季節外れのホトトギス

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一般的なホトトギス。季節外れのホトトギスとの関連性はない。

季節外れのホトトギスとは、主に日本の瀬戸内海沿岸地域に伝わる都市伝説の一種。本ページでは特にこの都市伝説と関連付けられることの多い出来事についても記述する。

概要

瀬戸内海沿岸地域において、「冬にホトトギスの鳴き声を聞いた」という奇妙な噂が複数確認されている。"季節外れのホトトギス"と呼ばれるこれらの噂は、本来日本に夏頃飛来し秋には南へと帰っていく渡り鳥であるホトトギスの習性に反するものであり、一般的に都市伝説として分類されている。

しばしば「このホトトギスの鳴き声が聞こえた者は不幸になる」という話が、後述する実際の事件などを交え語られることがある。一方でそれらの事項と"季節外れのホトトギス"には目立った関連性はなく、特に典拠に乏しい昔の事例に関しては創作の可能性も指摘されている[1]。一部地域ではホトトギスの漢字表記の一つである「時鳥」を「終わりの時を告げる鳥」と解釈しているが[2]、この都市伝説との因果関係は不明である。

起源

現時点における"季節外れのホトトギス"に関する言及の初出は、江戸末期に厳島神社から発見された奉納俳句である[2]。

影いずこ 時雨を告げる 遠き鳥

俳句の解釈には諸説あるが、「時雨の中で、ホトトギスの鳴き声が聞こえてきた。一体どこにいるのだろう。」という解釈が主流である[3]。本来ホトトギスは夏の季語であり、冬の季語である時雨との季重なりを避けるために婉曲的な表現を用いたと言われている。初夏に飛来し農耕の時期を告げることに由来する漢字表記「時鳥」と時雨を掛けることでホトトギスを表現したと解釈されている。

なおこの俳句は発見当時から汚損しており、詠み人に関する情報は今のところ全く存在していない。汚損した理由として、資料にはこの俳句が奉納された直後に台風が襲来したためと記述されている[3]。

正体の可能性

民俗学を研究する東京大学の林教授は、鳴き声がよく似たエゾセンニュウなどと混同した可能性を指摘している[1]。特にカラスやモズなどの鳴き声が吉凶とされる迷信は昔から存在しており、これらの迷信との混同が発生しているのではないかとの見解を示している。

事例

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呪いの鳩時計と呼ばれた鳩時計。現在は愛媛民俗博物館に保管されている。

鳩時計事件

1935年2月11日、当時愛媛県の名家として知られる高梨家の長男、高梨一郎氏が変死する事件が発生した[4]。

元々病弱であった一郎氏は愛媛県内に位置する別荘で療養を行っていた。変死体として発見される前日に、一郎氏は侍女に「部屋に設置されている鳩時計がおかしな音で鳴きだす」と話した。侍女はこれをあまり深刻に受け止めず、「いつか鳩時計を修理に出しましょうか」とだけ応じた[5]。

翌日一郎氏の部屋に侍女が入ったところ、既に一郎氏は事切れていた。死因は全身に渡る激しい打撲と推定されたが、不可解な点として部屋や屋外に侵入者がいた形跡は発見されなかった。さらに一郎氏の遺体に遺された打撲痕も、ベッドからの転落死としては程度が甚だしいものだった[4]。

事件当初は第一発見者である侍女や一郎氏の家族などによる犯行が疑われたが、いずれの人物もアリバイが証明され犯行の可能性は否定された。またもう一つの不可解な点として部屋に設置されていた鳩時計が侍女の証言とともに注目された。この鳩時計は同型の物と比べスピーカー部分の機構が完全に別の機構に入れ替わっていた。入れ替わった原因は分かっていない[6]。事件を担当した刑事はこの鳩時計について、「鳩というよりホトトギスの鳴き声の方が近い」と話した[5]。

当時の雑誌がこの事件と鳩時計の変化を紐づけて煽動的に報じた[6]。また後継ぎを失った高梨家は、三菱財閥の人物を養子に迎えたことで影響力が急速に衰退し、間もなく三菱財閥に事業を買収された。

