憶は姉へも等しく刻み込まれておりましたようです。
続いてその後散会となり、祖母の半歩後ろを歩いて宿へ案内される道中のお話です。味蕾へ残る感動も冷め遣らぬなか、とうとう姉がザクロの正体を問いました。
「十八年生きてきて、今までこんなに素敵な料理はいただいたことがないわ。ザクロってどんなお肉なの? 」
そうして声を弾ませ、さながら虹彩を輝かせるかのような彼女の姿は、十五年共に過ごしてはじめて目にするものでした。
ザクロの正体を明かさず、一級の料理を振舞ったのちに口をひらく。こうした流れが何処か様式化されていると伺い知ったのはつい最近の出来事で御座います。他所では継承を行う限り限りまで明かさないといった例も見られるそうですね。
そうして最後に私ども姉妹は、その正体をはじめて耳へ入れたので御座います。
最高級のザクロを契機にそれらへ魅入られると並行して、姉妹は大学を出るまで祖母の許へ身を置くことになりました。私の母とその姑の結ぶ関係が如何ほどの様相であったか、そもそもザクロや石榴倶楽部について知識を有していたのかは、もはや当方の与り知らぬところで御座います。しかしながら、父の結婚が絶縁以降であった事実を鑑みるのであれば、すべての出来事は最後まで両親の視界へ入らぬまま進行していたのでしょう。木造の平屋へ三人で暮らし、時折祖母の斡旋してくださる料理人様よりザクロを賜る日が過ぎてゆきました。
姉の大学生活は折り返しを過ぎ、私のそれも始まろうという時分の出来事です。その日箸を置いた姉はぽつりと呟きました。
「わたくしでも、いずれザクロを 素敵なお料理を、意の儘に出来るのでしょうか」
形式張った彼女の語尾は、居合わせた██代手塚 ██様へ明瞭に向けられておりました。あの日に錯覚した、一度停まったのちにゆっくりと氷解する時間を忘れることは出来ません。燦びやかな賛辞を投げかけるのみであった彼女が、ザクロを巡る人々へはじめて投げ掛けた疑問でしたもの。口を開きかけて辞めてしまったあの方は、そのまま視線のみを祖母へ向けました。そしてまた、祖母も当然の如く首肯を打ち返したのです。
姉は優秀な人間でありました。彼女が学業の間隙を縫って██様より教えを受けていると知ったのは、その日より一週が過ぎたのちと記憶しております。誰ひとりとして言葉にこそ変換されませんでしたが、喜寿を過ぎた██様、祖母、そして姉はその名の継承を明瞭に見越していらっしゃったのでしょう。毎週の日曜日、床へ就く前の彼女が目を輝かせてその教えを私へ聴かせるたび、私の裡にも料理人への憧憬がすこしずつ胚胎したので御座います。
祖母へ頼み込み、私もまた██様からご教授をいただくことになりました。姉と等しく肩を並べ、俎板を前に保存や肉質の維持といった基礎から味付けの采配までを学ぶ時間を過ごしたのです。彼のかたの教えは厳格なものでありましたが、ただ高みを眺めるに止めていたザクロが現実感を以て眼前へ迫る心地も確かなものに感じられたのです。年端も行かず視野の狭窄していた私は、姉と倶に暖かく素敵な場所へ登ってゆけると愚かに盲信しておりました。
私が時折学業の都合で空席を生むとき、彼女は私へひとり分の料理を振舞う機会がありました。手塚の料理の傾向は 釈迦に説法かも判りませんが、主に塩分を抑制して昆布出汁を効かせ、檸檬でザクロの臭みを打消す傾向が強く表出しております。そして、それは今思い起こしても尚正確に継承されておりました。もしかすると私の知り得ない特殊な手段を利用していたのやも判りませんが、彼女の才を鑑みればその可能性すら否定へ傾くことでしょう。
彼女の無垢であり、そして料理人としての私を等しく有象無象と見做す、一点の曇りさえも欠いた視線は強烈に脳裡へ焼き付いております。しかしながら 血をふたつに分けた姉妹として私へ接するときの彼女は、酷く脆弱な人間でありました。私へ感想を問うときのひと言目は低からぬ確率で震えておりましたし、その表情は不安と期待を綯交ぜにする挙動を覆い隠しもしませんでした。そうして脆弱さを差し出されたが故に、私もまたそれを甘受すると心へ決めたので御座います。私は彼女を踏み躙る権利を保有した、唯一に近い人間でありましたから。
「……うん、美味しかった。とっても良かったよ」
私は悍ましく厭な人間でした。さらには、笑顔を浮かべる機会すら稀少な陰鬱さを孕む妹と見做されていました。ほんとうは貴方の前で笑ってみせたくないだけなのに。だから だからこそ、困ったように口角を持ち上げ、絶妙な溜めをつくりながらぽつぽつと感想を吐き出して遣りました。どれだけ他人の機微から疎であり、面の皮の厚い彼女でも理解できる程度に。彼女は何時であれ、私が望んだ通りの隠されようもない淋しげな表情を浮かべながら首肯を示しました。