この後日談も含めて、一連の事件は"鳩時計の呪い"として名が知れ渡ることになった。進展を見せることなく迷宮入りしたこの事件は、後年のオカルトファンから鳩時計事件の通称が付けられている[5]。一部のファンの間ではこの事件の真犯人が三菱財閥であるという説が語られている。三菱財閥が後継ぎの座を奪うことで高梨家の資産を安値で買い叩いたとされるが、根拠はない。

渋川海難事件

1980年11月21日、当時渋川漁業組合の組合長を務めていた漁師の高田俊彦氏ら5人を乗せた船が悪天候により瀬戸内海で転覆し、全員が死亡する海難事故が発生した[7]。

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高田氏が所有していた漁船。

事故当日の朝3時に起床した高田氏は、普段通りに妻と会話しその中でその日の天候について確認した。当日は曇りであったものの概ね天気は安定しており、高田氏本人についても特に変わったことはなかったと妻は証言した[8]。

3時40分に高田氏らを乗せた船が出発し、漁の定点地点に向けて直線的に進行を始めた。ほぼ同時に出発した他の漁船の乗組員も、この時点では特に異変は感じなかったと証言した[8]。

4時10分に急に雨が降り波が立ち始めた。本来穏やかであるはずの瀬戸内海が急に荒れだしたことに異変を感じる乗組員もいたが、この時点では通常の雨天時と同程度の荒れ具合だったため、漁を中止する判断をした漁船はなかった。高田氏も無線で「急に時化ってきたな。まあこんな日もあるか。」と懇意の漁船に通信を飛ばしていた[9]。

また、この段階で複数の乗組員がホトトギスのような鳥の鳴き声を多数聞いたと証言した他、沿岸部の定点カメラでもホトトギスに似た鳥の鳴き声が記録された。ただし多くの乗組員は野鳥に詳しくなかったこと、多くの乗組員が操縦に集中していたことから、この異変は見過ごされた[8]。

4時30分に海の異変はピークを迎えた。周辺海域は台風直撃時に匹敵する大荒れとなり、全ての漁船は港へ引き返す決断を行った[9]。しかしながらその途中、高田氏の漁船はエンジンの不具合に関する連絡を最後に消息不明になった。その後海は急速に平穏を取り戻したものの、高田氏らは後日遺体として発見された[7]。

漁船を襲った悪天候はいわゆる爆弾低気圧によるものだとされている[7]が、爆弾低気圧が発生しうる条件が整っていたかについては疑義が呈されている[誰によって?]。また、エンジン損傷の原因にも不明な点が多い[7]。

なお、事故以前から渋川漁業組合と玉野支部漁業協同組合は合併する予定だったが、高田氏が合併の反対派の急先鋒として反対し続けていたため合併が難航していた。事故を機に組合長には元々玉野支部漁業協同組合に属していた融和派の人物が就任し、渋川漁業組合は間もなく玉野支部漁業協同組合に併合された。反対派はこれを一方的な合併だと見なし反発。玉野支部漁業協同組合が事故を起こすことで組長の座を奪い取り、渋川漁業組合を手中に収めたという根拠のない主張を行っている[10]。

代家一家殺人事件

1992年11月7日、岡山県岡山市で代家忠治氏ら一家4人が刺殺される事件が発生した。犯人は深夜にあらかじめ用意していた合鍵を用いて玄関から家に侵入した。自宅から持参した包丁で就寝中の4人を順々に刺殺し、4人の遺体を寝室の窓から庭に放り投げた1。その後鳥の飼育室のドアを激しく蹴ったが、ドアの破壊には失敗し右足を骨折する怪我を負った。犯人はこの時点で犯行を終了し、足を引きずりながら犯人の自宅へと帰宅した[11]。

事件前日、隣人が非常に憔悴しきった表情で外をうろついていた忠治氏を発見し、不審に思い会話を行った。忠治氏は「家の中から飼っていないはずのホトトギスのような鳴き声が聞こえた」と応じた。不安に思った隣人が忠治氏と共に鳥がいる部屋を観察したが、特に異変は感じなかった。忠治氏も「ノイローゼになったかもしれない」と話した[12]。代家一家と他人との会話はこれが最後となった[要出典]。

忠治氏は愛鳥家として周囲の人物には知られており、複数種の鳥を飼育していることをよく自慢していたり、積極的にバードウォッチングに参加していたりしていた[13]。一方で、ホトトギスやカッコウなど一部の鳥を毛嫌いしていた。事件を受け行われた雑誌の取材に対し忠治氏の友人は以下のように話している。[13]。

元々あの人は托卵性の鳥があまり好きではなかったのよね。托卵性ってのは他の種の鳥の巣に卵を産み付けて他の鳥に雛を育ててもらうって性質。ホトトギスも例えばウグイスの巣に卵を産み付けて、生まれたホトトギスの雛はウグイスの卵を落として仮親であるウグイスの世話になる。あいつはいくら生存競争のためとはいえ、鳥が鳥を殺すのがどうしても受け入れられなかったと言ってた。あと他の鳥に危害を加えるから家で飼えないという事情もあったんじゃないかな。
それが買収話2が持ち上がってからよりひどくなってね。あいつらはホトトギスのように私たちのテリトリーに入り込み、私たちを居場所から蹴落とし、私たちを養うはずの残された財産で甘い汁を吸おうとしていると。ホトトギスの生態に重ねてしまったわけですね、あながち外れてもいないので反論もしづらかったなぁ。
なんというか代家も犯人も妙にホトトギスを気にしてて振り返ると気味悪いね。犯人は庭に重たい死体を埋めようと窓から放り投げたらしいけど、卵を蹴落とすホトトギスに少し似ているって直感的に思ったことはあったかな。多分何の関係もないだろうけど。

逮捕された犯人は代家氏のはす向かいに位置する家の住人であり、犯行動機として「ホトトギスの声がうるさく集中できなかった」と供述した[11]。しかし忠治氏はそもそもホトトギスを飼っておらず、鳥の飼育室は防音されていた他、隣人を含め鳥の声に関してクレームが入ったことはほとんどなかった。したがってこの供述は矛盾しており、犯人には別の動機があったと囁かれている[要出典]。犯人は死刑判決が確定し執行済みである[14]。

また犯人は、当時代家一家と買収闘争を行っていた備前製菓株式会社の元社員だった。備前製菓株式会社は犯人の退職は事件の2年前であったと説明し、事件との関連を否定している[11]。

岡山県は1994年まで県の鳥をホトトギスに指定していたが、県民投票により県民の鳥としてキジを新しく指定している[15]。表向きは托卵性のイメージの悪さを変更の主因に挙げているが、一説にはこの事件が後押しとなったとも考えられている[誰によって?]。

Bibliography
1. 林武弘『都市伝説を紐解く』、燕石社、2010年5月1日。
2. 『瀬戸内民俗学大辞典』、瀬戸内民俗学の会、1991年3月31日。
3. 田中雅『不思議な奉納俳句の世界』、俳諧社、2015年2月4日。
4. "別荘地で資産家長男が死亡"、愛媛中央新聞、1935年2月12日。
5. 佐藤栄一郎『鳩時計事件に迫る』、松江出版社、1960年1月15日。
6. "特集:呪いの鳩時計"、月刊ゴシップ探求3月号、道理社、1935年2月16日。
7. "漁船転覆 5人死亡"、朝日新聞、1980年11月21日夕刊。
8. 『未解決事件のナゾ!』、フジテレビ、1990年5月4日放映。
9. "転覆事故は防げなかったのか"、岡山新聞、1980年11月30日。
10. "渋川漁業組合併合へ"、岡山新聞、1981年1月11日。
11. "岡山県で一家4人殺害"、読売新聞、1992年11月8日。
12. 『ニュースステーション』、テレビ朝日、1992年11月11日放映。
13. 『月刊リアルミステリー 1994年2月号』、桃板社、1994年1月20日。
14. "2名の死刑執行"、毎日新聞、2006年11月9日。
15. "県民の鳥 キジに決定"、月刊おかやま3月号、備前出版、1994年2月1日。
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