彼女が私からの言葉を切望し、高位の料理人様がたより遥かに重要と位置付けていたのは疑いようも御座いませんでした。此方の淡白な語彙を受け止めるとき、彼女の長身はどのような場面より小さく映りましたもの。"あたくし"の下賜して遣る、出来ない妹に対する憐憫が自らを焼き尽くしているとも知らずに。
やがて二年を経るころ、██様の余命と手塚の継承が公表されました。会報の枠一杯へ詰め込まれた文面には姉へ関連する想い出が長々と綴られる一方、私への言及は小指の爪先にも満たぬものであったと記憶しております。一条にて行われた晩餐会は皆様の記憶にも新しいでしょう。あの場では師弟で調理されたザクロが振舞われました。私には直前まで存在さえ明かされなかったというのに。
西洋山葵の和えられた若きザクロの刺身は、姉の門出を祝し、くわえて先々代の遺作へ据えるにたいへん相応であったと云えるでしょう。腫瘍を患われた御爺さまの代わりに、と仰ったかの少年の決意には落涙を見せる方も少なからずいらっしゃいましたね。
彼女の視線は私の挙動をつぶさに追跡しておりました。饗宴にて数多の方々から発せられる偽りのない賛辞、肯定、承認、それらへ依拠する安穏 私が得るに値しない要素をかぎりなく注がれながらも、それらは余さずその浅瀬で砕け、ただ打ち寄せることしか適わなかったようです。私は綻びかけた頬を、落ちかけた目尻を、歓喜に震えかけた声帯を押しとどめました。長い時を経て蓄積させたその無力感を、終に此の場の一瞬で台無しにしてしまわない為に。
さて、此処までお読みになられましたのでしたら、饗しました彼女の言動について真意をお解りになりましたでしょう。加えて、これ以降に主宰を申し出る機会を欠いていたことも御存知でいらっしゃる筈です。すべては私からの希釈された言葉を、一度たりとも心から受け止められないが故でした。彼女へ憎悪を抱いた私が唯一示せる抵抗を選択したのは当方の選択ですが、皆様からの賛辞を拒絶したのもまた彼女の選択であります。
手塚を襲名して半年を過ぐ頃に差し掛かりますと、彼女は私からの肯定のみを求めるように変貌してしまいました。正確には、それ以外のザクロを愛する皆様から大方言葉をいただき尽くしたと形容するほうが正確というもので御座います。それだけ彼女のザクロ料理は素晴らしく、同時に私も彼女よりその製法を見て学ぶことは続けられましたが故に。
或る日、とうとう姉は口を開きました。
「私の……私のザクロであれば、君は漸く笑ってくれるのかしら」
あまりに重い言葉を、彼女は軒先から雨粒が落下するかのように溢します。そもそも肯定を向けてしまえば、私は倶楽部の禁忌を侵してしまうというのに。或いは、暫く前から心に決めていたことを修辞的に宣告したのやも判りません。手塚を襲名する資格を得られた程度の彼女が、下手な品質のザクロを無責任且つ突発的に奉げる筈が御座いませんもの。彼女は、その燦びやかに凝固した視点より、ザクロに対してのみ過剰に開放された感性より、その身を差し出そうとしておりました。
あの場でも申し上げましたとおりに、彼女にとって持病や疾患という概念は新聞紙の向こう側に在るナラティヴに過ぎませんでした。ザクロ以外の肉といった肉も機会へ恵まれない限り摂取を行わず、供するにはきわめて高水準な逸材であったと云えますでしょう。とはいえ、襲名後三年にも満たない彼女が献体を行うにあたり、一部で強烈な反論が呈されるのは当然で御座いますけれど それでも私へ告げる遥か以前に、よもやすると襲名よりはやくから、それは予定されていたかの如く着実に進行してゆきました。その仔細について、私は未だ全貌を存じないまま過ごしております。
終に彼女が何を告げたか、此の場には示さず秘めておきましょう。ただ、それが私の望まない言葉でなかった点のみは明記しておきます。私が彼女へ一貫している姿態と同じく、彼女もまた真の意味で私のほうを向くことはありませんでしたから。彼女の遺体は頭蓋のみを致命的に損傷するよう巧く調整され、然るべき人物と機関を経て素早く献体が行われました。
そうして私が解体し、全力を注いで饗したザクロでありますが故に、加えて彼女の一切の意がぶち撒けられ、賛美されうる晩餐でありましたが故に、私は最期までくすりとも笑いませんでした。彼女が跡形も無くなるまで。彼女の言葉は誤っておりませんでした。私が愛していただけない理由のすべてを喪失したとき、薄汚く悍ましい苗字を棄てられたとき、漸く心の底から口角を揚げられるのですから。
此の場を拝借して、当人は姉を弔うに等しく どうか、彼女の飢餓が何時までも充足されないことを、切に切に想うばかりで御座います。
(記・手塚)


